4、同乗者
車は午後二時を過ぎた頃にハルの家の少し手前で停車した。
見慣れない車が家の前で停まったら家族が心配するだろうという忍なりの配慮である。
その気遣いは見事に当たり、ハルは明らかにホッとした様子で車を降りた。
もし車から降りる所を母親に見られでもしたら厄介なのだから仕方ない。
「すみません、ここまで送って頂いて……御守りもありがとうございます。大事にします」
「何の何の。そんなに喜んで貰えたならあげた甲斐もあるっスよ」
「避」とプリントされた赤い御守りを大切に握りしめるハルを見て、忍は切れ長の目を細める。
彼女の態度は控えめながらも心底喜んでいるのがよく分かるものだ。
和やかに思う一方、忍の頭に浮かんだのは年々小憎たらしくなっていく竜太の仏頂面である。
彼は眉間の皺を誤魔化すように眼鏡を持ち上げると、運転席側の窓からハルを見上げた。
「ま、何かあったら相談しなよ。話くらいならいくらでも聞きますんで。今日はホント、おつかれさまっした」
「あ、はい。お疲れ様でした」
会釈と共に車を発進させると冷えた空気がフワリと車内で揺れる。
「……ほーんと、良い子っスねぇ」
ポツリと漏らす言葉に返事をする者はいない。
延々と流れる空々しいJ-POPがいい加減耳障りになり、彼はオーディオをオフにした。
強風設定でつけていた暖房も切り、バックミラーに目を向ける。
「あんたみたいなのにも同情してくれるなんてさ」
彼はミラー越しに後部座席の後ろ──トランクスペースから頭を少しだけ出している者を睨みつけた。
ギチ ギチ
ギチ ギチ……
その者は後部座席のヘッドレストを握り締め、血色の悪い長い爪を布地に食い込ませている。
爪どころか指まで折れそうな力加減だ。
音楽と暖房が止まった事で、音はより鮮明なものになっていた。
ギチ……ギチ
ギチ、ギチ
──ぁああ゛ぁ……許 せなぁ
あぁ……ぅあ゛あぁ……しぃぃ、死ぃねぇぇ……
掠れた女の小さな声が、似たような言葉を何度も繰り返している。
耳をすまさなければエンジン音にかき消されてしまう程に微かな呟きだ。
ギチ……ギチ
ギチ ギチ……
──ぅ、ぁ゛あぁ……死ね、死ねぇ……
──男ぉ……男はぁぁみん、な死ぃねぇ……
怨み言を吐き続けるその女はチリチリに焼け焦げた黒い髪をゆらゆらと左右に揺らし、憎悪に燃える目を忍に向け続けていた。
動く度に煤だらけの黒い表皮がパリパリと剥がれ落ちる。
「あんたに俺は殺せねぇよ。見ず知らずの赤ん坊まで憑り殺しやがって。あんたの身勝手な復讐はここまでだ」
女はこれ以上動く事が出来ないのか、他に行動を起こす様子はない。
ただゆらゆらと緩慢な動きで頭が揺れるだけだ。
ギチ……ギチ
ギチ ギチ
──ゆる、ざなぃいぃ……
「チッ、煩ぇな。悪足掻きすんな。お前はこれからじっくり時間をかけてちゃんと反省しろ」
忍はそれだけ言うとバックミラーを気にするのを止めた。
重苦しい呟きが止まらない事からみても、この女性が本来の自分を取り戻すのには相当の時間と労力が掛かるだろうと予測できる。
彼女の回収が本日一番の目的だったとはいえ、厄介な拾い者を命じられたものだと長いため息を吐いた。
「やっぱハルちゃんに頼んだのは正解だったな。危ねぇ危ねぇ」
もし今日来たのが竜太だったら、世与に戻った途端に同乗者の存在に気付いていただろう。
見境無く全ての男性に対して異常なまでの殺意を持つ怨霊に、竜太が何の興味も抱かない筈がない。
身の安全が分かった状況で、彼がどんな発言や行動をとるか分かった物では無かった。
「……危なっかしくないのはポイント高ぇかな」
押しに弱く、文句も言わず、深く詮索して来ない素直な性格──
何より自身が何も出来ない事をきちんと理解し、怪異と距離を取ろうとしている──
今後頼み事をするならば竜太よりハルの方が適任だろう。
世話になった源一郎の孫を危ない目に遭わせるつもりはないが、利用しないのも勿体ない。
「クク……」
思いもよらぬ期待以上の収穫に機嫌良く喉を鳴らす。
そして何の反省も見せない女に灸を据えるべく、彼はオーディオを弄って録音された同僚の読経を流した。
重く暗い呟きがたちまちの内に絶叫へと変わる。
二人を乗せた白いミニバンは国道に出ると多くの車の流れに紛れていった。
以下、補足↓↓
実は女性は犯人以外に十人以上憑り殺していました。
忍がその事に気付いたのは現場に赴いてからです。内心では「資料より多いじゃねーか」と驚いていました。
(もちろん通りすがりの無関係オバケさんもいっぱい居た)
ハルは気付いてませんでしたが、彼はトンネル内を往復する間に女性を捕らえ、他にも何体か保護しています。
後々しかるべき対処をしてあげるのでしょう。
忍は女性の境遇には同情していますが、それを表には出しません。
それをしたら何も悪くない被害者一同はどうなるのって話になってしまうからです。
以上、補足という名の蛇足でした。




