8、覗く者
「ごめん、お待たせ」
「別に。急に呼んだのこっちだし」
駅に着いて早々、ハルは高架橋の日陰で待つ竜太と合流した。
彼の額にじわりと滲む汗が待たせてしまった感に拍車をかけている。
自身に非がないと理解しつつも申し訳無さげなハルに、竜太は面倒とも呆れともとれる態度で「店入る?」と近くの喫茶店を指し示した。
てっきり用件のみの立ち話で済むような話だと思い込んでいたハルは大いにたじろいだ。
彼は彼で暑かったのか返事もろくに聞かずにさっさと歩きだしてしまう。
(やばい、目的が分からない分、何をどう話したら良いか分かんない!)
先を歩く竜太の背中を前にするだけでハルの頬は火照りを増す。
振り返りもしない黒いTシャツを小走りで追えば、僅かに歩く速度が緩んだ気がした。
◇
店内は席の七割が埋まっていた。
幸運にもテーブル席に着けた二人は、注文もそこそこに向き合って人心地つく。
「それで、見せたい物って何なの?」
この喫茶店は昨年のクリスマスに二人で訪れた店である。
その際竜太からは「嫌いだと思った事は一度もない」と言われており、ハルからすれば良い思い出の場所であった。
嫌でもそわそわしてしまう彼女とは対照的に、竜太は普段と何ら変わりない様子でボディバックから細長い包みを取り出した。
「……これ。ちょっと面白いもの見付けたからハルさんにも見せようと思って」
「? 何これ?」
ゴワゴワした白い紙に包まれているそれは、十五センチ程の長さで筒状の形をしている。
ラップの芯にしては短く、トイレットペーパーの芯にしては細くて長い。
中身の予想がつかないまま、ハルは差し出されたそれを戸惑いがちに受け取った。
「しいて言うなら……ドッキリ系のジョークグッズ?」
「な、なにそれ? 先に言っちゃったらドッキリにならないんじゃ……」
「いいんだよ。別にハルさんをビックリさせるのが目的じゃないし。あ、紙は普通に開けていいけど、使う時は一応覚悟してから覗いてね」
(使う? 覗く?)
一体何をどう覚悟しろというのか──
彼にしては要領を得ない発言にクエスチョンマークを浮かべながらも、ハルはシワシワの包み紙を解いていく。
「これって……万華鏡?」
あまり見かけはしない玩具ではあるが、どこからどう見ても一般的な万華鏡だ。
筒の周りは赤地のちりめんが施されており、可愛らしい扇子と小花の模様が散りばめられている。
「え、これ結構可愛いけど、覗くのに何で覚悟がいるの?」
「まぁまぁ。害はないらしいから」
(いや害って何!? らしいって何!?)
万華鏡からは気配の類いを感じられない。
どこか期待に満ちた目を向ける竜太をいつまでも待たせる訳にはいかず、ハルはどうとでもなれと右目で万華鏡を覗き込んだ。
「う……っ!?」
万華鏡の中──
距離としては十数センチしかないような狭い世界の中で、自分の目ではない何者かの目がハルの右目を見つめていた。
写真や絵の類いではない。
その目はまるで生きている者のようにキョロリと動き、瞬きまでしていたのだ。
鏡によって増やされた目の全てが規則的な配置で同時に動く様は、集合体恐怖症でなくとも身の毛のよだつ光景である。
ビクリと震えた振動で万華鏡の世界が揺れ、目の数や角度が僅かに変わった。
すぐさま万華鏡を外すと、竜太は何故か自慢気に「ね、凄いでしょ」と頬杖をついていた。
「何……今の……」
「覗くと覗き返してくる万華鏡。害がないのは忍さんに確認済み。視えない人には普通の万華鏡に見えるらしいから、視える人限定のドッキリアイテムって感じかな」
(だから何でちょっと楽しそうなの!?)
