6、友情
悲し気な呻き声が彼女の後ろから聞こえ始める。
「人形と、髪はあげる。でも、もうハルさん本人からは離れて。嫌われたくないんでしょ」
『…………もし……離れたら、人形の、ハル、は一緒にいて……いいの?』
彼は絞り出すような不気味な声に怯む事なく話を続ける。
「良いよ。二度とハルさん本人に近付かないって約束するなら、人形と髪は好きにしな」
『……ずっと……?』
「まぁね。でも約束を破ったらハルさんに嫌われちゃうから、それだけは忘れないでね」
『ハル……ねえ、友達……ハル、私、うぅ……ぅ……』
ゆっくりとした動作で、長く白い手が伸びる。
目を覆われた時の事を思い出して身構えたものの、白い手は竜太の持つ髪と人形を掴んだ。
手が触れた途端、人形は薄茶色に変色する。
そしてその二つを掴んだまま、手は彼女の後ろへと引っ込んでいった。
呻き声がピタリと止んだ。
(終わったの……?)
頭が急に軽くなった気がして、ハルは竜太に視線を送る。
彼は小さく頷いて「話の分かる奴で良かったね」とだけ呟いた。
それを聞くと同時に緊張の糸が切れたのか、彼女はヘナヘナとしゃがみ込んだ。
チラリと後ろを確認するも、腕はおろか髪も人形も見当たらない。
声の主が持って行ったのだと容易に想像がついた。
「あ、あの、助けてくれて、本当にありがとう」
「別に。大した事してない」
本当に何も無かったかのような物言いだ。
「ぶれないね」と笑った彼女はまだ馴れない様子で髪を耳にかけた。
床屋から神社まで戻る道すがら、ハルはポツリと不安を漏らした。
「本当に、もう、来ないかな……」
「多分来ない。ハルさんからは見えなかっただろうけど、約束を守る奴の目してたし」
「そう……」
ハルは自分を友達だと思って付きまとった女を想う。
彼女の孤独を癒す者として、自分が相応しかったとはどうしても思えなかった。
顔も知らない彼女は自分の身代わりとなった人形と共にどこかに存在し続けるのだろう。
いつまでそうするのかはハルには知るよしもないが、何故だか無性に切なくなった。
「でもさ、あーやっていつまでも依存されちゃ、迷惑だよね」
バッサリと切り捨てる竜太に、さすがのハルも苦笑する。
「まぁ、それがあいつにとっての『友情』なんだろね」
(友情、か。私にとっての友情って何だろう)
一歩間違えると独占や依存に転がる不確かなそれは、中々難しい。
ただ、彼女と同じであってはならない事だけは確かだった。
(次に学校で会ったら、お茶でも誘ってみようかな。北本さんと、他にも何人かで……)
いきなりは無理でも、少しずつなら変わっていけるはずだ。
ハルは決意を新たに空を仰ぐ。
澄んだ青空はいつもより広く、明るかった。
空腹を感じた彼女は今日はまだ何も食べていなかった事を思い出した。
神社に到着した所で竜太の足が止まる。
道案内はここまでという事だろう。
彼はポケットから取り出したスマホをハルに向けた。
「な、何?」
「……連絡先、教える。また何かあった時、町中走りたくないでしょ」
かなり嫌そうな顔が気になったが、彼女にしてみれば有難い話である。
馴れない手付きで連絡先を交換し終えると、彼はあっさりと来た道を引き返し始めた。
「あ、ありがとうね。その、色々と……」
もう一度頭を下げる彼女を一瞥して、彼は小さく呟いた。
「短い方が、明るく見えるよ」
「え?」
「じゃあね」
髪の事だと気付くのに遅れたハルは、ポカンとした顔のまま、振り返らずに去る彼の背を見送った。




