4、選択肢
三人が連絡先を交換して以降、三沢と持田は度々教室内でも話をするようになった。
富士グループは解散後もクラスで孤立化していた為、三沢にとっては話し相手が出来て嬉しかったのだろう。
それを孤独回避の利用と捉えるか、新たな友情と捉えるかは難しい所ではあるが──
ハルの方は特に変わるでもなく、時折三人のグループチャットを確認するようになった位である。
内容は当然、メリーさん関連のものだ。
──さっきの授業中、廊下に来てたな。
──え、そうなの? 宮原さんは何か聞こえた?
──前と同じだよ。「私メリーさん。今お時間宜しいかしら?」って言ってたよ。また来るってさ。
相変わらずメリーさんは扉の向こうにしか現れず、背後に現れたのは落書きを確認しに行った時の一度きりだったらしい。
(気配も嫌だけど、あの声、可愛いのにやたらと怖いんだよね。作ったような声っていうか……)
ハルの頭には狼が山羊のお母さんの振りをする姿が浮かんでいる。
まるで室内にいる獲物が自ら扉を開けるまで、ただひたすらジッと待っているかのような──そんな光景だ。
普通ならば待ちくたびれたり苛立ったりするようなものだが、このメリーさんからはそういった人間的な感情を一切感じられないのが不気味さに拍車をかけていた。
──最近来る回数増えてきてウゼェよなぁ。まぁ声が聞こえる宮原のが被害でかそうだけど。なんかごめんなー
──あ、そっか。宮原さんは大丈夫?
──私は大丈夫。
慣れてるし、という一文は自重しておく。
ハルは「それよりうっかりドア開けないようにね」とだけ添えると、いい加減面倒になってきたやり取りを強制終了した。
(三沢君は家でもあの気配を感じるって言ってたっけ……私はたまに居合わせるだけで済んでるけど、地味にキツそうだなぁ)
とはいえ、わざわざ竜太や忍に相談する程の差し迫った状況とも思えない。
誰かに話すだけで気が楽になるのなら、話位は聞いてやろうと腹をくくる。
それがハルにとっての、さして親しくない三沢にしてやれる精一杯であった。
そうこうしている間に期末テストは無事に返却され、夏休みも目前となった頃。
慣れすら生じていたメリーさん問題に少しだけ進展があった。
「持田、宮原、おはよーさん。昨日ダチから新情報来たぜー」
「そう。良かった……のかな? どんな情報だったの?」
あれだけ相談に乗ってしまっただけに、やはり気になる気持ちは強い。
ハルが周囲を気にして小声で問えば、三沢もヒソリと声量を落とした。
持田も新情報の内容が気になるのかソワソワと耳をそばだてている。
「それがさぁ、対処法ってのが一つじゃないらしくって……」
そこまで話した所で予鈴が鳴ってしまった。
それ以降ゆっくりと話ができる機会が訪れず、ハルは一日の大半をやきもきと過ごすはめになってしまう。
(乗りかかった船ってこういう事なのかなぁ)
今日このまま帰ったとしても、話の続きが気になって勉強に身が入らないだろう。
自分は安全な場所にいるからこその余裕で、彼女は三沢に「後で話を聞かせて」とメッセージを送ってしまったのだった。
さて、放課後会議も三度目となれば気楽なものである。
ハルは帰ろうと誘う友人達を上手く誤魔化して図書室に向かった。
(毎回喫茶店なんて勿体ないもんね)
変に気を使わなくなってきた三者の関係性が何なのかは分からないが、最初の時程の嫌悪感は無い。
ハル自身感情の変化に驚いている程だ。
(三沢君、そこまで怖い人じゃないって知っちゃったしなぁ)
図書室に入ると既に男子二人は最奥の机に着いていた。
一刻も早く情報の共有をしたかったのだろう。
三沢はハルが着席して早々、朝の続きを語りだした。
彼の友人が得た情報によると「七不思議のメリーさん」の対処法は分かっただけでも三つあるらしい。
一つ目は「メリーさんからの電話に出た際に『時間は無いし、番号も間違ってますよ』と答える」というもの。
二つ目は「壁に書かれた自分の電話番号を消す」というもの。
三つ目は「別の人物の電話番号を書いて、メリーさんにそっちに行ってもらう」というもの。
