1、ドライブ
とうとう忍の仕事を手伝う約束をした土曜日が来てしまった。
いくら「気軽に」と言われても、何処に行くのかすら知らされていない身としては構えてしまうのも無理はないだろう。
午前九時。
ハルはナナサト床屋の前で忍の運転する白いミニバンに乗り込んだ。
彼の祖父である七里老人がわざわざ見送りに出向いてくれたのが唯一の安心材料である。
「気をっ付けてけよぉ。宮原さんの大事なお孫さんなんだからよ、無理さすんでねぇぞ」
「はいはい、分かってますよー」
「遅くなる前に家に帰すんだぞー」
「何かあったら電話すんべぇ」という言葉を聞き流し、静かに車を発進させる彼の横顔からは意図を読み取る事が出来ない。
(お、落ち着かない!)
車内に香る仄かなフレグランスが鼻を擽り、悪い事をしている訳でもないのに妙にソワソワした気分になってしまう。
(私、何をさせられるんだろう)
忍の服装が同年代ではまず見ないグレーのYシャツという大人びた物のせいもあって緊張してしまう。
彼女の心情など露知らず、忍は呑気に晴れて良かっただのと当たり障りのない話をしている。
焦れた彼女は思いきって話を切り出した。
「あの、今日は何処に行くんですか?」
「ハハッ、ここまで来て『着いてからのお楽しみ』はないっスよねぇ」
彼は左手でオーディオを弄りながら「廃トンネル」と応えた。
不穏な響きの場所である。
スピーカーから流行のJ-POPが流れ始めるが、車内の空気はとても明るいとは言えない。
「それってどこの、ですか?」
「心配しなくてもS県内スよ。車で二時間位って所かな?」
「え! そんなに遠いんですか?」
想像以上の遠出と知り肩を落とすも、今更引き返したいなどと言える筈もない。
(そんなに長い時間、会話なんて続かないよ。困ったなぁ)
何を話せば良いかとモジモジ手元を見つめていると「下ばかり見てると酔う」と注意されてしまった。
それもそうだと彼女は窓の外に目を向ける。
すっかり見慣れた世与の町並みが流れていくのは不思議な感覚であった。
「浩二は学校でどう? 友達と上手くやってそう?」
唐突過ぎる質問だ。
八木崎が誰かと仲良く話している姿など殆ど見た事が無い彼女は無難に返答した。
「え……と。八木崎君、元気そうですよ」
「……ハルちゃんは正直っスねぇ。まぁ同じ学校ってだけじゃそんな関わる事も無いか」
苦笑する忍の口振りに違和感を覚えつつ、ハルはすぐに八木崎のフォローをする。
「で、でも八木崎君、いつも自分の意見とかハッキリしてて、クラスの皆からも一目置かれてます。私も男子の中では割りと話す方だし……」
「え、もしかして同じクラスなの?」
よほど意外な話だったらしく、眼鏡の奥の目が僅かに見開かれる。
いつも飄々淡々としている彼にしては珍しい反応だ。
「はい。去年も同じクラスで、ずっと隣の席でした……聞いてないんですか?」
「普通に初耳。え、ハルちゃん、あいつと話すの? っていうか話せるの? 大丈夫? むしろ苛められてない? 無理してない?」
「いや、まぁ……たまにからかわれますけど。クラスの男子にちょっと嫌な子がいたんですが、よく助けて貰ってました」
「へぇ~、あの浩二がねぇ」
感慨深げに相槌を打つ様子だけでは兄弟仲が良いのか悪いのか判断がつかず、ハルは気まずく口を閉ざした。
「そーいや竜太も高校上がったな。竜太はどう、上手くいってる?」
「上手く? かは分かりませんが、お友達とは仲良さそうですよ。廊下とかで喋ってるの、たまに見かけます」
大真面目に答えた彼女の返しは見当違いの物だったらしい。
派手に吹き出されてしまい、ハルはムッと頬を膨らませた。
「何で笑うんですか?」
「ック、いや失礼。聞き方変えるっス。『竜太とハルちゃん、上手くいってる?』ってね」
