4、資料
(そもそもここって一体何人のオバケがいるんだろう? 少なくとも二人いるのは確実だけど……)
どうにも血痕女と謎の笑い声に関連性が見出だせず、ハルはグルグルと頭を悩ませる。
両者共に「姿を見ていない」という共通点もあるにはあるが、これは現時点に限ったものだろう。
単純な恐怖とも違う気味悪さを感じながら、二人は「用務倉庫」と書かれた札が掛かった扉の前までやって来た。
飾り窓も何もない簡素な片開きの扉だ。
ハルは深呼吸をしてから丸いドアノブに手をかける。
どこかのネジが緩んでいるのか、回す前からガタつく感触が伝わってきた。
「じゃあ……開けるね」
「う、うん」
気休め程度に千景を背中に隠し、ハルは出来る限り音を立てないようにノブを回す。
カチャリ──キィィ
幸いにも思った程大きな音は出ず、ハルは恐々と扉の隙間を覗き込んだ。
(お願い、誰も居ないで! 居たとしても怖くないヤツにして!)
既にハルの脳内では幾つもの嫌なパターンが思い浮かんでしまっている。
中でも一番最悪なのは「覗き込んだら至近距離で覗き返してくる血塗れの女」であった。
しかし──
「…………だ、誰もいないっぽい」
そう呟けば背後で千景がホッと息を吐く音がした。
室内は小さな窓が一ヶ所あるだけでかなり薄暗いものの、特に危険な様子は感じられない。
ハルは明かり取りの為にも扉を全開にすると、改めて用務倉庫内を見回した。
六畳程の広さだろうか。
背の高い棚が四方に置かれていて圧迫感がある為、実際にはもう少し広いのかもしれない。
「うっわぁ~、物がぐちゃぐちゃだねぇ」
「そう、だね……」
授業で使いそうな大型の備品やファイリングされた資料、替えの蛍光灯やトイレットペーパー入りの段ボール箱が目につく。
(やっぱり変。なんでこんなに沢山の物が廃校に残ってる訳?)
千景は兄の姿が無い事で早くも興味が失せたのか、ガッカリとも次に期待とも取れる顔で廊下を窺い始めている。
いつ足音の女がやって来るか分からないこの状況では無理もない反応だった。
早く移動せねば──
そう頭では分かっていながらも、ハルは少しでも何か手掛かりがないかと観察を続ける。
(ん? これって……資料の下書き?)
ホチキスで留められた資料が妙に気になり、ざっと流し読む。
黄ばみの目立つその資料には、至る所に赤ペンでの加筆と修正が行われていた。
(うわ、やだ何これ!)
見出しは『緊急保護者説明会 概要』と書かれており、その内容はかなり不穏な内容であった。
『当校で事故死された五年二組 大嶋希羽さんについてのご説明』
『任意同行を受けた教員について』
『生徒の心のケアと今後の学校の方針について』
大まかな項を読んだだけでも「この学校で大変な事件があった」と理解出来る。
顔を顰めながら資料を捲ると、別の資料が重なっている事に気が付いた。
(嘘……)
なんと二つ目の資料には全く違う事件についての記述があったのだ。
『六年二組、奥田珠璃さんと平井田知佳子さんの死因についてのご説明』
『佐藤先生殺害事件との関連性について』
『生徒達への説明と学校側の今後の方針、マスコミへの対策について』
(物騒すぎ……って、あれ? 一つ目の資料と二つ目の資料、ちょうど一年の間隔が開いてる……)
二つ目の資料は簡素な箇条書きしかない為、詳細は不明である。
(亡くなった子は全員二組だ……まさか)
もしクラス替えが無かったとしたら、同じクラスの生徒が三人も亡くなっている可能性があると考えついてしまい、ハルの背筋に冷たい汗が流れる。
(いくら何でも短期間で死にすぎじゃない!? それに先生殺害事件って何!? 犯人は!?)
