6、親切①
「……と、いう感じでした……」
「はぁ~、なるほどね」
「いやはや青春だねぇ。竜太君も罪な男だぁ~」
ポツポツと白状するハルの話を受け、大和田は難しい顔で相槌を打ち、北本は目を輝かせている。
この日、ハルは二人から「勉強ついでに相談に乗るよ」という名目で問い詰められていた。
因みに終業式の後に竜太と出かける情報を二人にリークした志木は用があるとの事で欠席である。
北本家のリビングでお菓子をつまみながら盛り上がる内容が「自分の恋路の報告」でさえなければ、どれだけ気楽だったか──
ハルはジュースをちびちび飲みながら如何にして話題を逸らすか頭を悩ませていた。
「やったねぇ、ハル。戸田ちゃんには悪いけど一歩前進だねぇ」
「前進って?」
「だってあの後輩君、その戸田って子の気持ちは受け取れないけど、ハルの気持ちは受け取れる『かもしれない』って事でしょ? 脈ありじゃん」
大和田の発言に感動したのも束の間、「まぁアタシだったらそんな半端な事言う奴は有り得ないけどね」とバッサリ斬られてしまった。
これに関してはハルも思う所があるので何も言い返せない。
(竜太君、普段は何でもハッキリしてるし察するのも早いのに、こういう事に関しては何というか……疎いんだよなぁ)
「アハハッ、きっと竜太君はまだ友情と恋愛の好きの違いが分かってないんだよ。だからハルにいい加減な気持ちで答えたくないんじゃない?」
「マジ? 照れてるとかじゃなくて?」
「絶対そうだって~。だって竜太君、ハルの事すっごく大事にしてるもん」
(確かに照れてるようには全く見えないけど、アカリちゃんの意見は極端すぎ……実際どうなんだろ?)
今のハルはポリポリとお菓子をつまんでは口に運ぶだけの無口マシーンと化している。
しかし大和田がふと溢した「って事はあの子、初恋もまだなのか」という発言に動揺し、ポロリとお菓子を取りこぼしてしまった。
「はっ、つこ、い……」
「何その『ハッケヨイ』的な噛み方」
ウケんだけどーと笑われるが、ハルとしてはウケてる場合ではない。
(竜太君の初恋、凄い気になる……! でも一ミリも想像つかない!)
いつの間にか北本達の話題は初恋の話に変わっており、やれ「私は幼稚園だった~」だの「アタシは小2」だのと盛り上がっている。
彼女達の思い出話が出れば当然「ハルは?」と聞かれてしまう。
自分だけ黙秘する訳にもいかず、ハルは少し悩んでから「たぶん六歳位?」と答えた。
余程その回答が意外だったのか、北本が大袈裟に驚きのポーズをとる。
「えー、竜太君じゃなかったんだぁ?」
「あ、いや。初恋っていうか、ちょっと良いなって思った子が居たってだけで、名前も覚えてないし」
「ふーん。どんな子だったの? やっぱり無愛想で可愛くない感じ?」
大和田の「やっぱり」発言で彼女が竜太に対してどんな印象を抱いているかがよく分かる。
ハルは顔も覚えていない相手を少しでも思い出そうと試みながら、「その子は違ったかなぁ」と顎に手を当てて考え込んだ。
「すごく大人しい子だったよ。一回遊んだだけだったんだけどね。よく覚えてないけど、その時の私、知らない大人に付いてっちゃいそうになったみたいで」
「はぁ!? 何それ、危なっ!」
事案じゃん! と眉を吊り上げる大和田を宥め、おぼろ気な記憶と後々大人達から聞いた話を照らし合わせて話を進める。
「でもその子が泣いて止めてくれたの。それで大っきい声出しておじいちゃんを呼んでくれて……」
「凄~い。恩人じゃない!」
ドラマチックだと目を輝かせる北本には申し訳ない話だが、ハルの記憶はそこで途切れている。
「私までその子の泣き声につられて大泣きしちゃってね。その後大人達から『知らない人に付いてっちゃダメ』って怒られて、泣きつかれて寝ちゃったの」
「ほうほう。……で?」
「それっきり。だからその子にお礼言ったかも覚えてないんだぁ」
当時は叱られた悲しさや怖さばかりであったが、後になって助けてくれた感謝や礼を言えなかった後悔が募るようになった──
