3、口パク
不規則なバスの揺れが心地良い。
ハルは吊革に掴まる手とは逆の手で欠伸を隠し、ぼんやりと窓の外を眺めた。
今は大和田の家で勉強会を行った帰りである。
正確には勉強半分、お喋り半分の遊びに行ったも同然の時間を過ごした訳だが──
(カスミちゃん、志望校決めたのか……)
大和田は彼氏である川口と同じ大学を第一志望に考えていると話していた。
学部は違うらしいが、県内の大学なので自宅から通えるらしい。
(学部かぁ。私は何を学びたいんだろう……)
相変わらず何のビジョンも湧かず、出るのはため息と欠伸ばかりである。
やがてバスが停まり、ハルの近くの座席が空く。
座ろうか迷っていると、新たに乗り込んできた乗客がハルを強く押し退けて座ってしまった。
三十代位の派手な女性だ。
ドカリと乱暴に座る彼女の行動のおかげでハルの目はすっかり冴えてしまった。
(そうまでして座りたかったのかな)
あまり気分の良いものではないが、彼女にも事情があるのかもしれない。
ハルは行き場の無い思いを胸に女性を見下ろした。
女性は音楽を聞きながらスマホを弄っている。
襟ぐりの大きく開いた服は上からだと露出が一際目立ち、同性であっても目のやり場に困る格好である。
(こんなはだけた格好して、痴漢とかに遭わないのかな。他人事だけど心配になっちゃうよ)
左折した車体が大きく揺れ、ハルも乗客達も一斉にグラリと揺られる。
その拍子に何かが不自然に動いた気がして、ハルはキョロキョロと視線をさ迷わせた。
(虫? にしては大きかったような……あ!)
目の前に座る女性のうなじより下の背中に何かが見えた。
半歩横にずれたハルはそれが青痣であると気付いて戦慄する。
(何これ! 人の顔!?)
服の隙間から覗く青痣は斜め上を向いた男性の顔のように見えた。
その顔は苦悶の表情としか言いようがない。
あまりにもリアルな痣だ。
(こんなもの、偶然出来るものなの? 気持ち悪い)
知らぬが仏、という言葉が頭に浮かぶ。
きっとこの女性は自分の背中にこんな痣があるなど知りもしないのだろう。
再びバスが大きく揺れる。
(げ……)
やはりただの痣じゃなかったようだ。
苦し気なその顔は何度も口を動かして女性の頭を睨み付けていた。
当然だが、ハルには読唇術の心得などない。
それでも何故か痣の男が何を言ってるのか察しがついてしまった。
──『ゆ』『る』『さ』『な』『い』
──『ゆ』『る』『さ』『な』『い』
(この女の人、何をしたの……!?)
真に恐ろしいのは動く青痣か、女性の方か──
バスが目的の停留所に到着する。
そのまま降車したハルにはその後の女性の動向など知る由もなかった。




