14、現世側③
道は奇妙な程に空いていた。
竜太と桜木は高速道路を飛ばしに飛ばす忍に肝を冷やしながらも口を出せずにいる。
途中で目覚めた千景に状況の説明をした以外、車内はすっかり静まり返っていた。
どうやら千景は「何かが入ってきた」という感覚こそあれど、チヒロが憑依していた最中の記憶は無いらしい。
「よく分かんないけど嫌な感じじゃなかったから別にいーや。それにさ、そのチヒロ? って子は兄ちゃんとハルお姉ちゃんの味方なんでしょ?」
存外ケロッとしている千景の図太さは、絶えず心配しきりだった桜木が脱力した程である。
ともあれ高速を降りた後も信号に引っ掛かる事は一度もなく、一行は予想より三十分も早く目的地に到着したのだった。
都合が良すぎて不自然極まりないが、今更指摘する者はいない。
「着きましたね」
忍は誰ともなしに呟くと古いアスファルトの道に車を寄せた。
四人は各々鞄やスマホを手に取り車を降りる。
数メートル先には朽ちた小学校の校舎が建っており、周囲には立入禁止の張り紙とトタンのバリケードが設置されていた。
バリケードといっても非常に粗末なもので、廃墟になってからの年数の長さが感じられるボロさである。
近隣は空き地や空き家、林ばかりが広がっており人通りはない。
正門には有刺鉄線が張られていたが、竜太が目敏く侵入出来そうな隙間を発見した。
「緊急事態とはいえ不法侵入ですよね?」
人目につく事を危惧する桜木に、忍は「許可なら後で取るから大丈夫」とどこ吹く風である。
「天沼のお兄ちゃん、どしたの?」
「……別に」
思いの外強大な何かがひそんでいる──
そう察知してしまった竜太の肩が突然叩かれた。
まるで臆していた事を指摘されたようで、竜太は不機嫌を露わに叩いた人物──忍を睨んだ。
「俺も行くからね」
「はいはい」
下手に三人を置いていった所で勝手に動かれるであろう事を忍は理解していた。
ならば最初から傍に置いておいた方が安全と判断したようだ。
まだこの廃校の異様さに気付いていない桜木と千景だけが疑問符を浮かべている。
「同行は許可します。……が、俺の指示には絶対従ってもらうスよ。最悪、死ぬんで」
サラリと放たれるとんでもない忠告に、各々は神妙な顔で頷き合う。
三人の反応をつぶさに見た忍はわざとらしく肩を竦めて敷地内に侵入した。
そんな彼に倣い、一人、また一人とバリケードの隙間に身を滑り込ませていく。
ゾワリ。
敷地内に足を踏み入れた瞬間、三人はあまりのおぞましい空気に唖然とした。
塀一つ隔てただけの距離にも関わらず、まるであの世とこの世の境を越えてしまったかのような異質さなのだ。
臭いは無いのに空気が腐っているような。
日差しは暑いのに冷気が漂っているような。
とにかく不快で邪悪な場所だと本能が悲鳴をあげている。
絶句する三人を盗み見つつ、忍は忍で予想以上に穢れきった現場に舌を巻いていた。
それでも彼は悪態の一つも溢す事なく、無言の三人を引き連れながら塀伝いに校舎を周り始める。
数メートル歩いた所でようやく竜太が口を開いた。
「この中にハルさんと大成がいるの?」
「……いや。位置的にはここだけど、厳密にはここじゃない」
忍はいやにゆっくりと歩きながら「二人が居るのは異界だ」と呟いた。
「要はこことは次元が違う、似て異なる場所って感じスかね」
「それって前に俺とハルさんが連れて行かれた黄色い世界とは違うわけ? そこも神社とか鳥居を使って帰る感じ? でも校舎からは出られないって言ってたよね?」
竜太の質問攻めに気圧される事もなく、忍は静かに首を振る。
「まぁ似たようなモンかな。一口に異界といっても色々あるんスよ。前に竜太達が連れ去られた薄黄色の世界は、まだ此方側の世に近い……いわば『うわずみ』の場所でね」
