10、発見
尋常ではない狼狽えようだ。
『ぁあ、あぁぁぁあぁ! さと、せんせ、ごめ、ごめなさ……っごめんなさい……あぁぁぁっ……!』
少女はひとしきり悲痛な声を上げると逃げるように消えてしまった。
(な、何なの!?)
そんなに恐れる程にこの教師は凶悪な存在なのか──
ハルはなけなしの気合を込めてヨロヨロと立ち上がる。
男の挙動を注視するが、彼は一定の距離を保った所で立ち止まったまま特に動く様子は見られなかった。
『おぉおぉあ……あぅあぃ……』
「えっ、と?」
職員室で出会った時と同じような発音をしている。
やはり何かを伝えたがっていると確信し、ハルは目を背けたくなるような刺し傷だらけの彼を見つめ返した。
『あぅあぃあぁ、おっいぃ、おぃえ……』
(何? 何て言ってるの?)
彼が両手を持ち上げるとドクドクと血が吹き出しては滴り落ちる。
ジリ、と一歩近付いてくるものの、悪意があるようには思えなかった。
「あの、すみません。上手く聞き取れなくて……私に何を伝えたいんですか?」
『……おぉ、おぉ、あ。……あ、う、あぁ、い……』
喉元から血を流しながらも一言一言を区切るように声を絞る様子が痛々しい。
申し訳なく思いながらも辛抱強く聞き続けた結果、ハルはようやく彼が言わんとしている事を理解した。
「『ここは危ない。こっちにおいで』……ですか?」
『あぁ……』
ハルが理解した事が伝わったらしい。
彼は両手を突き出したまま、ヨタヨタと近付いてきた。
敵意がないとはいえ、これ以上近寄られるとなると流石に話は別である。
ハルは小さな悲鳴を上げて数歩身を引いた。
「あ、あのっ。ここが危ないのはもう十分分かってます。で、でも私、友達を二人探してて、見つけるまでは帰れないんです!」
『……うぅ……う』
「佐藤先生、は……私の友達の居場所を知りませんか? 高校生の男の子と、さっき職員室にいた女の子の兄妹です。二人を見つけたら、私だって今すぐにでもここから離れたいんです!」
叫ぶように伝えれば、彼はピタリと動きを止め──ゆっくりと身を反転させた。
『……おっいぁ……』
(えーっと、「こっちだ」って言ったのかな?)
何となく分かるようになってきた事が素直に喜べない。
彼は右手にある階段ではなく、ハルが選ばなかった左に曲がる通路に向かって血の滴る腕を揺らした。
「えぇと、あっちに私の友達がいるんですか?」
『……ぉあ……』
「あ、ありがとうございます……」
彼は深々と頭を下げるハルをジィと見下ろすと、徐々に薄らいで消えていった。
こうなったら罠でない事を祈りながら進むしかないだろう。
(千景ちゃんは大丈夫かな……私は職員室とは逆方向に来ちゃった訳だし、この先に千景ちゃんがいる可能性は低いよね?)
無事に職員室から逃げられたとして、千景はどこに行ってしまったのかと心配が募る。
(わざわざあの渡り廊下に戻るとは考えにくいし、一番あり得るのは昇降口近くの階段だよね。私が職員室から離れようとしたのと同じ心理で、二階の方に行っちゃったのかも……)
だとしたら早くこの先を確認して二階を探さねばなるまい。
ハルは頭が痛くなる思いで歩みを早めた。
(……嫌な空気だなぁ)
窓があるにも関わらず薄暗い通路だ。
灰色がかった黄土色の光が外に生える木の影を陰鬱と写し出している。
廊下で目につくのは家庭科室の扉が二箇所と、最奥にあるよく分からない木製の扉位のものだった。
(なんの扉だろ? 掃除道具とかの物置きかな?)
