8、正夢
「す、すみません! 俺、とんでもない事……本当にごめんなさい!」
「俺は別に良い。来るの分かっててやった事だし。……ハルさんが許すかは知らないけど」
「わ、私……は……」
急に振られても気の利いた事など言える筈もない。
今の彼女は震える体を誤魔化すので精一杯である。
「……話を戻す。持田センパイは幽体離脱をしてる自覚はあったの?」
「……幽体離脱……なんて、思わなかった。全部、夢だと思ってたんだ。じゃなきゃ、あんな、あんな事……」
真っ青を通り越して真っ白な顔色の持田は、何度も「ごめんなさい」と繰り返している。
気の毒な程に悔いた様子の持田を、ハルは怒る事も責める事も出来ない。
「要は夢だと思って好き勝手してたって訳だね。結果的に夢じゃなかったけど」
平然と追い打ちをかける竜太を大成が「おい!」と窘める。
言い過ぎたと思ったかは定かではないが、竜太は短いため息を一つ溢して話を変えた。
「質問はまだある。自分の首を絞めた理由とハルさんに紙を渡し続けた理由」
「あ、えと……その、」
「今更渋んないでよ。時間勿体ないから早くして」
中途半端は気になると口を尖らせる竜太に押し負け、持田は重い口を開いた。
「俺、自分が嫌いなんだ。顔は地味で冴えないし、性格も、暗いし。……最近、自分が布団で寝てるのを見下ろす夢を見てた。……夢じゃなくて幽体離脱? だったみたいだけど……とにかく、寝てる自分の顔を見てたら色々嫌になって、それで……」
「自殺願望でもあるの?」
「そ、そこまでは……! だって、夢だと思ってたし……」
どうやら本当に幽体離脱の自覚は無かったらしい。
夢だから自分の首も、桜木や竜太の首も絞める事が出来たし、ハルを襲いかけるという大それた行動が出来たという事か──
(でも、夢なら何をしても良いって訳じゃない……よね……)
モヤモヤが残るが、その感情を言葉に変換する事が出来ない。
ハルは依然として黙ったまま成り行きを見守る事にした。
「か、紙は……その、宮原さんが、見る、から……」
「?」
どういう事か分からず、三人は揃って首を傾げ合う。
理解されないのがもどかしいのか、持田は今までとは一転して顔を赤らめた。
「だ、だから! 宮原さんが……俺の入れた紙を手に取ったり、落書きしたり、ふ、不思議そうにしてくれるから……紙の事を考えてる間は、俺の事、考えてくれてるって事、だから、それでつい……っ」
(な、なにそれ……!?)
理解の範疇を越えている。
大成が「どゆこと!?」と眉を顰めるが、そう言いたいのはハルの方である。
「そんな事して、実際に得られる物はあったの?」
竜太の真っ直ぐ向けられた問いに、持田は気まずく目を逸らす。
答えを待たずして竜太は冷ややかに言い放った。
「わざわざ嫌われるような事して、本当に自分の首絞めるのが好きなんだね」
「ちょっと竜太君……!」
そんな煽る言い方をして、もし逆恨みでもされたらどうするのか──
もはやハルには持田がまるで知らない男にしか見えなくなっていた。
しかし彼女の心配をよそに持田は「そうだね……」と何度も頷いている。
「宮原さん……今まで、嫌な思いさせてごめん。一昨日も……最低な事して、本当にごめんなさい」
「あ、うん。……もう、しないでね……」
色々言いたい事もあったが、結局言えずじまいである。
気まずい沈黙を破ったのは例に漏れず大成だった。
「あれ? って事は、やっぱり持田先輩って宮原先輩が好きだったって事?」
「……お前、今までの話の流れを理解して無かったのか」
唐突なボケに対応出来ず、ハルと持田は石のように固まる。
真っ赤になった二人は互いにオドオドと視線をさ迷わせるばかりだ。
(やだ、何この空気。気まずいんだけど……!)
先に口を開いたのは持田だった。
「あ、あの、今更、だけど。その、宮原さんの事、好き……でした。委員長の仕事、苦手でも頑張ってて、凄いなって、思って……」
「あ、ありがとうござまっ、ございます……」
まさか人生初の告白が好きな人の前でされるとは思わず、ハルはゴニョゴニョと縮こまる。
対して持田は色々吐き出せてスッキリしたのか、照れ笑いを浮かべながら鼻を擦っている。
「……遠慮しないで、振って良いよ。嫌われて当然の事、したし」
「いや、嫌いっていうか、その……ごめんなさい。わ、私、あの……す、好きな人が……その、」
どうしても「好きな人がいる」と最後まで言う事が出来ない。
チラリと横を見ると無表情で足元を見つめている竜太が目に入った。
一応彼なりに気まずい現場に居合わせている自覚はあるらしく、足先で机の足を突付いている。
「そっ……か。そりゃそうだよね」
持田は眉を下げたまま小さく笑った。
「ちゃんと断ってくれてありがとう。委員の仕事で話す事、あると思うけど、俺、諦めるから。宮原さんの事、応援するから」
「う、うん。私も、その、ありがとう……私なんかを好きになってくれて」
小声の礼は、きちんと届いたらしい。
持田は「なんかじゃないよ!」と珍しく語気を強くした。
「自信、持ってよ。宮原さんと桜木君、お、お似合いだと思うから……それじゃ……っ」
「えっ? あ、ちょっと……!」
言うだけ言って、持田はバタバタと教室を出て行ってしまう。
(な、なんで桜木君……!?)
持田の目に溜まった涙がハッキリと見え、改めて動揺した彼女は否定する隙もなくその背を見送る形となってしまった。
別の意味で微妙な沈黙が訪れる。
(解決したのに、解決してない……!)
「おぉ~……宮原先輩、やっぱ桜木先輩と」
「大成君! 違う、違うからね!?」
これ以上の誤解の広がりは阻止せねばなるまい。
必死に否定するハルの形相に圧され、大成はガクガクと引き気味に頷いた。
竜太は漫才めいたやり取りにまで付き合う気は無いらしく、深いため息を吐きながら廊下に出ていく。
「……帰るよ、二人とも」
気付けば大分日が傾いていた。
夕暮れの古い空き教室に置いてきぼりは御免である。
二人は慌てて薄暗い教室を飛び出したのだった。




