3、口約束
「グスッ、ありがど……お姉ちゃん。お兄ちゃんも」
「うん、どういたしまして」
「男がいつまでもベソっかくもんじゃねぇべ」
少年の頭をグリグリと撫でる八木崎の態度が意外で、ハルとしてはまるで見てはいけない物を見てしまったような気分である。
少年は目元を擦り擦り頭を下げると「お家に帰るね」と旨い屋方面へ向かって歩きだした。
その小さな背中を暫し見送り、ハルは感心した目を隣に向ける。
「八木崎君って口は悪いけど、何だかんだで優しいっていうか……面倒見良いよね」
「きめぇ」
(早速口悪い!)
口をへの字にして褒め損だと文句を垂れれば、彼は彼で苦情を口にした。
「お前こそ人を勝手に『人間判別器』にすんじゃねーよ」
「う……ごめん。つい咄嗟に」
無意識だったとはいえ、利用したような感じになってしまった事に関しては言い訳のしようがない。
悪気はないと口ごもっていると、彼は不承不承といった体でガシガシと頭を掻いた。
「チッ……まぁ訳分かんねー内に変なのに連れてっかれちまうよかマシだけんどよ」
ギクリ、とハルの心臓が大袈裟に跳ねる。
少々縁起でもない言い方ではあるが、引っ掛かったのはそこではない。
(も、もしかして八木崎君、小さい頃に私と会った時の事……覚えてたり、する……?)
忍の話によれば、昔ハルが「アライさん」に連れていかれると思って引き留めてくれたのが八木崎だったという。
視える身内を持つ彼には「自分の知らない所で何かが起きているかもしれない」という、何も視えないからこその不安感があるのかもしれない。
(いや……考えすぎかな? でも私が連れてかれるよりマシって、どういう事?)
ひっそり首を傾げた彼女が数秒後に出した答えは、「やはり八木崎は根は良い人間なのだ」というある種の信頼感であった。
「あ、あの、八木崎君……」
「んーだよ」
やはり昔の礼を伝えるべきか──
ぎこちなく口を開いたハルに真面目な空気を感じたのか、八木崎が僅かに歩く速度を緩める。
──その時だった。
「痛っ!」
「っひゃ……!?」
背後から砂のような細かい何かが飛んできて、バチバチと二人のうなじや腕、足などの素肌にぶち当たった。
すぐにパラパラと何かがアスファルトに落ちる小さな音が耳に入り、二人は直ぐ様後ろを振り返る。
そこには「これでもか」という程不機嫌そうにむくれた小学校低学年位の少女が立っていた。
前髪をハート形のヘアピンでカッチリと留めた、いかにも気が強そうな少女である。
両手をはたく彼女の手元から砂がパラパラと落ちるのが見えた。
辺りにも灰色の砂が散らばっており、状況的に彼女が砂を投げつけてきたとしか考えられない。
「え、な、何……?」
表情からしてただのおふざけやイタズラとは思い難いものの、こんな嫌がらせをされる理由に心当たりはない。
困惑のあまり言葉を失うハルとは対照的に、八木崎は苛立った口調で自身の後頭部や背中をはたきだした。
「んーだコレ、砂か? どっから飛んできたんだ?」
「!……何だろうね?」
まるで彼には少女の姿が視えていないような発言だ。
事態を瞬時に察したハルは、実に自然な動きで少女から視線を逸らして話を合わせた。
(今はとにかく、知らんぷりでこの場を離れよう)
こちらの反応を窺っているかのような少女の視線を背中に感じる。
ハルは「不思議だねぇ」と穏やかに話しながらも、八木崎を促すように歩きだした。
彼は彼で何かがあったと察したらしく、小さな悪態を吐きながらもハルの後に続く。
「……で。さっき何言いかけたんだよ」
「あ、えっと……わ、忘れちゃった。ごめんね」
「ハッ。鳥頭かよ」
怪異と思われる少女を背後に昔の怪異関係の話をする気分にもなれず、ハルは誤魔化すように苦笑する。
それ以上深く聞いてこない彼の対応に感謝していると、ふいにハルの耳にキーンという不快な高音が鳴り響いた。
『……を…………でよ…………』
(な、何?)
耳鳴りはすぐに治まったが、少女の物と思しき声は小さすぎてよく聞こえない。
しかし今までの経験上、彼女に意識を向ける訳にもいかなかった。
「んーと、その……」
『……く……らな……で……』
(気にしちゃダメ。無視、無視……)
会話で気を紛らわせようにも、一体何の話題を振れば良いものか──
言葉を探してあれこれと視線をさ迷わせていると、八木崎は仕方ないと言わんばかりに長い溜め息を吐いた。
「……じいちゃんの店の話に戻っけどよ」
「! う、うん!」
「お前常連らしいな。若ぇ女の客は珍しーってんで、じいちゃんすげぇ喜んでんぞ」
「あぁ……ふふっ、そうなんだ。また今度お邪魔しますって七里さんに伝えておいてね」
楽しげに話す七里の顔は容易に想像がつく。
髪を手櫛で整えるハルを尻目に、八木崎はいつになく曖昧に頷いた。
「? どうしたの?」
「いや、大した事じゃねーけんどよぉ」
『……して……の…………くん…………いで……』
(うぅ、気が散る……話に集中しなきゃ)
八木崎の言葉に被せてくる少女の声が気になって仕方ない。
どの位の距離に居るのかを振り返って確認する事も出来ず、ハルはハラハラし通しである。
「ぶっちゃけじいちゃんのセンス古ぃだろ。店変える気とかねーの?」
「いやぁ……特に無いかな。私は流行りの髪とかよく分かんないし」
むしろお洒落な美容室は敷居が高くて萎縮してしまうだろう。
そう告げれば「どんだけ気ぃ小せぇん」と鼻で笑われてしまった。
『……しくして……タシのたっ…………ない……』
(うーん、結構しつこい。このまま家まで来られたら嫌だなぁ)
一体いつまで続くのだろうか。
いっそ彼女の訴えの内容が分かれば解決の糸口が見えてくるのかもしれない。
ハルはなけなしの勇気を振り絞って、ほんの少しだけ背後に意識を向けようと試みた。
「んじゃ~その内俺が髪っ切れるようになったらよぉ。お前の頭、少しは今風にしてやんべ」
『彼氏いるくせにアタシのたっくん取らないでよ!』
「なっ!? ちょ、えぇっ!?」
「せいぜい練習台んなれや」
はたして少女と八木崎、どちらの発言に驚けば良いのか──
返答代わりに八木崎を見上げれば、ククッと喉を鳴らす悪どい笑みと目が合った。
(だから彼氏じゃないし、たっくん誰だし、取る気もないし! なんか八木崎君に髪切られる流れになってるし!)
もしかしなくても先程泣いていた少年が「たっくん」なのだろうか。
子供の焼きもちと考えれば微笑ましい気もしないでもないが、いい迷惑である。
少女は未だに『優しくしてたっくん取らないで!』と繰り返しており、収まる気配がない。
(あぁ~、もう!)
「たっくん取らないから安心して!」
「はぁ?」
「行こう、八木崎君っ!」
ハルは怪訝な表情を浮かべる八木崎の左腕を引っ掴み、言い逃げするかのように駆け出した。
少女の声がそれきり止んだのは良かったものの、八木崎への釈明がまた面倒な事になったのは言うまでもない。