ちなみに対処法ではないが、メリーさんが訪れた際は決して扉を開けて迎え入れてはいけないという。
メリーさんを招き入れたが最後、血を抜かれたり包丁で惨殺されたり、足を取られたり首を切断されたりするらしい。
(いやいや、何で最後の部分だけそんな雑にバリエーション豊富なの)
もし実際に被害に遭った人物が居たとしても、話を残せる筈が無いから結末部分だけ創作らしくなったのだろうか──
何れにせよ、三沢の人並み外れた察知能力による「扉を開けない」という判断は知らずして大正解だったようだ。
と、ここでハルは重大な問題に気付いてしまった。
「ねぇ。その対処法って、ほとんど無理なんじゃ……」
そう、実質対処法が一択しか残っていないのだ。
本人も既にその事に気付いているようで、渋い顔をして宙を仰いでいる。
二人より少し遅れて理解した持田が狼狽えた声を出した。
「え? あ、そっか……電話は一回しか掛かってきてないし、壁に書かれた電話番号も今は消えてるから……」
残された方法は三つ目の「別の人物の電話番号を書いて、メリーさんにそっちに行ってもらう」しかない。
(そんな……それじゃあ被害者が別の人になるだけじゃない)
自然と険しい顔になってしまい、ハルは慌てて三沢から視線を逸らした。
持田がオドオドと落ち着きなく口を開く。
「えっと……三沢君はどうするつもりなんだい? ま、まさか本当に誰かの番号を……その……」
まるで疑うような問いかけに、三沢は明らかに気分を害した様子で顔を歪める。
「んーだよ。お前まさか俺がお前らの電話番号書くかもとか思ってんのか!?」
「ひっ、そ、そんなつもりじゃ……」
「そりゃ信じろってのが無理な話かもしんねーけどさ。んな心配しねーでも、もし俺が誰かの番号を書くとしたら俺の番号を書きやがった奴らの番号だぜ」
ピリピリとした険悪な空気が漂い始め、ハルは何も言えずに俯く。
(持田君の気持ちも分からなくはないけど……今の言い方はちょっとマズイよね。それに三沢君の性格なら、やられたらやり返したくなるだろうし……)
そう考えた所で彼の口振りが妙に引っ掛かった。
──俺の電話番号を書きやがった奴ら……
「……ね、ねぇ。もしかして三沢君は誰が三沢君の電話番号を書いたか分かってるの?」
そう口にした時、ハルは三沢が酷く冷たい目をしている事に気付いてしまった。
あまりの形相に思わず絶句してしまうが、彼はムスリと口を閉ざしたままである。
(何なの? 三沢君のこんな怖い顔、初めて見る……)
ハル達が絡まれていた頃、彼はいつも笑ってばかりの位置付けだった。
それが今はまるで怒りを通り越して無になったような、一切の光を感じない目をしているのだ。
思わぬギャップに衝撃を受けていると、彼はガタッと大きな音を立てて立ち上がった。
「……俺、帰るわ。もしかしたら他に手があるかもしんねーし、今んとこ切羽詰まってる訳でもねぇ。そんな深刻に考える必要もねーだろ」
「…………」
どう考えても本心ではないだろう。
自宅も外出先も関係なく、ほぼ毎日のように現れる邪悪な存在に「切羽詰まってない」筈がない。
しかし彼はハル達の方を見ないまま「じゃーな」と吐き捨てるように呟いて図書室を出て行ってしまった。
持田が慌てて後を追う。
「ま、待ってよ三沢君! あ、宮原さん、またね!」
「あ、うん。またね……」
重苦しい空気の余韻はバタバタと遠ざかる持田の足音で掻き消える。
ハルはホッと息を吐きながら眉間を押さえた。
(あの二人、大丈夫かな……仲直り出来ると良いけど)
こんな事になるなら始めから忍にでも相談しておけば良かったかもしれない、と罪悪感が胸を刺す。
もし自棄になった三沢が扉を開けてしまったら──
もし三沢の怒りが治まらず、八つ当たりでハルや持田の電話番号を書かれたら──
良くない展開ばかり想像してしまい、彼女はスマホに目を向ける。
(……余計な事かもしれないけど、何もしないよりは良い、かな?)
その後帰宅したハルはたっぷり時間をかけて考え抜いた末、三沢にメッセージを送信した。
(余計なお世話って怒られたらどうしよう)
すぐに既読は付いたが、彼から返事が届く事は無かった。




