4、招き綿毛④
「げ……」
声の主を確認した途端、竜太が反射的に声を漏らす。
そのたった一文字の小さな声を聞き逃す事なく、声の主は竜太に噛み付いた。
「ちょっとアンタ、『げ』とは何よ!『げ』とは! ほんっと失礼ね!」
肩をいからせ怒鳴りながら近付いてきたのは、黒いロングヘアーがよく似合う細身の少女──愛奈であった。
(この子は確か、竜太君の友達の……)
ハルと彼女が会話をしたのは一度きりで、それも相当前の事である。
その時は彼女に竜太と付き合っているのかと聞かれて心底驚いたものだ。
彼に好意を抱いている今となっては、ハルからすれば最も気が気でない相手といえる。
「煩い。そんなんだから『げ』って言われんだろ」
「はぁぁ~? 何よそれ! 大体何でアンタがこんなトコに居んのよ!」
「戸田には関係ない」
通行人の目も気にせずキャンキャンと吠える美少女を相手にしても、彼の態度は一貫して変わらず冷めたものだ。
(二人共すごい。全然遠慮が無いなぁ)
挨拶しようにも口を挟める隙もない。
会話を妨げないよう控えめにお辞儀をすると、彼女はようやく後ろに控えるハルに気付いた様子で形の良い眉をひそめた。
「あ……えっと……」
「こっこんにちは」
二人の言い合いに水を差してしまったような気がして、ハルは気まずく鞄の持ち手を弄ぶ。
実際は愛奈がほとんど一方的に喋っていただけなのだが、遠慮ばかりの自分とは正反対の彼女の勢いに完全に尻込みしてしまっていた。
しどろもどろになるハルを「人見知りしている」と捉えたのか、竜太が柄にもなく間に立つ。
「ハルさん、こいつ戸田。小中高が同じの腐れ縁」
「ど、どうも……」
改めてペコリとお辞儀をするハルを見下ろし、愛奈も軽く会釈を返す。
どちらが先輩だか分かったものではない状態に情けなさで一杯になっていると、愛奈は不機嫌さを隠しもせずに竜太を睨んだ。
「つーか天沼! あんたアタシにも宮原先輩紹介しなさいよ!」
「何だ、知ってんなら良いじゃん」
竜太は明らかに面倒臭そうな態度で「ハルさん。友達」と簡素にも程がある紹介をした。
(友達……)
これは「ただの先輩」と評されるよりは良かったと捉えるべきなのだろうか──
そもそも「腐れ縁」とは幼馴染みという事なのだろうか──
考えても仕方のない疑問が湧いては溜まる。
愛奈は愛奈で彼の紹介文句が不服だったらしく、ぷぅと膨れながらもようやくまともにハルと向き直った。
「宮原先輩、戸田愛奈です。アタシ演劇部なんで北本先輩や大成から少しだけ話は聞いてます」
「え……そう、なの? よ、よろしくです」
何故か敬語が抜けきれず、愛奈本人から「タメ口で構いませんよ」と気遣われる始末である。
少々ツンツンし過ぎてはいるが、ハルは彼女に対して「しっかりとしたお嬢さん」という印象を抱いた。
(こういうハッキリした美人さんは私みたいなウジウジした人、苛々するんだろうなぁ……)
彼女の恋路を阻む存在が自分で申し訳ないと思う反面、自ら諦めて身を引く気にもなれない。
自己嫌悪に陥るハルを観察するように見つめていた愛奈は、やや緊張した面持ちで話題を変えた。
「あの~、ちょっと気になってたんですけど、もしかして宮原先輩ってあの『宮原のじいさん』のお孫さんですか?」
「あ、うん。そうです」
祖父を知っているのかと口にする前に、愛奈は「やっぱり!」と表情を明るくした。
「どおりで! おかしいと思ってたんです! 全然人に興味ない天沼が、急に『ハルさんハルさん』って言い出したから」
