5、飲食店
それは突然の誘いであった。
「宮原先輩、宮原先輩! 土曜日一緒に飯食いに行きましょう!」
「えぇ!?」
「はいぃ!?」
放課後の下駄箱前。
驚愕の声を上げるハルと志木に構わず、大成は嬉々として言葉を続けた。
「天沼のバイト先の店に突撃して、驚かしてやりましょーよ!」
「あぁ、そういう事……」
彼の他意のない眼差しに呆れつつも納得する。
その話に食い付いたのはハルではなく志木だった。
「へぇ、あの子バイトしてたんだ? 面白そうじゃん。私も参加して良い?」
「もちろんっす! あのブアイソが上手くやれてるか見に行ってやりましょう!」
ノリの良い返事にすっかり気を良くした大成は「アイツその日は早番って言ってたんで、昼前に行きましょう!」と、もうハルも行く前提で話を進めている。
(塾は午後からだから行けない事はないけど……竜太君は嫌がるだろうなぁ)
止めておいた方が良いと思う反面、働く竜太を見てみたいという好奇心もあり、ハルは難しい顔をして黙り込んでしまう。
その表情を見た途端、大成は何やら慌てた様子で取り繕い始めた。
「あ、いや、そんな真剣に悩まなくて大丈夫っす! 天沼っていつも無表情だから怒ってるって誤解されるかもしんないっすけど、根は良い奴なんで!」
「? うん?」
「ほら、前に宮原先輩が困ってた時だって助けようとしてたし。ホント、悪い奴じゃないんすよぉ!」
どうやら大成はハルが竜太に苦手意識を持っていると誤解しているらしく、彼なりに竜太のフォローをしているようだ。
気遣いは有り難いものの、見当違いもいい所である。
(大成君、どうせなら私を竜太君にプロデュースして欲しかったよ……)
かといって「苦手どころか惚れている」などとは言える筈もなく、彼女は無難に「そうだね」と相槌を打つだけで精一杯であった。
「宮原先輩が一緒なら天沼もそんな怒んないと思うし、その、えっと、ホント分かりにくいけど悪い奴じゃないんでっ!」
「う、うん……」
(怒られなくても嫌がられた時点でマイナスイメージな事に変わりはないんだよなぁ)
なぜ彼が必死になって竜太の良い所をハルに伝えたいのかはさておき、何だかんだで竜太のバイト先に三人で出かける約束を交わしてしまった。
「部活があるから」と嵐の様に去っていく大成の背を目で追いつつも、志木はとうとう堪えきれずに吹き出した。
「大成ちゃん、なーんか誤解してるっぽいねぇ。ウケる!」
「は、はは……」
「でもさ、大成ちゃん的には生意気君とハルに仲良くなって欲しいっぽいね」
何でだろー? と首を傾げる志木の顔色がやけに明るい。
姿が見えなくなってもなお大成が走って行った方向を見つめる友人の横顔を見て、ハルはふとジムに行った時に聞いた北本の話を思い出した。
──なんか最近気になる人が出来たみたいだよ~。だから張り切ってるみたい。
──誰かまでは聞いてないけどね。学年が違うって言ってたから後輩みたいだよ。
(もしかしてユーコちゃん、大成君の事……?)
確信がないまま直球で聞くのは何となく憚られる。
結局ハルは志木への疑問を胸に抱えたまま約束の日を迎える事となってしまった。
◇
カランコロン──
シックな扉を開いて入店すると、扉の上部に備え付けられたベルの音が落ち着いた店内に鳴り響いた。
ハル達三人はウェイトレスに案内されるがまま店内奥の座席へ着席する。
高校生のランチにしては少し値段がお高めの小洒落たイタリアンレストランだ。
個人経営の店だが中は結構広くて座席数も多い。
まだ昼時前な事もあり、客はハル達を除いて二組しか居なかった。
店内で確認できる従業員はウェイトレス二人しかいない。
「あれ!? 天沼いねーじゃん。何で!?」
「……もしかしてキッチンなんじゃない? 大成ちゃん、天沼ちゃんに仕事内容確認した?」
「……してないっす」
(あ。そういや作る方って言ってたような……?)