想像以上に闇が深そうだ。
資料に書かれている過去の事件と今の怪異が無関係とも思い難い。
もっと詳しく読み込もうとするも、それは千景の声で中断されてしまった。
「お姉ちゃん、あの女が戻ってくる前に移動しようよ!」
「あ、そ、そうだね。ごめん」
資料を持って行こうかと一瞬迷ったものの、持ち出す事で何か悪い事が起きないとも限らない。
折角の手掛かりではあったが、ハルは元の場所に置いていく事を選んだ。
「次は三階だねぇ。もう変なのは勘弁だよー」
「そうだね……大成君、居るといいけど……」
二人は気配を探るように恐々と階段を上がっていく。
三階も二階と大して変わらない構造であった。
四年生の教室が三つと空き教室が一つ、トイレの代わりに大きな水飲み場があるだけだ。
「……お兄ちゃん……」
「千景ちゃん、大丈夫?」
「うん……」
ここでも大成の姿はなく、千景は悔しげに唇を噛んでいる。
怪異との遭遇が無かったのは良いとして、目新しい情報すら見つからなかったのは精神的にも厳しいものがあった。
目に見えて落ち込む千景の背を擦りつつ、ハルは「一階へ戻ろう」と促した。
──……フフッ
──クスクス
(まただ。何がそんなにおかしい訳?)
相変わらずの小さな笑い声に、流石のハルも苛立ちを覚えてしまう。
千景の気持ちを考えると尚更である。
反応したい気持ちをグッとこらえ、二人は無言で階段を降りていく。
(……え?)
二階の踊り場に差し掛かった時だった。
ハル達の居る場所の真下──
階段の下にある下駄箱の方から音がしたのだ。
トトッ
トトトッ
ギィィィ──ィイィ
パタン
「「…………」」
それはあっという間の出来事であった。
思わず動きを止めてしまった二人は、ほぼ同時にゆっくりと一階を覗き込む。
当然のように人の姿はない。
「……今さ、今さ。誰か外に出てった?……よね?」
「うん……なんか子供っぽい足音だった、よね?」
小声でのやり取りに意味があるのかはさておき、二人は再び下駄箱を確認した。
相変わらず外は灰色がかった黄土色の世界が広がっており、扉も固く閉ざされたままである。
(このドアを自由に行き来できる子供のオバケがいるって事か……)
「追われて逃げる際は不利になるかもしれない」などとネガティブな考えが頭に浮かぶ。
千景は千景で「あんな色の外に出れるなんて、絶対ロクなヤツじゃないよ!」などと力説しており、彼女なりに怯えているようだ。
何れにせよ考えた所で始まらない。
この小さな校舎に大成が居ないと分かった以上、渡り廊下を通って本校舎を探索するしかないだろう。
二人は渡り廊下の出入り口横に残した書き置きに「本校舎へ探しに行く」と書き加えた。
「てかさ、渡り廊下のドアは開くのに下駄箱のドアは開かないなんて変だよねぇ?」
「確かに……って、ひゃ!?」
疑問の答えはすぐ目の前に広がっていた。
「な、何これ!?」
「穴ぁ!?」
屋根があるだけで手すりも壁もない渡り廊下の両脇──
地面がある筈の場所には、ハルが廃校に飛ばされる前に見た時と同様の闇が広がっていた。
少し視線を上げれば黄土色の景色や空が見える。
遠くに植えられた樹木や建造物もぼんやりと浮かんで見える。
それなのに、地面だけが無いのだ。
あまりにも黒すぎて距離感が掴めないが、落ちたら間違いなく終わりだろうと本能が警告を発している。
(渡り廊下のドアが開く理由、分かったかも)
「どうせ出られないのだ」と見せつけられたようで気分が悪い。
こうして立ち尽くしている間も見えない誰かに嘲笑われている事は容易に想像がつく。
(大成君を見つけた所で、本当に出口なんてあるのかな……)
折れそうな心には気付かないふりをして、ハルは千景と身を寄せ合うように通路の真ん中を歩く事にした。
〈補足〉
本作品の登場人物の名前は全員地名から取っていましたが、今回の事件関係者の名前に限り地名縛りは無しとさせて頂きます。




