7、自販機
「ずるい」
今朝、ハルは通学路で何の前触れもなく竜太に捕まった。
「俺も忍さんの手伝いしたかったのに」
出会い頭に告げられた不満の言葉に戸惑いながらも、ハルは反射的に「バイトで断ったと聞いた」と反論する。
しかし「ハルさんが俺の代わりに誘われるとか思わないじゃん」と更に言い返されてしまった。
「忍さん、最近忙しいとか言って全然帰って来てくれないのに……」
よほど手伝いに行きたかったらしく、竜太はムゥと口を尖らせてばかりで一向に機嫌が直る気配がない。
不満はハルだけでなく忍にも向けられているようで、彼の「ずるい」攻撃は一転、「何をしたの」という仕事内容についての質問攻めに切り替わっていった。
いつも誤魔化されている自称公務員について知る、またとない機会なのだから仕方ない。
忍に口止めされてないとはいえ、竜太にこれ以上怪異に興味を持たれるのは良くない気がして、ハルは説明して良いものか悩みに悩む。
ここでようやく竜太も自分が無茶を言っていると気付いたらしい。
バツが悪そうに爪先で地面を蹴る仕草が相変わらず子供っぽく見えてしまい、ハルはつい妥協して忍の許可を得られたら説明する事を提案してしまった。
そしてその提案は思いの外素直に受け入れられる事となる。
「じゃあ忍さんの返事、待つ」
「う、うん。なんか、その……ごめんね?」
「別にいい。よく考えたらハルさんは悪くないし。でも次は絶対俺が行きたい」
「そ、そう……」
理由はさておき、彼にここまで強く求められる忍が羨ましいとすら思えてしまう。
(そう考えると私、竜太君に本当に何とも思われてないんだろうなぁ……)
むしろ嫉妬の対象が自分なのだから虚しい話である。
内心で酷く落胆するハルの心情など気にも留めず、竜太はあっさりと話題を変えた。
「そういやこの間大成達とバイト先に来てたらしいね」
「あ、うん。大成君が竜太君を驚かせようって」
「調理補助だからどうせ会えないし意味なかったけどね」
何の感慨もない口振りに苦笑していると、竜太はふと思い出したようにスマホを弄った。
「もしうちの店で食べたかったら俺に言ってくれれば社割きくのに」
「そうなの?」
「うん。来週からチーズのフェアやるみたいだし、もしまた食べに行くなら言って。都合が合えば最大十パー引きになる」
「へぇ、ありが……え、都合!?」
流れるように新メニューの画像を見せられ、まさか一緒に行くつもりなのかとハルは動揺する。
対する竜太はさも不思議そうに首を傾げて画面を消した。
「俺が居なきゃ社割になんないもん」
「あ、そそ、そっか。そうだよね、うん」
その後、ハルは自分が何と返したのかハッキリと覚えていない。
他意は無いであろう予期せぬ誘いにひたすら動揺し、よく分からない相槌を打っていた自覚だけが残っている。
(あぁもう、あんなあからさまに動揺して恥ずかしい!)
話をしていた時は「イタリアンレストランで食事なんてデートのようではないか」などと思っていたのだが、よくよく考えてみると竜太は別に「二人で」とは言っていなかった。
「……ル、…………てば」
(うぅ、もし「大成君達も一緒に」って意味だったら余計に恥ずかしいんだけど)
「ねえ、何飲むの?」
「ハルってば、何ボーっとしてんの? 早くしないと休み時間終わっちゃうよ!」
(!)
友人の呼び掛けでハッと我に返り、ハルは慌てて自動販売機に向き直った。
友人は既に財布から小銭を出しており、小難しい顔で飲み物を選んでいる。
「何飲む?」
「うーん、ストロベリーティーか、オレンジソーダか……迷うなぁ~」
「え……ユーコちゃん、確かオレンジソーダ目当てで自販機まで来たんじゃ?」
この自動販売機はハル達の教室から離れた場所にある。
近場の売店には志木好みの飲み物が無いという事で、貴重な休み時間を使ってわざわざここまで足を運んだのだ。
「いやぁ、まさか新商品があるとは思わなかったんだもんよー」
「どっちにするの?」
「私は……何にしようかな」
う~んと唸る友人の横に立ち、ハルも飲み物を選びにかかる。
どこにでもある、至って普通の自動販売機だ。
「ん~……よし、決めた! 同時押しして天に任せる! ハルは?」
「何にする?」
「うーん、私はお茶にしようかな」
「おりゃっ」と二つのボタンを同時に押す賑やかしい友人を見守りつつ、ハルも小銭を握りしめる。
緑茶とほうじ茶のどちらにするか考えていると、ガコンと飲み物が吐き出された。
「どっちになった?」
「えーっと、ありゃま。ストロベリーティーになったわ~」
「新商品、美味しいと良いね」
そう言いながら小銭を投入する。
学校の自動販売機は一律百円なのが有難いものである。
「いやでもコレ、どうだろね? 今んところ私ん中でオレンジソーダがサイキョーだしなぁ 」
