1、或る朝
時刻は朝八時。
三連休の初日である土曜にしては早すぎる時間帯に、ハルは通学路の途中にある小さな児童公園を訪れていた。
「こんな早くからホントすんません、宮原先輩。俺、この後部活で時間が取れなくて……」
「いいよ、今日は特に予定も無かったし。学園祭が近いと演劇部は大変だね」
何度も頭を下げる大成を宥め、ハルは古びたベンチに腰を下ろす。
前日の夜に突如として「相談がある」と連絡してきた彼は、キョドキョドと落ち着きない様子で隣に腰かけた。
「……実は最近、変な夢を見るんすよ」
「夢? どんな夢なの?」
「最初の頃のはよく覚えてないんすけど、俺は毎回手元も見えないような暗い場所に立っていて……知らない場所っぽいけど、そこで声だけが聞こえてくるんです」
(あちゃあ、やっぱり怪異関係の相談っぽいなぁ)
ある程度予想していた事とはいえ、自分に何かが出来るとも思えない。
夢の内容を思い出しながら説明する彼を横目に、ハルは小さく唸った。
「最初は誰かが泣いてるような声でした。それが何回か夢を見てく内にハッキリ聞こえるようになっていって、段々助けを求める女の子の声だって分かるようになっていきました」
「それって……」
もし声の主が怪異であるならばマズいのではなかろうか──という考えが頭に浮かぶ。
いつかの竜太の言葉を借りるならば「怪異に距離を詰められている」ような状態を想像してしまい、ハルの背筋が俄に凍った。
「まだ声がよく聞こえなかった頃、一度だけ天沼に夢の話をした事があったんですけど……『ただの夢じゃないの?』って言われちまって」
(あ~、竜太君なら言いそう……)
何だかんだで仲は良好のようだが、大成相手にそこまで親身になる竜太は想像がつかない。
苦笑するハルを見て同情を得られたと思ったのか、彼は「親友相手に冷たいっすよねぇ」と頬を膨らませている。
「で、この間は別の女の子の声も聞こえてきたような夢を見て……ちょっと言い合い? してたのかな? 意味分かんないしただの夢とも思えないしで、なんか怖くなっちまって」
「そっか……」
そういえば、と自分も夏休みの最後に普通ではない夢を見た事を思い出し、ハルもつられるように考え込んでしまう。
(私の場合はお姫ちゃんの夢だったから結果的に危険な夢ではなかったけど……大成君の夢は情報が少なすぎて何とも言えないなぁ)
「流石にヤバいかなって思って、改めて天沼に相談しようと思ったんですけど、アイツ昨日の夜はバイトだったらしくてすぐに連絡がつかなかったんっす」
「あぁ、それで私に相談しようと思ったんだね」
「すんません。夢の声が日に日にハッキリしていくのが怖くって、早く誰かに相談したくて……」
それは確かに怖いだろう。
無理も無いとハルが一人納得していると、妙にソワソワしている彼と目が合った。
「それで……あの、宮原先輩」
「ん?」
言い難そうに切り出されれば嫌な予感しかしない。
身構える暇もなく、大成は困ったように口を開いた。
「昨日の夢で、俺、何かやらかしちゃったかもしれないんです……」
「やらかしたって……何を?」
彼は叱られる前の子犬のようにおずおずとスクールバッグから何かを取り出す。
その手に握られていたのはスマホより少し長い木の板だった。
随分と古そうな板で、厚さは一、二センチ程しかない。
「実は……」
彼は角が擦れたボロ板を握りしめながら、昨晩に見たばかりの夢を語りだした。
◇
お兄ちゃん、助けて! ここから出して! 助けてよぉっ!
──!? え、ここって言われても何も見えないんだけど……つーかココどこ?
私だってよく見えないよぉっ! 暗くて、何か凄く狭いの! 早く助けて、怖いよぉ!
──だぁっ、ちょっと待てって! いきなり言われても何が何だか……あれ?……これって、扉か?
「開けちゃ駄目っ!」
──え!?
カタン。
あっ!
「あっ!」
──ってか、もう開けちゃった……
!?
「 !」
──え、なになに、何て? よく聞こえないんだけど!
──あれ、ちょっと? おーい!?
──えぇ~……?
◇
「っていう夢でして……」
「……そ、っか。えーと、それでこの板は?」
「触った感じ、夢の中で手探りで開けちゃった扉の閂……だと思います。目が覚めた時に握ってました」
話を要約するとこうだ。
夢の中の登場人物は大成の他に二人。
暗くて姿は見えないものの、どちらも声は若い女の子のようである。
一人は暗くて狭い所に閉じ込められているらしく、もう一人は扉を開けてはならないと言う。
そして制止の声は間に合わず、大成は深く考えずに何かの扉を開けてしまった、と──
「うーん、不気味な夢だね。夢の中で手にしたものがここにあるって事は、どう考えても普通の夢とは思えないし」
「そうなんすよね……それと一つ気になる事があるんです。夢の声の一人が……その、妹の声によく似てて……」
「え!? って事は、閉じ込められてたのは千景ちゃんだったって事!?」
まさか千景にも危機が迫っているのかと焦るハルだったが、大成はすぐさま首を横に振った。
「いや、千景はピンピンしてます。夢の事をそれとなく聞いても何も無さそうだったし。今朝もちょっと機嫌は悪そうだったけど、普通にダラダラ飯食ってました。それに……逆なんすよ」
「逆って?」
「千景の声に似てたのは、『開けちゃ駄目』って言ってた方なんです」
「え? え?」
まさか「そっち」だったとは思わず、彼の戸惑いを後追いするようにハルの頭も混乱する。
(もし『開けるな』と止めたのが千景ちゃんだったとしたら、大成君を『お兄ちゃん』と呼んでた子は誰なの? もし怪異だとしたら、扉を開けちゃって大丈夫だったのかな?)
いくら考えた所で答えなど出る筈もない。
話すだけ話してスッキリしたのか、彼はチラリとスマホで時間を確認するとパッと立ち上がった。
「へへっ、三十分ってあっという間っすね。部活は九時からなんで、ちょっち早いっすけど俺もう行きます!」
「あ、うん。無理はしないでね。あと一応、この事は竜太君にも相談した方が良いかもしれない」
竜太も以前、夢の中で入手した物を現実に持ち帰っていた事があった。
その品は塩入りの袋に入れられた後に忍の元へと渡ったらしい。
何かの参考になるかもしれないとの思いで竜太への相談を促せば、彼は力なく笑って頷いた。
「話聞いてくれてありがとうございました! そんじゃま」
瞬きする一瞬の合間を縫って、大成の言葉がプツリと不自然に途切れる。
それを異変だと感じる暇も無く──
「え」
トンッとハルの背中が何者かに押された。
踏み留まろうにも本来そこにあるべき筈の地面はなく、彼女は悲鳴と共に一切の光が差さない深い闇の中と落ちていった。




