5、裏側
ハルが高校最後の体育祭を満喫している一方、竜太は普段以上に冷めた思いで校庭の片隅からグラウンドを眺めていた。
今の彼には賑々しい音楽も歓声も虚しい雑音でしかない。
ふと油断すれば保護者応援席の方を見てしまい、その度に苛立つという事を繰り返していた。
(くそっ。探したって、居る訳ないって分かってんのに)
小さな舌打ちをして応援席から目を逸らす。
ハルの祖父、源一郎を実の祖父のように慕っていた竜太にとって、源一郎が見に来ない体育祭など違和感しかない退屈な行事であった。
(ダル……宮原のじいさんが居ないのに、頑張る意味ないし)
源一郎に良い所を見せようと躍起になっていた頃が随分と昔の事のように感じられる。
その反面、未だ源一郎がひょっこり姿を現すような気がしてならなかった。
(何で一番会いたい人に限って視えないんだろ)
母親しかり源一郎しかり。
思い残す事が無かったのかもしれない、と考えれば良い事なのだろうと理解はしている。
理解はしているが納得が出来る程竜太は大人にはなれなかった。
(どーでも良い奴程よく視える)
チラリと校舎を見上げれば、誰も居ない筈の三階の教室の窓にポツリと立つ人影が目につく。
制服姿の女子生徒だが見学者ではないだろう。
その生徒は今は使われていない旧デザインの制服を身に纏っていた。
開会式の時から微動だにしない彼女は、今も虚ろな目で空を仰いでいる。
(まだ居んのかよ。何がしたいんだか)
彼女の気配は薄く、意思も感情も読み取る事は出来ない。
瞬きした次の瞬間にでも消えてしまいそうな程に儚げな存在──
はたしてアレは、いや、日頃視ている異形のアレらは、そもそも本当に霊なのだろうか──
(死んだらそれで終わり……本当にそうだったら良いのに)
アレらはただの残留思念的なモノで、死後の存在ではないと思いたかった。
残念ながら確認する術などない。
ふと源一郎が生前話していた言葉を思い出す。
──あの世ってのがあんのか知んねぇけんどよ。俺ぁ死んだら潔く逝くからよ、探すんじゃねーぞ。
その時は「縁起でもない事を言うな」と怒ったものだったが、今となっては聞いておいて良かった話かもしれない。
竜太は空を仰ぐ女子生徒から保護者応援席へと視線を戻し、また探してしまったと眉根を寄せた。
「あーっ! 天沼いた! おーい戸田ぁ、天沼発見っ!」
「大成うっさい! 天沼、あんたサボってんじゃないわよ!」
騒々しい友人達に見付かってしまい、竜太は居心地悪く顔を背ける。
偶然視界に入ったのは三年生女子の徒競走だった。
ちょうど次の走者はハルだったらしく、スタートラインにおずおずと立つ姿は何とも頼りない。
大成と愛奈の「サボるな」だの「早めに入場門集合」だのという小言を聞き流し、竜太はぼんやりとグラウンドを眺め続ける。
「サボってない」
「はい、ウソ! あんたはいい加減協調性ってもんを持ちなさいよ! いっつもギリギリになって来るんだから……」
ほら行くよ、と愛奈に急かされるも竜太の足は動かない。
「別に嘘じゃない。応援」
「はぁ? 誰を、」
パァン、と乾いた空砲の音と共に走者が一斉に走り出した。
ハルの足はやはり遅い。
みるみる内に他の走者との差が開き、ドタバタと走る様は見馴れた鈍くさい姿である。
しかし寸での所でビリは免れた。
六人中五位でゴールしたハルは心底安堵したようにクラスメイトに笑顔を向けている。
「……っふ」
竜太が思わず吹き出すと、二人は目を点にして言葉を失った。
数秒置いて大成が発した言葉は「お前笑えたんだ!?」という失礼極まりないものである。
竜太はまだ引かぬ笑いを口元に残しながら「だって」とグラウンドを顎で指した。
「たかが五位であんな喜べるなんてさ、ハルさんて幸せな頭してるよね」
思わぬ所で面白い物を目撃出来て満足したらしい。
竜太は入場門に向けてさっさと歩き出した。
「え、今宮原先輩出てたのか? どこ? ……っておい! 待てよ、天沼!」
「待たない。そろそろ次の競技始まるし」
「何よそれ! アタシ達あんたを探しに来てやったってのに!」
「頼んでない」
それだけ言って彼は再びグラウンドを横目で見る。
五位の旗の列に嬉々として並ぶハルがじわじわ笑いを誘う。
(ほんと決まらないよね、ハルさんって)
ダサ……という呟きを飲み込んだ彼が保護者応援席を眺める事はもう無かった。