「うわずみ? あれで……?」
異形のモノがウヨウヨと彷徨う、あの異質な空間ですらうわずみとは──
竜太はまだ記憶に新しい異世界のおぞましさに顔を顰めた。
忍曰く、色彩が暗く陰鬱な空気になればなるほど現世から離れ、人の理から逸した凶悪な世界なのだという。
もはや生者が立ち入ってはならない死者の領域なのだ、と──
チヒロによる「外は暗くて黄色っぽい灰色だった」という情報から、ハル達はかなり此方側から離れた世にいると考えられるそうだ。
「これでも探ってはいるんスけどね。あっちこっちで気配が動き回っているわ、邪魔くせぇ気配が強いわで、どの辺に誰がいるのか全然分からないんスよねぇ」
そう言いながら忍の足がピタリと止まる。
本校舎の横という、随分と中途半端な場所だ。
彼の目は離れの校舎に繋がる渡り廊下へと向けられていた。
「さて……桜木君、大丈夫ですか?」
急な話題転換に意表を突かれ、竜太と千景がバッと背後を振り返る。
いつの間にか桜木はフェンスに手をつき、どうにか立っている状態で震えていた。
顔からは完全に血の気が失せ、脂汗がびっしょりとシャツを濡らしている。
「え!? 桜木のお兄ちゃん、どうしたの!?」
「わ、わりぃ。大丈夫……」
「んな訳ないでしょ。その反応、異常だよ」
流れで肩を貸した竜太が忍に視線を送れば、彼は鞄から三枚の紙を取り出していた。
「桜木君はここまでが限界っスね。いや、限界なのは三人ともか」
「え? な、何を言って……痛ぇっ!」
忍は竜太に紙を手渡すと、バシバシと桜木の背中を叩きながら離れの校舎を睨みつけた。
その間約十秒。
されるがままに叩かれていた桜木の顔に血色が戻っていき、誰ともなしにホッと息を吐く。
「……忍さん、これって御札ってやつ?」
「そ。結構良いやつね。配っといて」
言うが早いか、忍は足で地面に線を引き三人を円で囲う。
「今からあの離れの校舎を見て来ます。俺が戻るまでは何があってもこの円から出るの禁止って事で」
「はぁ? 俺はまだへーきだし、全然行けるけど」
「あ、アタシだって! 元気だよっ」
桜木を支えながらも同行したがる二人だったが、無慈悲な却下が告げられる。
真っ先に懇願したのは桜木だった。
「あ、あの……! 俺がビビったせいで足手まといってんなら、俺一人で車に戻ります。……だから天沼と千景ちゃんは同行させてやって下さい!」
本人としても苦渋の選択だったのだろう。
悔しげに唇を噛む桜木を見て思う所があったのか、忍は歩みかけた足を止めた。
「ビビるってのとは違うね。悪い物に対して心身が拒絶反応を起こすのは生物として当然の本能だし、何も恥じる事じゃ無い」
「で、でも……」
「その防衛本能は君の長所っスよ。それに、今が平気だからといって、竜太と千景ちゃんがあの校舎に近付いて大丈夫な訳じゃない」
三者三様の不満げな顔が並ぶ。
その顔を順に見つめ、忍は静かに眼鏡を持ち上げた。
「怪異に対して三人が足手まといなのは出発した時から百も承知ス。だからこそ、他で役に立ってもらう為に同行を許可しました。待機の指示はハルちゃんと大成君を含めた全員の生存率を上げる為にも、ご理解ご協力をお願いしますよ」
そこまで言われてしまえば反論する余地はない。
「すぐ戻るんでー」と片手をヒラつかせて遠ざかる細身の背中を、三人はやるせなく見送った。
「……あの言い方は狡いよね」
分かりやすく口を尖らせた竜太の呟きに、千景が何度も頷く。
桜木は何も言わなかったが先程までの思い詰めたような表情は消えていた。
時刻はまだ正午過ぎ──
木陰に立っている筈なのに蝉の鳴き声が嫌に遠い。
三人は所在なく狭い円の中で口を閉ざし続ける他なかった。




