4、質問
早速やってやると、彼は紙と十円玉をテーブルの上に置いた。
カラオケルームに似つかわしくない異様な光景だ。
狭い室内ではさほど距離をとる事も出来ず、ハルは身を縮ませながら見守る事になった。
桜木は右手の人指し指を十円玉の上に乗せ、緊張した様子で儀式の言葉を口にする。
「えぇっと、こっくりさん、こっくりさん。どうぞおいで下さい。もしおいで下さいましたら『はい』の方へ……」
「……!」
それはすぐに動いた。
桜木の頭に巻き付く触手の内の一本がスルスルと十円玉に伸びる。
彼の体がギクリと強張った。
室内の空気が異様に冷たく感じられ、二人の腕に鳥肌が立つ。
(十円玉が、動いてる……)
彼の指に伸ばされた赤黒い触手が、十円玉を「はい」の文字へと移動させる。
初めて本物のこっくりさんを目の当たりにしたハルは、改めて非現実的な世界に首を突っ込んでいるのだと実感した。
「こっくりさん、こっくりさん、俺の頭から離れてくれませんか?」
十円玉は『いいえ』に移動する。
やはりそう上手くはいかないらしい。
彼は悔しげに歯を食い縛り、一度十円玉を鳥居まで戻すよう頼んだ。
十円玉は素直に鳥居の上に移動していく。
「こっくりさん、こっくりさん、何で俺の頭から離れないんですか?」
──ほ つ す
(ほつす? 何の事だろう?)
ハルが首を傾げると、桜木も意味が分からなかったのか肩を竦めた。
彼の頭上のクラゲモドキがゆっくりと目を瞬かせて紙を見下ろしている。
彼は再び十円玉を鳥居まで戻させた。
「こっくりさん、こっくりさん……俺の頭に憑いて……何を、しようと……してるんですか?」
恐らく彼が一番気になると同時に、一番聞きたくなかった質問だろう。
何もする事が出来ず、ハルはただ固唾を飲んで見守る。
──く ち
(くち? 口の事?)
二人が訝しげに顔を見合わせていると、続け様に十円玉が動き出した。
──わ れ く ち ほ つ す
(わ、れ、く、ち、ほ、つ、す……? ……我、口……? あっ!)
我、口、欲す。
そう理解した瞬間、彼女は反射的に彼の頭上のクラゲモドキを見上げた。
ヌラヌラと赤黒くテカるクラゲの顔には、口だけが無い。
少し遅れて桜木も同じ考えに辿り着いたらしい。
彼の右手がガタガタと震えた。
何も言ってないにも関わらず、十円玉が勝手に鳥居の上に戻っていく。
(まずい、まずいまずい! 桜木君、パニックになってる。私も落ち着かなきゃ、まずい!)
桜木は辛うじて十円玉に指を乗せたまま口を開いた。
「お、俺の、俺の口が……欲しいって事か……?」
十円玉が『はい』に進んだ所で、桜木は「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。
呼吸が荒い。
ここまでが彼の限界だろう。
ハルは咄嗟に十円玉に手を伸ばしていた。
何故そうしたのかは本人にも分からない。
激しくビクついた桜木を横目に彼女は声を荒らげた。
「こっくりさんこっくりさん! 一度鳥居までお戻り下さい!」
クラゲモドキがハルを見る。
少し迷っていたようだが、十円玉はゆっくりと鳥居まで移動した。
息をつく暇も無く彼女は言葉を続ける。
「こっくりさんこっくりさん、私が、私が代わりの口を用意します! だから、も、もう少し、もう少しだけ、待ってて下さい!」
ハルは悲鳴にも近い声でクラゲモドキに頭を下げた。
彼女の行動と発言に桜木は相当驚いたようだったが、お陰で発狂しかねない程のパニックは治まったようだ。
クラゲモドキはハルを見定めるようにジトリと睨み付ける目をしている。
見られているという気持ち悪さと恐怖に震えながらも、彼女は決して目を逸らさなかった。
──し よ う ち
(し、よ、う、ち……承知か……良かった……)
肩の力が僅かに抜ける。
ハルは再び鳥居まで戻るように頼み、今はとりあえずこっくりさんの儀式を止める旨を伝えた。




