7、親切②
「そうだ、お礼に一つやんべ」
「あ、いやそんな、お気になさらず」
ジャラリと音を立てて差し出される乾燥小豆一袋。
正直どうしたら良いのか分からない微妙な品である。
遠慮するハルなど気にも留めず、彼は「いーからいーから」とニコニコ顔で小豆を彼女の手に押し付けた。
「んじゃーご親切にどうも」
「いえ、どういたしま──」
ドサドサドサッ。
「「…………」」
狙ったかのようなタイミングで袋の一つが裂けた。
アスファルトに散らばる八袋の徳用小豆──滅多に見られないシュールな光景である。
「……あ、あの……」
「っく……はっはっは! こぉら参った! 見事な禍福倚伏だぁな!」
「かふふ……?」
ツボに入っている彼に「笑ってる場合か」と突っ込む事も出来ず、ハルはオロオロと小豆を再回収した。
そして──
「いやぁ、重ね重ね悪ぃべなぁ」
「い、いえ……」
ハルが持ち合わせていたエコバッグに小豆を入れ替えたまでは良かったものの、どういう訳か荷物運びを手伝うはめになっている。
「袋をあげます」と言っても「それは流石に申し訳ないから」と断られてしまったのだから仕方ない。
すぐ近くの川の所に台車があるから、という物腰穏やかな彼の言葉を信じて付いてきてしまったが、彼女の不安は募る一方だ。
(流石に誘拐とかじゃない……よね? 大丈夫だよね……?)
その川とは以前、竜太が鏡に閉じ込められた際に訪れた橋の下を流れていた川の支流である。
商店街から歩いて五分程の所に小さな橋が掛かっており、どうやら彼はそこに行きたいようだった。
「えっと……もしかして背中の荷物も小豆なんですか?」
「まーなぁ。こっちゃ~わざわざ取り寄せてたのに買い占めんみてーで店の婆ぁに嫌な顔されっちまったべなぁ」
両手を揺すってガサガサ、ショキショキと音を立てる彼の額にはじんわりと汗が滲んでいる。
それはそうだろう。
量を減らしたとはいえ、二袋請け負っているハルですら手が痛くなる程の重みなのだ。
その登山用と思しきリュックにも小豆が詰まっているならば相当の重量である事は想像に難くない。
「こんなに沢山の小豆、一体どうするんです?」
「んー? そらぁ全部使うに決まってんべぇ」
(和菓子職人さんとかかな?)
のんびりカラコロと下駄を鳴らす彼の出で立ちから、ハルは勝手に「下っ端の和菓子職人」という失礼極まりないイメージを抱いた。
ふとした時に視界に入る彼の荒れた手が痛々しい。
「あの、失礼かもですけど、手……大丈夫です? 痛くないんですか?」
「んー、こら職業病みてーなもんだかんなぁ。昔っから慣れっこだんべ」
「はぁ……」
「あー……前にも心配してっくれた優しい子ぉが居たんだけんどよぉ。そんな痛そうかぁ?」
袋を持ち直しながら首を傾げられてしまい、ハルは「かなり痛そうです」と正直に答える。
彼は「ほーん」と曖昧な相槌を打ってしげしげと自身の手の甲とハルを交互に見た。
(この人、マイペースっていうか、天然さんなのかなぁ)
カラコロと何処か懐かしいような足音を聞いて歩く内に、目的の小橋が見えてきた。
「あー着いた着いた。あんがとなぁ」
「いえ、どういたしまして」
二人は自転車と歩行者のみが通れる狭い小橋の手前でヨタヨタと立ち止まる。
時刻は七時。
辺りは薄暗くなってきているが通行人は普通にいる。
ハルの心配は杞憂だったようだ。
見慣れた場所という事もあってホッとしていると、彼は「ちっと待ってな」と両手の袋を地べたに置いて橋の向かいにある月極め駐車場に入ってしまった。
車でもあるのかと一瞬身構えるも、彼はすぐにガラガラと手押しの二輪車を押して戻って来た。
(いや台車っていうのかな、これ……)
農業用のイメージが強いその二輪車は、まずハルの生活圏内では見掛ける事のない代物だ。