そんな話をざっくりと語り終えると、友人二人のテンションは本日一番の高まりを見せていた。
「ヤバい! これで再会とかしたらドラマじゃん!」
「だよねだよね! ハル、もしかしてその子竜太君じゃなかった!?」
「え、いや、違うと思うけど……」
キャイキャイと盛り上がる二人を止めねば収拾がつかない。
ハルは気恥ずかしさのあまり、深く考えずに話を遮った。
「いやでも初恋っていう程じゃないっていうか、感謝とか憧れ? みたいな感じだし。それに本当に好きになったのは竜太君が初めてで……あっ!」
「ほほう」
「ほほう」
完全に面白がっている二人の視線が生暖かい。
失言を撤回する事も出来ず、ハルはローテーブルに突っ伏して赤い顔を隠した。
(穴があったら埋めて欲しい……)
女三人なんとやら。
申し訳程度に夏休みの課題に手を付けただけの三人は、結局ほとんどの時間をお喋りに費やしたのだった。
(うぅ……いつか私もアカリちゃんとカスミちゃんの恋バナ、乗ってやるんだから)
すっかり夕方になり、実現出来るか甚だ疑問の目標を胸に北本家を後にする。
駅に向かう大和田と別れ、ハルは何となく浮わついた気持ちで商店街に寄り道する事にした。
──竜太君さ。「自分でも分かんない」って気持ちをばか正直に伝えてきたって事は、ハルの事適当に流す気はないって事でしょ~?
──へぇ。気を持たせてるだけかと思って心配してたけど、案外真面目じゃん。
友人達の肯定的な言葉を思い返してはニヤけてしまう。
これはまずいと気を引き締めた所で、夕方のタイムセールに活気づく商店街に到着した。
年季の入った小さなアーケードを潜り、ショッピングモールやスーパーとは違ったささやかな賑わいに紛れ込む。
たまにシャッターが閉まったままの店もあり、切ない時代の流れが垣間見えた。
(そうだ、蛍光ペン買って帰ろうかな)
ついでにお菓子屋でも冷やかそうかと考えていると、前方にある乾物屋から出てきた男の姿が目についた。
ハルとそう変わらない背丈の黒髪の男性だ。
その人物は黒い大きなリュックを背負っており、両手にも四つのビニール袋をぶら下げている。
それだけでも十分目を引くものだが、何より気になったのは服装であった。
(あの格好、作務衣っていうんだっけ? 下駄なのも珍しいな……)
何かの職人を思わせる黒い作務衣が物珍しく、つい目で追ってしまう。
男はヨタヨタとふらつきながらハルと同じ進行方向に歩いていく。
見るからに重そうだ。
(和食とかの材料の買い出しかな? 一人であんな荷物の量、絶対無理だよ)
ハラハラと見守っていると、男の右腕が向かいから歩いてくる帰宅途中らしきサラリーマンとぶつかってしまった。
振り子のように揺れた荷物の遠心力には勝てず、男の右手から荷物がドサリと落ちる。
サラリーマンは一瞬振り返ったが、急いでいるのか録に謝りもせずに会釈だけして立ち去ってしまった。
ビニール袋からは荷物が散らばり、男はすぐにしゃがんで拾い上げる事も出来ず立ち尽くしている。
あまりにも散々な状況が見ていられず、ハルは慌てて駆け寄った。
「だ、大丈夫ですか?」
「……んー?」
「あ、あの、拾うの手伝います……」
二十歳位だろうか。
思った以上に若い男だった事に少々面食らいながらも、ハルは飛び出た大量の徳用小豆を拾っては袋にしまう。
彼は暫しポカンとしていたが、やがてゆっくりとした動作で左手の袋を地面に起くと「悪ぃねぇ」と袋詰めを手伝い始めた。
あかぎれとささくれだらけの無骨な手がハルに触れないよう、遠慮がちに行き来する。
「いやぁ、近ぇからって欲張って買っちまったからバチが当たったんべな」
「あはは……凄い量ですもんね……」
「貧乏性だっかんよぉ。まとめ買いのが得って思っちまんだなぁ」
若くして訛りが強い点は八木崎を彷彿とさせる。
彼はヘラリと人の良さそうな笑顔を浮かべると、「よいせ」と四つの袋を丁寧に立て直した。