どうにも最奥の扉が気になり、ハルは家庭科室を無視して駆け寄った。
(んー、間取り的に狭そうだし、窓もないし。教室の扉って感じじゃ無さそうだけど……)
そこだけ周りから浮いているかのように古い扉だ。
外側から閂を掛けるタイプの──滅多に見ない古い造りである。
安全面から考えてみても小学校には不適切すぎるだろう。
「立ち入り禁止」と書かれた紙が大きく貼られており、当時としてもかなり古い扱いの部屋だったと思われた。
「!? これって……!」
扉に掛けられた閂が目に留まり、ハルは早まる心臓に呼吸を荒くしながら恐る恐る閂に手をかける。
それはスマホよりも少し長い古びた板切れで、大成が夢の相談をしていた時に持っていた板に酷似していた。
(この中に……大成君が居るの?)
夢の中で開けられた扉が再び閉ざされているのはどういう事なのか──本当に開けても大丈夫なのか。
今更な考えがハルの不安を煽っていく。
カタン
完全に閂を外した彼女は汗ばむ手で建て付けの悪い扉を引き開けた。
ギ、ギギ、
ギィィィ──
中を覗き見ようとした瞬間、またしても白い光がハルの目に飛び込んできた。
三度目とはいえ慣れる訳でもなく、ハルは目を眩ませながら耳を澄ませる。
ハルの予想通り、すぐに会話ともいえない声が聞こえてきた。
『やだやだやだぁ、助けて! 先生ごめんなさい、嘘ついてごめんなさい!』
『おぉおぉあ……あぅあい……あうえぇ……』
『何なの!? ごめんなさい許して、許してよぉ!』
『……ぅあ……いぃ、ああ……あぅええ……』
泣き叫ぶ少女の声が耳に痛い。
どうやら先程襲ってきた皮膚の爛れた少女と佐藤氏のやり取りのようだ。
押し問答の最中、建て付けの悪い扉の開閉音が聞こえる。
どうやら少女には佐藤氏の言葉の意図が伝わっていないらしい。
ハルは彼の発言を翻訳しようと頭を巡らせた。
(佐藤先生の言葉、さっき言ってたのと同じだ。って事は「ここは危ない、隠れて」「いいから、隠れて」って感じかな?)
ハルが答えを導き出す間にも、怯えながら許しを請う少女と、敵意がない事が伝わらない教師の不毛なやり取りが続く。
(そりゃああの見た目じゃあ怖いよね。子供じゃなくても泣くよ……)
全身刺し傷だらけのスプラッタな姿を思い出してしまい、ハルの体がブルリと震える。
(それにしても女の子の言ってる『嘘』って何の事だろう?)
ふと二度目の発光時に聞いた会話でもそのようなワードが出ていた事を思い出したものの、深堀りする暇もなく事態が急変してしまう。
『やだやだぁ、何するの!? 離して、やめて先生!』
ギィィ──
カタン
再度聞こえてきた扉の開閉音と共に少女の泣き声がヒートアップする。
『嫌ぁ! 出して出して! 暗いよ、怖いよぉ! 先生ごめんなさい、ごめんなさい!』
『ぉえぅあぁ……』
『お願い出してっ! 助けて、助けてお兄ちゃあぁん!』
悲痛な叫びが遠ざかり、みるみる内に白い光が弱まっていく。
気付けばその場には扉に手をかけたまま硬直するハルだけが立っていた。
(今の音ってこの扉の音だったよね? 閂をかけた音も聞こえたし)
だとすると、少女を閉じ込めたのは佐藤氏だという事になる。
(その扉を夢の中で大成君が開けちゃったって事? でも何で?)
情報が繋がるようで繋がらないもどかしさばかりが募る。
考える事を放棄したハルはほぼ無意識の内に半開きの扉を全開にした。
(暗っ……って、え!?)
電灯一つない真っ暗な闇の中。
畳半畳程しかない狭いスペースに、大成が壁にもたれるように座り込んでいた。




