6、エレベーター①
「──は?」
ハルは目の前に並ぶ数字が書かれたボタンを見て素っ頓狂な声を上げた。
それと同時に感じたのはエレベーター特有の浮遊感である。
ボタン上部の画面に表示された数字から、五階から六階、そして七階へと止まらずに上昇している事が分かった。
(どこ、ここ……)
ハルは先程まで友人達とカラオケに遊びに来ていた。
志木と大和田の誕生日をまとめて祝い、落ち着いた隙をみてトイレに立ち、カラオケルームに戻ったと思った瞬間、この状況である。
(夢……じゃないよね?)
頭はしっかりとしているし体も動く。
壁と扉の汚れや傷の具合いから少し古いタイプのエレベーターだと推察出来た。
外の景色は見えない構造だ。
定員数は十一人と書かれており、現在はハルを含めて六人が乗っている。
老若男女といった顔ぶれでこれといった共通点は見当たらない。
(どういう事?)
隣に立つ若い男性は音楽を聴きながら瞠目しているし、斜め背後に立つ中年女性はつまらなそうにスマホを弄っている。
他の者達の様子も何ら不自然な様子は見られない。
ハルにとっては異常事態だが、ここで騒ぐのは気が引ける程に普通の状況である。
それが却って彼女の頭を混乱させた。
(この人達の気配、嫌な感じはしない……人なのかオバケなのかは自信ないけど、何なの? この状況)
訳が分からないがこのままという訳にもいかない。
行き先ボタンは十三階から最上階の十五階までの各階が押されていた。
(途中で降りるのは怖いし、一度上まで行ってから一階に折り返そう……)
エレベーターが静かに十一階を通過する。
咄嗟に一階のボタンを押してしまったが、当然エレベーターは止まる事なく上昇していく。
パネルが十三階を表示すると、ガタンとした小さな揺れの後、扉がゆっくりと開いた。
ヴィーン──
(仁揶僂拉賭美容クリニック……? えぇ、何だろ。読み方分からないな……)
どうやらテナントビル内のクリニックらしい。
入り口付近には観葉植物が飾られており、照明も明るくて清潔感がある。
(美容クリニックってよく知らないけど、結構イメージ通りだなぁ)
磨りガラスの扉にはピンクの文字で診療時間等が書かれている。
二人の女性が降りて扉は閉まった。
再びエレベーターが上昇する。
(訳が分からないけど、この建物を出たら何か分かるかも。流石に世与市外って事は無いだろうし、どうにかして早く戻らなきゃ)
ヴィーン──
すぐに十四階に着き、扉が開く。
(えっ!?)
扉の先には倉庫のような薄暗い光景が広がっていた。
コンクリートや蛍光灯の配線が剥き出しの殺風景な空間である。
大きな金属製の棚が奥までズラリと続き、何の倉庫なのかまでは分からない。
中年の男性がスマホを片手に降りていく。
扉が閉まるのと同じタイミングで、ハルは改めてその異様さを理解してしまった。
(今の倉庫、いくら何でも広すぎじゃなかった!?)
かなり遠くに作業用と思しき車が動いているのが見えたのだ。
何百メートル先まであるような広さの倉庫が、果たしてテナントビルにあるだろうか──
人が減ったからか自身の心音がやけに大きく聞こえる。
不安に駆られたハルはそっとエレベーター内を見回した。
残っているのは隣で音楽を聴いていた二十代位の若い男性と恰幅の良い初老の男性だけである。
ヴィーン──
気持ちの整理がつく暇もなく、エレベーターは最上階に着いてしまう。
扉が開き、ハルは再び目を疑った。
「おい、ファックス送っとけって言ったろ!」
「……ございます。……はい、では明日お伺いします。はい……」
「すみませーん、これ印刷お願いしまぁーす」
(か、会社!?)
雑然としたオフィスで様々な声と音が飛び交っている。
スーツを来た大人達が慌ただしく働く様子はテレビドラマのワンシーンのようで現実味が無い。
(こんな唐突にオフィスがあるなんて、絶対おかしい……!)
初老の男性が何食わぬ顔でエレベーターを降りていく。
あちこちで鳴り響く電話の音、印刷機の音、キーボードを打ち込む音、大声の指示、デスクの間を移動する足音──
容赦なく飛び込んでくる情報と喧騒に堪えきれず、ハルはとうとう両耳を塞いでしゃがみ込んでしまった。
(何なのこれ、どうなってるの!?)
ヴィーン──
扉が閉まり、あれ程までに騒がしかった音がピタリと止む。
「あの、大丈夫ですか?」
「えっ……? あ……は、い……」
隣に立っていた若者がイヤフォンを外して屈み込んできた。
突然しゃがみ込んだハルを心配しているようだ。
会話をするという選択肢が無かったハルは混乱したまま言葉が出てこない。
若者は再度「ほんとに大丈夫? 無理はしない方が良いですよ」と気遣いの言葉を発している。
「あ、あの、私、その……」
とにかく何か応えねばと上を向いた彼女は、更なる不可解な事態に気付いてしまった。
(嘘、まだ昇ってる!?)
最上階は十五階の筈だ──
すぐにボタンと表示を確認すると、行き先ボタンに「R」の階が増えていた。
(いつの間に!? さっきまで屋上階のボタンなんて無かったのに!)
ゴウン、とエレベーターが到着する。
扉が開くより早く、若者がハルに声をかけた。
「大丈夫? もし良かったら付き添おうか?」
「い、いえ……大丈夫です……」
流石に素っ気なさ過ぎたかと罪悪感が胸を突くが、若者もそれ以上踏み込む気は無かったようだ。
「そう……じゃあ、お大事に。でも本当に辛いなら無理はしない方が良いよ。それじゃ、お先に」
それだけ言って、若者は消えた。
いや、正確には──
(嘘、嘘嘘!? 落ちた!?)
ビュオォォ──
冷たく強い風がエレベーター内に吹き込む。
床に這いつくばりながら彼女が見た光景は、高層ビルから見下ろしたかのような美しい夜景であった。
都会的なビルの明かりが眼下にキラキラと輝き、豆粒のような車のライトが列を成して走っている。
とても十六階の高さではない。
エレベーターの前には床などなく、落ちたら確実に助かりはしない事は明らかだ。
身を乗り出してまで下を確認するのはリスクが高すぎる。
舞い上がる髪を押さえつつ、ハルは震える指で一階のボタンを押した。