完全にウェイターだと思い込んでいた大成はあからさまに落胆している。
ハルもすっかり忘れていただけに彼だけを責める事は出来る筈もなかった。
何度も「調査不足で誘ってスンマセン!」と謝罪する彼を宥めに宥め、ハルと志木はメニューを広げる。
「美味しそうだね」
「だね! 私ピザ食べたい!」
早くも気を取り直した二人に安堵したのか、大成も「俺もピザ食いたい!」といつもの調子に戻っていく。
トッピングをハーフにするか二枚を分け合うかで盛り上がる志木と大成の様子に、ハルは少しだけ居心地が悪い気持ちになる。
(やっぱりユーコちゃん、大成君と話す時、なんか違う気がするなぁ)
元々テンションが高めの彼女が、普段に増して明るく輝いた表情に見えるのだ。
肝心の大成は志木の変化に全く気付いていないが──
(なんていうかこの二人、お似合いっぽくて良いなぁ)
友人の恋路を生暖かく見守っていると、背後の方で扉が開く音がした。
カランコロン──
「いらっしゃいませー」というウェイトレスの言葉につられて振り返ってみると、新たに入店した二人の女性客が指で二を示している姿が見えた。
前を向き直るとほぼ同時に同じ音が鳴り響く。
カランコロン──
「なーんか混んできたねぇ~」
扉に目を向ける志木に頷きながら、ハルも律儀にもう一度振り返る。
今度は大学生位の五人組の客が案内されていく姿が見られた。
「いやぁ、早めに来て良かったっすね!」
当初の目的など忘れたように胸を張る後輩に突っ込みつつ、三人は注文を済ませる。
(ん? っていうか竜太君が厨房にいるって事は、竜太君が作ったかもしれない料理を食べるって事なんじゃ……)
そう考えるとかなり貴重な経験をしているのかもしれない。
竜太がどこまで料理に関わっているかは分からないものの、ハルは来て良かったとすら思い始めていた。
カランコロン──
また扉が開き、今度は一人の中年男性客が入店する。
脂ぎったボサボサの髪を雑に結い、くたびれた大きなリュックを背負った浮浪者のような男性だ。
ボリボリと首筋を掻き毟りながらレジカウンターに近付く姿は、無精髭も相まって不衛生な印象しか抱けない。
全くもって店に似つかわしくない風貌である。
(あぁいう人も来るのか……って違う!)
失礼な感想の直後に違和感の正体に気付き、ハルの肩が強張った。
(私、今振り向いてない! 何で入ってきた男の人の姿が分かったの!?)
何なら男性が気だるげに店内をクルリと見渡す目線の動きまで分かった。
直接見ていないのだから、正確には「頭に映像が流れ込んできた」が正しいのかもしれない。
(な、なんで……どうなってるの?)
あまりにもリアルな視覚情報に脳が混乱している。
ヨロヨロと覚束ない足取りで厨房に向かっていく男性の背中が視えたのを最後に、彼の動向は分からなくなった。
大成に視線を向けると、彼はハル以上に困惑した様相で水の入ったグラスを弄くり回している。
志木はお喋りに夢中で、例に漏れず異変には気付いていない。
「──で、さ。大成ちゃんは夏休みって何か予定あんの?」
「あー、やー、まだ特には……」
(大成君、挙動不審過ぎ……ん? もしかして……)
忙しなく視線をさ迷わせる大成の反応からして、もしかしたら彼にはまだ男性の姿が視えているのかもしれないと思い至る。
ハルが何らかのフォローを入れようと口を開いた時だった。
ガシャーン!
突如としてけたたましい金属音が店内に響き渡る。
一拍置いて「大変失礼致しました」という声が厨房の方から小さく聞こえた。
その声はハルのよく知る声──竜太の声であった。
「……っくりしたぁ~。今のって天沼ちゃん? 鍋でも落としちゃったんかなぁ?」
「……かもね」
「意外とドジっ子だったり? 可愛いトコあんじゃん」
目を見開きながら胸を押さえる志木に話を合わせ、ハルは厨房の方と大成を交互に見やる。
大成は眉間を軽く押さえながら「いやいや、天沼よぉ……」と目を伏せていた。
厨房から飛び出してくる男性の気配を察知して、ハルは慌てて目線をテーブルに戻す。
カランコロン──
酷く怯えた様子の男性が逃げるように店を出ていく後ろ姿を最後に、「見ていないのに視える」という奇怪な現象は終了した。
(竜太君、一体何をしたんだろ……)
大成の苦笑に苦笑で返す。
暫くして出されたピザやパスタはとても美味しく、三人での話も盛り上がったのだが、ハルは終ぞ厨房で何があったのか聞く事は出来なかった。