コインパーキングの機械や自動販売機、周囲に見えるビル等の都会的な背景と妙にミスマッチで、彼女はつい「なんか違和感凄いですね」と口走ってしまった。
彼は別段気を悪くするでもなく、むしろ嬉しそうに「マイカーだんべ」とリュックを二輪車に載せている。
(変わったお兄さんだなぁ)
彼に倣ってよっせよっせと荷物を載せた所で晴れて任務完了である。
今度こそ帰ろうとエコバッグを畳んでいると、何やらチクチクと刺さる視線を感じた。
「あの……何ですか?」
「んーやな? おめさん、良ーもん持ってんなぁって思ってよ」
「? いやでも、コレ安物ですよ」
百均で買ったエコバッグをちょいと掲げるが、彼は「そっちでなくって」と真っ直ぐハルを見つめた。
どこか頼りない印象の彼だったが、正面から見ると案外精悍な顔立ちをしており、そのせいもあって変に緊張してしまう。
いつまで経っても視線は一切逸らされない。
一体何なのかと困惑していると、彼は感心したように「守られてんなぁ」と呟いた。
「守られ……? 何の話ですか?」
「その御守り、強ぇかんなぁ。大事にしろよー」
(御守りって、忍さんのくれたやつ?)
心当たりといえばスマホにつけているそれしかない。
だがそれだと新たな疑問が生じてしまう。
(どういう事? 私、この人の前でスマホ出して無いのに)
一気に警戒の色を見せるハルを見ても尚、彼はヘラリと微笑むだけである。
掴み所のない態度に自分の物差しでは計り知れない空恐ろしさを感じてしまい、ハルは咄嗟にスマホの入った鞄を抱き締めた。
その行動は彼的に「正解」だったらしい。
彼はまるで幼子を褒めるように「偉ぇ偉ぇ」と目を細めた。
「おめさんは優しい子ぉだっかんなぁ。悪ぃ奴に騙っされねぇように気ぃつけねぇと、ちっと心配なんべ」
「え、と……?」
「わしは助かったけんどよ。知らん大人と知らんモンには付いてったら駄目だで。前にも言われたろー」
一瞬だけキリリとした表情をしていた彼は、「あ、あと知らん男もな」と茶化すように口角を上げる。
(前、にも……?)
訳が分からないにも程がある。
とにかく何か言わねばと焦るハルを待つ事なく、彼は「あんがとなぁー」と手押し車を押して歩き始めてしまった。
「あ、待って! お、お兄さん、お名前は──」
彼はガラガラと車輪の音を響かせながら「御守り小僧に宜しくなぁ」と片手をひらつかせて橋を渡っていく。
意味深な発言の数々に呆然としていると、更に奇妙な現象が起きている事に気付いてしまった。
(え?……えぇ!?)
ガラガラ、ガラガラと手押し車を押す彼の姿が、スゥーっと透け始めていたのだ。
橋を渡る通行人は彼の存在に気付いてないのか目もくれない。
器用に人を避けて歩く彼の姿は、橋を渡りきる前に完全に消えてしまった。
あれだけ耳についていた車輪のガラガラ音も残っていない。
(ひ、人じゃなかったの!?)
しかし彼はサラリーマンとぶつかったり買い物をしていたりと、とても怪異の類いには見えなかった。
ふと御守りの話が頭をよぎり、そういえば……と、ある時に感じた小さな違和感が思い起こされる。
(あの人、小豆を拾う時、凄く慎重に私の事避けてたっけ……)
その時は紳士的な対応だと思ったが、今にして思えば御守りに弾かれるのを避けていたのかもしれない。
「人かと思ったら違った」という展開は初めてではないとはいえ心臓に悪い。
──御守り小僧に宜しくなぁ。
やけに楽しげな声が耳に刻まれている。
それと忠告めいた苦言の言葉も──
(……とりあえず帰ろう)
彼の言う「御守り小僧」が忍の事を言っているのかはさておく事にする。
貰った徳用小豆の入った鞄が地味に重い。
表記を見たら九〇〇グラムもあった。
(何なの、もう……)
星が出てきた空を見上げ、ハルは長い長い息を吐いたのだった。




