1、招き綿毛①
メリーさん問題が落ち着き、終業式もつつがなく終わった。
生徒達は夏休みに喜ぶ者、受験対策にうんざりする者、オープンキャンパスに夢見る者など千差万別である。
周囲が賑やかに帰宅していく中、ハルはある「とんでもない事態」に直面していた。
彼女からしたらメリーさん問題など霞んで消える程の緊急事態である。
「じゃーねー、ハ・ル♪」
「頑張れよーぅ」
「う、うん。んん……」
(どど、どうしよう! どう頑張れと!?)
気楽な友人達の言葉にすら追い詰められる思いで、昨夜から穴が空く程確認したスマホをもう一度確認してしまう。
画面には紛うことなく、竜太と約束を交わした一連のやり取りが表示されていた。
──終業式の後、夕方暇?
──特に予定ないよ。どうしたの?
──バイト先、メニュー変わった。その日は俺バイト無いから一緒に行ったら社割使える
──え、良いの!?
──良いから言ってる。で、どうすんの?
──行きたいです!
──じゃあ16時にレストラン近くのポストの所で
──分かった! 楽しみにしてます!(キラキラの絵文字)
ハルはぼんやりと歩きながらスマホを閉じた。
(うわあぁぁ、何回見ても本当に約束してるー!)
学校は午前だけで終わってしまった為、一旦帰宅してからの外出となる。
(約束の時間まで長いなぁ……ずっとこの調子じゃ心臓がもたないよ)
あの洒落た店に制服で行くのは流石に抵抗があるので、着替える時間があるのは有り難い。
……が、それにしては微妙な時間指定である。
昼食にしては遅すぎるし、夕食にしては早すぎるのだ。
(もしかしてお昼や夕飯時は混むから、お店の人に配慮して空いてる時間を狙ったのかな?)
あれこれと余計な事を考えては脱線を繰り返す。
彼女の頭は大騒ぎの大混乱であった。
(っていうかそもそも何で誘われたの!?)
新メニューがそれ程までにオススメという事だろうか──
もしかしたら何か相談や重要な話があるのかもしれない。
そこまで考えた所で、彼女はハッと自分の考えの甘さに気付いてしまった。
(そういや竜太君は『二人きり』とは言ってなかったよね?)
場合によっては大成が居る可能性すらあり得るだろう。
自分がどんなに浮かれても、彼はきっといつもと何ら変わりないのだ。
そう考えると一気にやるせなさと切なさが押し寄せてくる。
(……とにかく落ち着こう。一人で馬鹿みたいにはしゃいで恥かくのも嫌だし)
そう結論を出しつつも、結局彼女は長い時間をかけて服選びに没頭してしまうのだった。
(あぁ、もう。今ならユーコちゃんの気持ちが分かる!)
ラーメンフェスの際、女の子らしい服装を選んでいた志木が頭をよぎる。
着なれた服と迷った末、彼女はまだ一回しか着ていない黄緑のハイウエストワンピースに袖を通して家を出た。
(この服、買ったは良いけど色が明るすぎて気後れしちゃうんだよなぁ。……あんまり似合ってなくも、せめて変って思われなければ良いや。高望みしちゃダメだよね)
時刻は約束の五分前。
張り切り具合が悟られない、丁度良い時間である。
「冷静に、冷静に」と自己暗示を掛けながら集合場所に着くと、そこには既に竜太の姿があった。
Tシャツにジーンズという普段通りの格好でポストの横に立っている。
「ご、こめんね、待たせちゃった?」
「特に待ってないけど、遅刻した訳でもないのにその質問って意味あるの」
「な、無い……のかな?」
独特過ぎる返答だ。
気の利いた返しが出来ず口ごもっていると、竜太はまるで気にした風でもなく「行こ」と歩きだした。
「なんかシーフード系とフルーツのメニューが増えてさ。今あの店、厨房が海鮮と果物臭がヤバい」
「そ、そう。でも美味しそうだね」
ギクシャクと後を追いながら早速話題に困った彼女は、「そういえば」と気になっていた事を口にする。
「あの……もしかして二人なの?」
「むしろ他に誰が居ると思ったの」
「え、大成君とか?」
前に竜太の働きぶりを見たがっていたと告げれば、「絶対誘わない」と無表情だった眉間に皺が寄った。
「そんな事より入るよ」と扉を押し開ける彼に慌てて続き、入店する。
いつぞやに聞いたカランコロンという扉に備え付けられたベルの音が店内に響き渡った。
「いらっしゃいませー、って天沼君!?」
「お疲れ様です」
「あーはい。お疲れー……っていうか彼女連れ!? マジで!?」
大学生位の若いウェイトレスが派手に驚いた声を上げる。
にも構わず、竜太はさっさと「あっちの席良い?」と奥の席を指差して返事もしない。
店内はガラガラなのでどの席でも問題は無さそうだが、彼の態度はある意味問題である。
「そら良いけどさぁ……ちょ、マジかぁ~」
「あ、あの、私は別に、」
「ハルさん、こっち」
彼女ではないと訂正する暇も与えられずにクイクイと鞄を引っ張られてしまい、半強制的に席へと促される。
ウェイトレスから離れる間際、ハルの耳は聞き捨てならない言葉を拾ってしまった。
「天沼君が女連れとか、こりゃ~スズちゃん悲しむぞぉ~」
(……スズちゃん?)
