3、忠告
「相談がある」と北本に呼び出されたハルが真っ先に思ったのは、何故大和田ではなく自分に──という疑問であった。
心配と不安を抱えながらファミレスに向かえば、先に入店していた北本がいつになく憔悴した様子で奥の席に座っていた。
「折角の休みなのにごめんね、ハル」
「気にしないでよ。むしろ久しぶりにゆっくり話せて嬉しいし」
夏期講習でたまに顔を合わせる程度の時間など短すぎて無いに等しい。
ハルの言葉に安心したのか、北本は注文を済ませるなり本題に入った。
「実は相談っていうのは、お姫ちゃんの事についてなの」
お姫ちゃんとは演劇部で代々大事にされている日本人形の呼び名である。
ハルは今まで何度となく不可思議な現象を目の当たりにしており、お姫ちゃんが只の人形でない事は重々理解していた。
「お姫ちゃんがどうかしたの?」
「なんて言ったら良いか……こんな事あんまり言いたくないんだけど、最近ちょっとお姫ちゃんが……怖いんだよね」
「え? 怖い?」
演劇部の部長である北本は入部当初からお姫ちゃんを大切にしていたそうで、ハルが知る限りとても可愛がっていた。
先輩達からの教えを守り、公演の時には必ず現場まで連れていくのだと話していた位だ。
そんな彼女がお姫ちゃんを怖がる日が来るとは信じがたい話である。
「アカリちゃんがそんな事言うなんて、何かあったの?」
「んー……話すと結構前に遡っちゃうんだけどね」
取り出した手帳を捲り捲り、彼女は記憶を掘り起こしながら説明する。
最初の異変は夏休みに入ってすぐに起きたそうだ。
夏休み中に行われる公演に向け、部員数人で打ち合わせをした帰り道の事だった。
学校前で部員達と別れた北本は、偶然居合わせたクラスメイトの友人と帰路についた。
コンビニで買いたい物があるという友人に付き合い、北本も飲み物を購入する。
そして会計の際に鞄を開けた彼女は心臓が止まる程驚いたという。
「鞄の中にお姫ちゃんが入ってたの。普段はガラスケースの中にしまわれっぱなしの筈なのに」
「そ、それは……あ! 誰かのイタズラって可能性はないの?」
「……ないと思う。部室で打ち合わせしてた時、鞄は足元に置きっぱなしだったし、私は一度も席を立たなかったから」
もし急に鞄から日本人形が出てきたら、怪異に慣れているハルでも悲鳴を上げたかもしれない。
あまり想像しないようにしつつ、ハルは話の続きを促した。
「その日から数日置き位にね、お姫ちゃんが色んな所に現れるの」
「色んな所って、例えば?」
「塾帰りの鞄の中とか、家に帰ったら玄関前に居たりとか、買い物先で寄ったトイレの洗面台とか……とにかく色々だよ」
手帳を確認しながら指折り語られる内容に、ハルは薄気味悪さと不快感を覚える。
行く先々で出てくるなど、まるで見張られているか付けられてるようではないか──
「それに、なんだかお姫ちゃんの顔が険しいような気がして。あ、これは単に私の思い込みのせいかもしれないけどね」
「そっか……」
案外思い込みではないのかもしれない。
何度かお姫ちゃんの顔が変わる現場を目撃しているハルは、気の利いた事も言えずにストローを咥える。
北本もカラカラと氷をかき混ぜると神妙な面持ちで項垂れた。
「あと、お姫ちゃんとは関係ないのかもしれないけど、最近色々あってさ。実は精神的に結構参っちゃってて……」
「そんな……大丈夫なの? 嫌じゃなければ聞いても良い?」
「別に良いけど、たぶん偶然だよ?」
不幸の原因をお姫ちゃんに押し付ける事に抵抗があるのか、北本はかなり迷った様子で頬を掻いた。
「お姫ちゃんが現れるようになったのと同じ時期に、変な封筒がポストに入れられるようになってね」
「変な封筒? 中身は?」
「それが……」
漠然と不幸の手紙のような禍々しい物を思い浮かべるも、北本はハルが予想だにしなかった答えを口にした。
「最初に来たのは私の隠し撮りっぽい五枚の写真。二、三通目は印刷された手紙。内容はどっちも……一応ラブレターかな。『いつも見てます』とかだいぶ怖い感じだったけど」
「それってストーカーってやつ!?」
まさかの怪異とは違った恐怖体験談である。