「おい」
「宮原先輩が宮原のじいさんのお孫さんだったんなら納得です。天沼ってば、それで宮原先輩の事気にかけてたんですね!」
先程までのしおらしさは何処へやら。
ホッとしたように早口で捲し立てる愛奈の言葉がザクザクとハルの痛い所に突き刺さる。
貼り付けた愛想笑いがひきつらないよう気を付けるので精一杯だ。
「戸田」
「何よ。大体天沼のくせに女の先輩と──」
「ハルさんに当たんな」
静かに怒気を含んだ低い声に、愛奈のみならずハルまでもが息を飲む。
何がそこまで竜太の怒りに触れたのか──ハルにはいまいち分からない。
しかし愛奈が酷く傷付いた顔をした事だけははっきりと分かった。
「べ、別にそんなつもりじゃ、」
「宮原のじいさんは関係ない」
視線を一切逸らさずに見据えてくる彼の眼力に勝てず、愛奈は一度だけ目を伏せてからプイッと体ごと顔を逸らした。
「~~っマッジで腹立つ! 宮原先輩、こんな口も態度も最悪な奴と居るとロクな目に遭いませんよ!」
「え、ちょ、戸田さん……?」
「アタシ帰ります。天沼なんかに構ってる暇ないんで!」
言うが早いか、彼女は振り返る事なくプリプリと大股歩きで去っていく。
見かけによらず子供っぽい部分もあるのだと驚きつつ、ハルは機嫌を窺うように竜太を見やる。
いつも通りのポーカーフェイスからは先程の怒気が微塵も感じられない。
「ちょっと竜太君、良いの? 戸田さん結構怒ってたけど、追っかけて仲直りした方が良いんじゃない?」
「いい。水差してきたのはあっちだし。それに、返せない気持ちを受け取るつもりも、可能性無いのに下手に希望持たせる気もない」
「そ、そう……」
やはり彼は彼女の好意に気付いていたようだ。
再び歩きだした彼の横に今度こそ並んだハルは、今しがた聞いた言葉をゆっくりと反芻した。
──返せない気持ちを受け取るつもりも、可能性無いのに下手に希望持たせる気もない
(……ん? あれ? いや、待って待って)
「ねぇ、竜太君」
「何」
「き、希望……可能性とかって……私にはあるの……?」
声が震えるのを嫌という程自覚する。
今ばかりは彼の抑揚のない口調が羨ましくなる程だ。
周囲の音が消え、やたらと主張の激しい心臓の音しか聞こえない。
ギュウと両手を握り締めるハルを横目に、竜太は「さぁね」と短く答えた。
「でも」
「?」
「俺の性格上、全然可能性無かったら、そもそもハルさんとあの綿毛見ようとか思わないと思う」
よく分かんないけどね、と締め括られ、ハルはボッと頭部が爆発したような熱に見舞われる。
本日何度目かの爆弾投下であった。
(ななな、なんて事!? 可能性、あるの!? 私に!? いや、そもそも竜太君は何の話のつもりだった!? これ、勘違いだったら私ってば相当痛いやつだ……!)
都合の良い夢でも見ているか、はたまたどこかで解釈違いが起きているのではなかろうか──
具体的に「何の」可能性であるか口に出せなかった事が心底悔やまれるが、今更改めて確認する事も出来ない。
心ここにあらずで歩くハルを見かねた竜太が呆れ顔で声をかける。
「ボサッとしてると転ぶか轢かれるよ」
「ぅ……はい……」
「あ、でもその心配はないか」
「……? 何で?」
「あの『招き綿毛』が宮原のじいさんが言ってた通り、本当にケサランパサランの一種ならさ。引っ付かれてたハルさんには事故どころか幸せが来るかもしれないって事じゃん」
「もし福が来たら教えてね」と真顔で語る彼に、「もう今日は十分……!」と小さく叫ぶハルであった。