ドクン、とこれまでとは違った動悸に見舞われる。
文脈といい可愛らしい名前の響きといい、竜太に気のある女子で間違いないだろう。
(どうしよう。彼女じゃないって言うタイミング逃しちゃった。それに、スズちゃんって)
脳内では早くも可愛らしい女子像が出来上がっている。
フラフラとした足取りで辿り着いたのは奥から二番目の壁際のテーブル席だった。
ハルは心ここにあらずで水やメニューを受け取ると、やっとの思いで声を絞り出す。
「あの……竜太君。スズちゃんって?」
「俺と同じ頃にホールで採用された鈴谷って人」
聞きたい事はそんな事ではない。
顔色一つ変えずにメニューを開く彼を眺める内に、ハルは動揺よりも悲しみの方が強まっていく。
(私が一喜一憂しようが、竜太君には関係無いんだろうなぁ)
メニューを見る振りをして俯いていると、竜太は周囲を確認してから声をひそめた。
「そいつ、正直ウザいんだよね。年が同じってだけで『仲良くするのが当たり前』って顔してさ。馴れ馴れしいし、個人情報しつこく聞いてくるし」
「そう、なんだ……」
「周りも面白半分で俺とくっ付けようとしてんのもムカつく。こっちが避けてんのもお構い無しでさ」
心底嫌そうに語る彼の口振りに、ハルの心は安堵とそれに対する罪悪感が吹き荒れる。
自身に好意を抱いてくれる女子をそこまで嫌悪しなくても……とすら思った所で、彼女はある可能性に気付いてしまった。
「あの、さ。もしかして私を今日誘ってくれたのって……」
都合のいい虫除け──そんな言葉が頭に浮かぶ。
竜太は少し考えた後、「メニュー決めるよ」と話題を逸らした。
(……まぁ、そうだよね。いくら社割が使えるからって、理由もなくこんなお洒落なお店に誘われる訳ないよね)
そうと分かれば、せめて彼の期待に添えるよう彼女の振りを全うする他ない。
長々と落ち込んではいられないと、ハルは気を取り直してメニューを選んだ。
「──で、あとデザートは食後でお願いします」
「はい、かしこまりましたー」
先程のウェイトレスが復唱するのを貼り付けた笑顔で聞き流す。
その間竜太はどこか落ち着かない様子で視線を落としていた。
(大丈夫。何でもない振りは慣れてるもの。今の私は少しでもお店の人に竜太君のデート相手に見えるよう頑張るしかない)
ハルが精一杯の涼しい顔でキリッと姿勢を正していると、竜太が深いため息を吐いた。
「ハルさんさ、不自然すぎ。俺別に彼女の振りしてもらう為だけに誘ったんじゃ無いんだけど」
「え? そうなの?」
「まぁ二割位は虫除けの期待してたけど」
(二割は期待してたのか……)
案の定の虫除け発言だったが、意外とダメージは少ない。
今のハルは勝手な想像で悶々とするより、はっきりと言葉にされた方が気楽であった。
「じゃあ、残りの八割は……?」
なるべく傷付かない内容である事を願う彼女に、竜太は「それはもうちょっと待って」と再度視線を斜めに落とした。
(よく分からないけど、話題変えたいなぁ。気まずすぎる……)
長い沈黙が重い。
ハルと同じ事を思ったのか、竜太がポツリと口を開く。
「ハルさんは夏休みって塾以外に予定あるの」
「一応、大学のオープンキャンパスには何ヵ所か行く予定だよ。まだ志望校は確定じゃないけどね。竜太君は?」
「……未定」
視線を落としたまま頬杖を付く彼に違和感を感じつつも、あえて気付かない振りをする。
「大学って県内?」
ようやくまともに竜太の目がハルに向いた。




