8、親切③
貰った小豆は食べても大丈夫なのだろうか──
かといって善意でくれたであろう物を捨てるのも気が引ける。
不安になったハルは忍に「急ぎではない」と前置きをしてメッセージを送った。
内容は言わずもがな、不思議な作務衣青年とのやり取りについてである。
返事があったのは翌日の朝だった。
──へぇ~。ハルちゃん、アライさんに会ったんだ?
「アライさん?」
名前は教えて貰えなかったと電話口で告げると、忍は確信を持った口調で「それアライさんだよ」と繰り返した。
──凄いねハルちゃん。またアライさんに会うなんて持ってるっスねぇ~。
「えっと……そのアライさん? って何者なんですか? それに『また』って……?」
彼は人なのか、そうでないのか。
それがハルの一番の疑問であったというのに、更に疑問が増えるとはどういう事だ。
いい加減教えて欲しいと不満を訴えれば、彼は妙に楽しげに了承した。
──アライさんは年に一、二回だけ買い出しで姿を現すんだよね。ハルちゃんはさ、テレビとか漫画でこんな話を聞いた事はないスか?
わざとらしくおどろおどろしい口調で語られる内容は、ハルも映画か何かで知っている伝承であった。
──川のほとりを歩いていると、何処からともなくショキショキ、ショキショキと音が聞こえてくる。
「おや、何だろう」と思い、足を止めて耳を澄ます。
ショキショキ
ショキショキ
まるで小豆を研いでいるような音だ。
しかし人の姿は見当たらない。
ショキショキ
ショキショキ
音に気を取られていると、やがて不気味な歌声までもが聞こえ始める。
『小豆洗おか、人取って喰おか……』
──……と、まぁこれが全国的に有名な「小豆洗い」の話っス。「小豆とぎ」や「小豆はかり」……別称や類似の伝承も多いんだけど、大体はこんな感じかな。
「最後の歌は初耳です……」
ただでさえ「小豆」というワードに嫌な予感を抱いているというのに、最後のくだりが怖すぎる。
もしやとんでもない関わりを持ってしまったのではと肝を冷やしていると、彼は「でもどの話も『人を喰った』ってオチは無いのが面白い所なんスよねぇ」と一笑した。
「えっと……そのお話が何なんです?」
──もう気付いてるでしょ? アライさんの正体。
「そ、そんな……」
馬鹿な、と言いたいのに否定できるだけの材料が無い。
とはいえ、あれ程までに人間味溢れる人物がよりにもよって霊的な怪異ではなく妖怪的な存在だったなど、簡単には信じられない話である。
今までとは明らかに何かが違う怪異に納得できずにいると、忍は更なる追い打ちをかけてきた。
──で、さっき言った「また」の意味なんスけどね。ハルちゃんは小さかったから覚えてないでしょうけど、実は俺、昔一度だけハルちゃんに会った事あるんスよ。
「え!? いつですか?」
──いつだったか……俺が中坊ん時っスかね。喋ってないから覚えてなくて当然ス。
その後に続く彼の話は、今の今まですっかり忘れていたハルの記憶を断片的に蘇らせていくものであった。
僅かに覚えていた記憶と、後になって祖父や親から聞かされた話、忍の補完情報──
それらがパズルのピースのように組み合わさっていく。
ややあって一連の出来事を概ね理解した彼女は、色々な意味で酷く青ざめた。
──あれ、どうしたハルちゃん? もしもし、もしもーし?
(嘘だ……そんなまさか……)
完全にフリーズしたハルの耳に、忍の声は届かなかった。
◇
当時、ハルは六つになるという事で祖父である源一郎の元へ遊びに来ていた。
丁度近所で催されていたフリーマーケットに連れられて来たは良いものの、祖父は周りの大人達にハルをお披露目するばかりですぐに退屈になってしまう。
その際たまたま居合わせたのが、祖父の知人の孫らしき少年であった。
店を見るでもなく、大人達から少し離れた所で地面に落書きをしている彼に親近感を抱き、ハルは勇気を出して声を掛けたのだ。
「ねぇ、なにをかいてるの? お花? かわいいね」
「お花じゃないもん。ライオンさんだもん……」
悲しげに呟く彼に慌てて謝ると、彼は「ライオンさんはね、かわいいんじゃなくて、カッコいいんだよ」とはにかんでみせた。
しばらく一緒に絵を描いていたのだが、大して話も弾まずハルはまたすぐに飽きてしまう。
ふと辺りを見回すと、すぐ近くのベンチに座る男と目が合った。
優しそうな、とにかく穏やかな笑顔の若い男だった。
まだ幼かったハルは「この場にいる大人はみんな祖父の知り合いだから大丈夫」という思考回路で男に近付いた。
「こ、こんにちは……」
「……んー? はいはい、こんにちは」
男はわざわざ前屈みになってハルに視線を合わせて挨拶を返す。
その丁寧な対応が嬉しくて、ハルは人見知りながらもたどたどしく言葉を紡いだ。
「お兄ちゃん、ふしぎなカッコだね」
「んだなぁ、今じゃ珍しいべなぁ」
黒い和装をパッと撫でる男の荒れた手が気になり、ハルは心配そうな目を向ける。
「おててケガしてるの……痛くないの?」
「こらぁ昔っからだかんよぉ。慣れっちまったべ。そんなに痛そうかぁ?」
「うん、すごく痛そう」
手を指しながら「早く治ると良いね」と言えば、男はニコニコと笑顔を浮かべた。
「おぉ、あんがとなぁ。……さーて、そろそろ行くっかなぁ」
「もう帰っちゃうの?」
その時だ。
ハルの腕がグイと引かれた。
驚いて振り返ると、先程一緒に絵を描いていた少年が泣きそうな顔でハルの腕を掴んでいた。
「だ、だれとお話してるの?」
「? このお兄ちゃんだけど……」
そう話していると、男はスッと立ち上がって「じゃーなぁ」と歩きだしてしまった。
「お別れする時はちゃんとバイバイしないと」と思ったハルは、咄嗟に「待って!」と声を上げる。
それを少年はどう勘違いしたのか、泣きながら「知らない人についてっちゃダメなんだよ!」とハルを強く引っ張ったのだ。
別に付いていくつもりでも無かったハルはビックリしすぎて言葉も出ない。
とにかく引っ張られるのが嫌で、半泣きになりながら「はなして」と言うと、終には「じいちゃ、じいちゃー!」と大声を上げられてしまった。
すぐに祖父達が駆け寄ってきて、「ハルちゃんが誰かに連れてかれる!」と涙ながらに訴える少年を宥めにかかる。
申し訳なさげに眉を下げる和装の男をよそに、ハルは祖父達に「知らない人に、知らないモンに付いてっちゃいけないよ」と注意されてしまった。
叱られ慣れていなかった事も相まり、結局大泣きして寝オチしてしまい、少年とはそれきりとなってしまったのだ。