その姿はさながら、面白い玩具を見付けたから一緒に遊びたがっている子供である。
それが普通の玩具ならどれだけ良かった事か──
彼の独特な感性が理解できず、ハルは引きつった表情で万華鏡をテーブルに置いた。
「これ、どこで手に入れたの?」
「ここの駅前のロータリー。最近、変な手作りの雑貨売ってる怪しい露店商がよく来ててさ。そこで危なく無さそうなの買った」
そんな物をわざわざ買うなと突っ込みそうになるハルだったが、はたと駅前の露店商というワードに心当たりがある事に気が付いた。
(それってもしかして三沢君が言ってたお店なんじゃ……?)
──駅前のロータリーの端っこに、シート広げた露店商が来るようになってよ。
──まぁ雑貨屋っぽいんだけど、そっから沢山の嫌な気配がするんだ。
──嫌な感じはどれも商品に留まってるっぽくてな。俺は声とか聞こえねーから何とも言えねぇけど……
「ねぇ、竜太君。もしかしてそのお店って、他の商品には危なそうなのもあったりした?」
「…………」
「竜太君?」
まさか万華鏡ではなく店の方に話題が向くとは思わなかったのだろう。
竜太は一瞬だけ視線を揺らすも、観念したように「あったけど」と呟いた。
「でも手には取ってないよ。関わろうとしなければ問題なさそうだったし。害が無さそうなの選んで買ったし、忍さんも居たからね」
「あ、忍さん一緒だったんだ」
その事実が知れただけでも一安心である。
ホッとしたのも束の間、ハルは竜太の顔が不機嫌なものになっている事に気が付いた。
「あ、えと、ごめんね。つい心配で……」
「うん」
(うぅ、失敗した……)
決して非難する気は無かったのだが、彼からすれば気分の良い対応ではなかっただろう。
怪異に興味がある引け目があるせいか、今回ばかりは竜太も上手く言い返せないようだ。
気まずい空気が居たたまれず、ハルはしどろもどろに「誰の目だろうね」と万華鏡に視線を落とした。
「……たぶんだけど、これ作って売ってた奴の右目。若作りした四十前後のおっさんだった」
「へ、へぇ。生霊って事かな」
ぎこちない会話でも無いよりはマシである。
「生霊が売られてるって変な話だね」と苦笑すれば、ようやく竜太の機嫌も戻りだした。
「生霊っていうより物に込められた思いの残滓らしい。俺、これ見た瞬間ニーチェが頭に浮かんだんだ」
「ニーチェ?」
「『深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いてる』って奴。元の意味とはちょっと違うけど、万華鏡を覗く時、万華鏡もまたこっちを覗いてるって感じで笑っちゃったよね」
話だけならば確かにジョークめいているが、実際に知らない男の目を覗いてしまった現状ではとても笑えず、ハルは曖昧にアイスコーヒーをかき混ぜる。
その反応は予想通りだったのか、竜太も特に気にした風でもなくカフェラテを啜った。
「ちなみにこいつ、ずっと睨んでやると目を逸らすよ。気まずさは感じるみたい」
「そんな、にらめっこじゃないんだから……ふふっ」
根負けして目を逸らす万華鏡の目を想像すると少し不憫に思えてくる。
かといって自分が試す勇気はないが。
ぎくしゃくとした空気はハルが小さく吹き出した事で幾分か和やかなものになっていた。
「今度大成にも見せてやるんだ」
「え……まさかドッキリで?」
「ドッキリで」
一体彼が何をしたというのか──むしろ竜太に気に入られていると考えるべきかもしれない。
「ほどほどにね」というハルの注意は届いてないだろう。
弧を描く口元に悪戯っ子の片鱗が見える。
「……で、話は変わるけどさ」
彼は万華鏡を包みに戻しながら、抑揚のない声を静かに紡ぐ。
どこか違和感のある竜太の雰囲気につられ、ハルは無意識に息を飲んだ。
「今度ハルさんの家に行きたいんだけど、来週あたり都合の良い日ある?」
「……………………え?」
「ダメ?」と小首を傾げる仕草にあざとさを感じてしまうのは惚れた弱みのせいだろう。
ハルはクラリと気が遠くなる思いで、来週何か予定はあったかと脳内のスケジュール帳を検索するのであった。