「ふふ、そっか」
「どのお茶にすんの?」
ハルはピッとボタンを押してほうじ茶を購入する。
ガコンと吐き出されたほうじ茶を手早く取り出し、ハルは友人を振り返った。
「じゃ、教室戻ろうか」
「ねぇ、何にした?」
「だねー。……あ、これビミョーだわ。匂いだけやたらすっぺ甘い」
「ハズレだぁぁ」と喚く友人──志木を宥めながら、ハルは自動販売機に背を向ける。
「ねぇ、次は何飲むの?」
自動販売機の後ろから顔だけを半分出している若い女性の問いかけは止まない。
自動販売機のすぐ後ろは壁である。
当然、人間が入れるようなスペースがある筈もない。
「ねぇ、何にしたの?」
うっかり返事をしそうになる程に親しげな口ぶりだが、その表情はニタニタと薄気味悪いものだ。
ダラリと垂れ下がる長い前髪の隙間から覗く双眼が三日月のように細められている。
「今度はどれ飲むの?」
「何を飲みたいの?」
「ねぇ、何買うの?」
ハルは決して振り返らず、最後まで応える事もなかった。
◇
その日の夜、忍に「竜太に手伝いの内容を話しても良いか」と聞くべく電話をかけた所、ハルにとって予想外な反応が返ってきた。
──出来ればトンネルで視た怪異や旧世与以外でも視える場所があるって話は伏せといて下さい。竜太には無難に「立ち入り禁止区域の見回りをした」とでも言っておいてよ。
「え? 内緒にするんですか?」
元々手伝いを誘われていたのは竜太の筈である。
まさか口止めされるとは思わず、ハルは戸惑いながらスマホを握りしめた。
ストラップ代わりにつけられた真新しい御守りが小さく揺れる。
──先日はど~~しても手伝ってくれる適任者の都合がつかなくてね。それでやむ無く竜太やハルちゃんに声をかけたんスよ。
「はぁ……」
──怪異に関わらないで済むならそれに越した事はないって、ハルちゃんなら分かるでしょ?
「まぁ、そうですね」
無理矢理関わらせて来たのは忍の方では、という言葉を寸での所で飲み込む。
ハルとしては日頃助けて貰っている立場上、やむ無くその礼を返したに過ぎないのだ。
──竜太は好奇心が強すぎて危うい。誘っておいてこう言うのも何だけど、正直これ以上こちら側に興味を持って欲しくないんスよ。
「なるほど……その気持ちは少し分かります」
怪異に魅入られて闇に溶け込んでしまう竜太を想像してしまい、ハルは静かに項垂れる。
忍の言う通り、下手に怪異の話をひけらかすよりも無難にはぐらかした方が良い気がした。
「でもその説明で納得してくれますかね? 多分竜太君、忍さんの手伝いが怪異関係だって勘づいてますよ」
──鋭いかんなぁ、アイツ。
しばらく思案した後、忍は「竜太には俺の方から『ただの見回りだった』って伝えとくっスよ」と提案する。
──それでハルちゃんがまた何か聞かれたら、同じ返しをすりゃあ良い。アイツは賢い。口裏合わせてると気付いても、それ以上の詮索が無駄だと分かりゃ諦めんだろ。
「……少し心苦しいですが、分かりました」
──まぁ竜太の為を思えばこそってヤツっスよ。それに見回りってのも嘘って訳じゃないしね。
「た、確かに……?」
物は言いようである。
嘘は吐かずに肝心な部分は隠す──
いつもの忍のやり方に大人の狡さを感じながらも了承すると、彼の話は竜太からハルへと移り変わった。
──その点、ハルちゃんの対応は百点満点でしたよ。
「対応、ですか?」
──そ。もし竜太だったら、あぁもスムーズに事は運ばなかったっスから。優秀優秀。
(忍さん、それは褒め過ぎ!)
リップサービスにしても買い被り過ぎである。
ハルは即座に否定したが、彼は冗談とも本気ともつかない口調で恐ろしい事を口にした。
──いやいや、警戒心と恐怖心を適切に持ちつつ冷静でいられるのは、協力者として素晴らしい素質っスすよ。もしまた機会があったら似たような手伝いをお願いするかもしれませんが、その時は宜しくお願いしますね。
「えっ!? そ、それは」
──大丈夫、身の安全は保証しますんで。場合によっちゃー上からバイト代が出るかもだし、まぁそれはその時になったら説明するからさ。
「…………は、い……」
(うぅ、断りにくい)
いくら安全でも怖い思いは御免である。
「忍=いざという時の頼みの綱」という考え方のせいで、ハルははっきりと断る事も出来ないまま、流されるように通話を終えた。
(何か面倒事が長引いちゃった気がする……)
怪異に惹かれているのに関わらせて貰えない竜太とは逆に、怪異と関わりたくないのに巻き込まれる自分──
その矛盾と後ろめたさで気が滅入ってしまう。
(そういえばバイト代が出るかもって言ってたっけ……そういう話はせめて普通のバイトを経験してからが良かったよ)
ハルはいつ訪れるか分からない仕事の誘いに戦々恐々としながらベッドに倒れ込むのだった。