ハルは思わず周囲を見回したが、賑わう店内にはこれといった不審な人物の姿は見当たらない。
「その事、ちゃんと周りに相談した方が良いんじゃない?」
「勿論! 手紙も写真も真っ先に親に見せたよ~。夏休み中だからまだ学校には言ってないけど、一応塾には伝えた。念のために、塾帰りは親に迎えに来て貰う事にしてるんだぁ」
思った以上にしっかりと対策をしているらしい。
とはいえ、相手がどんな人物なのか全く分からないので油断は出来ない。
「一度、親の迎えがない日の帰りに付けられてるような感じがしてさ、怖くて走って帰った事があったの。私ったらテンパっちゃって、顔とか確認する余裕も無かったんだけど」
「仕方ないよ。とにかくまずは逃げるのが一番だし」
「それはそうなんだけどね。……で、その付きまとい犯と、行く先々で出てくるお姫ちゃんがどうにも重なっちゃって、怖くなっちゃったんだぁ」
オーバーリアクションでテーブルに突っ伏す北本の様子から察するに、彼女はお姫ちゃんがストーカー案件と何らかの繋がりがあるのではと疑っているようだ。
「私、お姫ちゃんを怒らせるような事した覚えないんだけどなぁ~」
「うーん……」
(お姫ちゃんが怒るって、どんな時だろう? 今まで視た時は確か……着物の合わせが逆だった時とか、呪詛に使われた人形が部室に隠されてた時……)
そこまで考えてハッとする。
そもそもお姫ちゃんは「演劇部の守り神」という扱いだったではないか、と──
「ねぇアカリちゃん、もしかして逆じゃない?」
「え、逆って?」
「お姫ちゃんがトラブルを呼んでるんじゃなくて、アカリちゃんがストーカー被害に遭わないようにお姫ちゃんが見守ってくれてた、とか? だからお姫ちゃんとストーカーの時期が重なったんじゃないかなって。想像だけど……」
自信なく語るハルだったが、北本は大きな目を二、三度瞬かせると「あぁっ!?」と大きな声を上げた。
「わぁぁー! その発想は無かったよぉ! 自分で気付きたかったぁ~!」
あまりにも神出鬼没なお姫ちゃんに対する恐怖心のせいで「守り神」であるという大前提を失念していたらしい。
「お姫ちゃんごめぇん!」と頭を抱える北本をどうどうと宥め、ハルは現状を整理する事にした。
「お姫ちゃんが見守ってくれてると仮定して……お姫ちゃんが現れるタイミングって、本当にバラバラだったの?」
「あ! そういえば家に居る時は出てこなかったよ! いっつも出先だったり、帰り道の鞄の中とか玄関先に現れてた!」
(やっぱり。だとすると、もしかしたらお姫ちゃんが現れた時はストーカーが近くにいた可能性もある訳だ……)
ストーカーが北本に接触しないような具体的な行動が出来るのかは不明だが、何か手掛かりになるかもしれない。
ハルはお姫ちゃんが現れた詳細な日時が分からないかと、北本の手帳を見つめた。
「ふっふーん。念のためと思って記録してたからね。バッチリ分かるよ」
得意気に手帳を捲る北本の表情が明るいものになっている。
その事に少しだけ安堵するも、ハルはすぐに気を引き締めてルーズリーフにお姫ちゃんの出現時刻と場所を書き出していった。
「……で、最後が昨日の夜。塾を出て友達と別れて、親と合流した時に自転車の前カゴに居るのに気付いたの」
「なるほど……なんか一見するとバラバラっぽいけど、やっぱり外で尾行されやすそうなタイミングでお姫ちゃんが現れるっぽいね」
「ホントだー。ハルってば凄い! 名探偵みたい!」
「い、いや、そんな事ないけど……」
ハルとしてはお姫ちゃんが北本や演劇部員に危害を加えるとは思い難かっただけの事である。
大袈裟に褒められて小さくなりながら、ハルはどうしたものかとルーズリーフを見つめた。
「お姫ちゃんが守ってくれてるかどうかは確定じゃないけど、まずはストーカー問題をどうにかするのが先だと思う」
「そうだねぇ。でも、そう簡単に解決するかなぁ? だって相手の年齢も性別も、何にも分かってないんだよ?」
「うぅ~ん……」
犯人像がまるで分からないままなのは、お姫ちゃんの出現云々より厄介で恐ろしい話である。
これ以上ファミレスで話していても埒が明かず、二人はグラスを空にすると席を立った。