「!」
ブワッと上半身の血流が早くなる。
何かを言い返したいが言葉は詰まったまま、パクパクと口だけが情けなく動く。
(忍さんって思ってたより表情豊かだ。それに何より……)
「……そうやってからかう所、八木崎君とそっくりです」
「おぉっとぉ。そう来ますか」
もはや遠慮する気にもなれない。
あれだけ息苦しく感じていた車内の空気はすっかり和やかなものになっている。
「んじゃ、違う話題でもしますかねぇ。宮原のじいさんの話とかどう?」
「! それは是非聞きたいです」
「お、良い反応。じゃあそうだな……これは俺が高三の時の話なんスけどね……」
結局彼の話術にまんまと乗せられる形で、ハルは話に夢中になってしまうのだった。
◇
鬱蒼と生い茂る木々の中。
まだ昼前の晴天だというのに辺りはどこか薄暗い。
ガコガコと車体が激しく揺れる悪路を進み、急に道が狭まった所で車は停まった。
「こっからは車入れないんで歩きっスね」
「……思った以上に森ですね」
世与市からかなり離れたK町だと聞かされたが、市外の土地勘が無いハルにはどの辺に位置する場所なのかすら分からない。
聞こえるのはザワザワと風に揺れる葉音ばかりで、草や土の匂いが鼻をつく。
粗い砂利道の右側は切り立った土壁と木々が並び、左側はぼうぼうに生えた草木が続いている。
これから向かう先が廃トンネルでなければ良いハイキングコースだっただろう。
忍は小さなショルダーバッグを背中に背負い、懐中電灯を車内から取り出している。
「はい、これハルちゃんの分ね」
「……ありがとうございます」
登山ではないにしても軽装過ぎやしないだろうか。
ハルは革靴の彼に不安の目を向けながら懐中電灯を受け取った。
どこにでもあるようなプラスチック製の懐中電灯だ。
これではまるで肝試しではないか──ハルは念を押すように忍に向き直る。
「これ、本当にお仕事なんですよね?」
「そ。詳しくは言えないけど正真正銘、今回の俺の仕事っス」
二人はザクザクと地面を鳴らして道の先へと歩き始めた。
時折ピィピィと甲高い野鳥の鳴き声が響く、至って平和な散策である。
(嫌な気配は……ない。当たり前か。オバケが視えるのは旧世与町の中だけだし、元々私は霊感なんて無いもん)
なら何故彼は自分を連れてきたのか──
手伝いの内容だけはどれだけ聞いても「先入観を持たれたくない。何か気付いたら言ってくれれば良い」の一点張りで教えて貰えなかった。
(「危ない目には遭わない」って言ってたけど、なーんか嫌な予感がするんだよなぁ)
黙々と前を歩く食えない彼の背を見つめる。
木漏れ日にチカチカと反射するピアスが場にそぐわない。
(一応、油断しないようにしよう)
砂利道がいつの間にかひび割れだらけの古いアスファルトの道に変わる。
車を降りてから五分程歩いた所で目的地が見えてきた。
「へぇ、思ったより小さそうっスね」
トンネルの前に立つとその大きさにも目星がつく。
幅も高さも二メートル半程といった所か。
歩行者用のトンネルだろう。
入り口の前には工事現場で使われる薄汚れた仮囲いのパネルが設置されており、「立ち入り禁止」と書かれた貼り紙は風雨に曝されておどろおどろしさを醸し出している。
扉も付いているようだが鎖と南京錠で施錠されている為、普通ならまず行き止まりと捉えるだろう。
トンネル周りだけでなくパネルにも蔦が覆っている辺り、封鎖されてから何年も経過している事が窺える。
何も視えずとも雰囲気だけは十分だ。
(うぅ、肝試しなんて一度もした事無いのに……)
もうじき正午とはいえ、中が暗いだろう事は想像に難くない。
絶句する彼女に構わず、忍は「さて、入りますか」とポケットから鍵を取り出した。




