6、裏側
「お疲れ様です。お先に失礼します」
「おぅお疲れさーん。気ぃ付けて帰ぇれよぉ」
レストランでのバイトを終えた竜太は従業員用の裏口から外へと出る。
時刻は夜の十時を回っているが、辺りは飲食店やコンビニの並ぶ大通りな為、暗さはさほど感じられない。
帰宅する前に寄る所がある。
彼は駅に向かいながら下校時の事を思い返しては思考を巡らせていた。
(あの教室内に生霊を飛ばしてる奴が居るのは間違いない)
下校前、ハルを教室まで迎えに行った彼は昼休み同様明らかな敵意を感じ取っていた。
しかし誰から飛ばされた物なのかまではどうしても分からなかったのだ。
キャーキャー騒ぐ志木達と好奇の目を向けるクラスメイトのせいで気配の感知に集中出来なかったからである。
(周りの雑音ウザすぎ。何で性別違う奴が一緒に居るってだけで一々関係ない奴が騒ぐんだろ)
まぁ良い、と竜太は気を取り直す。
昼休みと下校時。
この二回の行動は無駄では無かった筈だ。
モジモジと赤面するハルを思い出し、間違いなく自分は目を付けられただろうと確信する。
「よぉ」
駅前に到着した彼は表情に乏しい顔で片手を上げた。
待ち人は竜太の姿を確認するなり抗議の声を発する。
「よぉ、じゃねーよ天沼ぁ! 遅ぇよ! 約束は十時って言ってたじゃんかよー!」
お菓子の入ったコンビニ袋を振りかざした大成が詰め寄ってきた。
しかし竜太は冷ややかに首を振るだけだ。
「言ってない。バイト終わるのが十時頃って言った」
「あれっ……? で、でもよぉ、急に泊まりに来いって呼び出したのはお前じゃんかぁ……」
大成は「っつーか何で急に誘ったし」と今更な質問をしている。
その問いにはすぐに答えず、竜太は「言っとくけど、俺疲れてるし説明したらすぐ寝るから」とだけ返す。
「つまり、どーゆー事?」と大成が首を傾げれば、竜太は「そのお菓子はお前が処理しろって事」と吐き捨てたのだった。
◇
「……っく……」
(来たか……)
詰まるような息苦しさを感じ、竜太は目を覚ます。
意識がハッキリすると同時に、予想が当たったのだと胸が高鳴るのを自覚した。
身体は動かない。
普段は中々体験できない金縛りに彼の高揚感は更に高まる。
掛け時計は深夜の二時四十分を指していた。
(足元に居るな。今はまだ、こっちの事を睨んでるだけか……)
チラリとベッドの横の床に目をやる。
顔が動かせないのでよく見えないが、大成は眠っているらしい。
ハッキリ聞こえるイビキに竜太は内心で舌打ちをした。
(チッ、あのバカ寝やがった。何が「宮原先輩の為なら夜更かし上等!」だ。ったく……)
ガーガーと耳障りなイビキに混じり、ブツブツと暗い声が聞こえてくる。
『誰だお前、邪魔だ邪魔だ……死ね、消えろ……』
(なるほど。確かに生霊っぽいな。……けど、感情の塊って感じがしないのは何でだ?)
ピクリともしない身体がもどかしい。
足元に佇んでいた人影が音もなくにじり寄る。
伸びてくる細身の青白い指ははっきりと見えるのに、顔は判別出来ない。
全神経を集中させるが、まるで見えないモザイクでもかかったかのように顔だけが認識できないのだ。
(くそ、話に聞いてはいたけど厄介だな。誰だ、コイツ)
『ウザいんだよお前、消えろ、居なくなれ、邪魔だ、邪魔邪魔……』
首に両手がかけられる。
生暖かい手の温度が不快で、竜太はギロリと相手を睨み付けた。
表情こそ分からないものの、その人物が僅かにたじろいだのが伝わる。
まさかこの状況で睨み返されるとは思わなかったのだろう。
その反応を見た竜太は「あぁ」と一人納得した。
(コイツ理性があるっぽいな……だから違和感があるのか)
再び首に手がかけられる。
今度こそ首を絞められるかと息を飲んだ時だった。
「こぉんの野郎っ!」
バキィッ!
今の今までぐっすり寝ていた大成が突如として跳ね起き、首締め男の横っ面を殴り飛ばしたのだ。
石が弾け飛ぶ音が大きく響く。
『ぅ、あ……何……っ』
竜太の上で蹲った男が頬を押さえながら大成を見上げる。
「ひっ!?」
殴り飛ばしておいて怯えを見せる大成に、竜太が掠れた声を上げた。
「っおお、なり、石……っ!」
「へ? あ、おぉ!」
大成がパワーストーンのペンダントを竜太の手に押し付けた途端、体に自由が戻る。
竜太はパワーストーンをもぎ取ると起き上がった勢いのまま男に掴みかかった。
『う、くそっ、やめ……っ』
また殴られると思ったらしい。
男は逃げるように背を向け、暗闇に溶けるように消えていった。
息を切らし呆然と立ち尽くす大成の肩を叩き、竜太は部屋の明かりをつける。
ベッドの上には割れたパワーストーンの破片が落ちていた。
残りの石が五つになってしまったが、これは予想の範囲内である。
ペンダントをポケットにしまっていると大成が声を震わせた。
「お、俺、夢中で殴っちまったけど、祟られねぇかな……」
「祟られはしない」
彼には事前に「相手は生霊だ」と説明した筈である。
「マジで!? 良かったぁー!」と元気を取り戻す大成に、竜太は恨みがましい目を向けた。
「逆恨みはされるかもだけどね」
「全然良くなかった!」
どうしようとオロオロしだす彼を放置してベッドの上に腰かける。
「そんな事よりアイツの顔視たか?」
「? おぉ、見たけど?」
「そう」
(やっぱり良い目してやがる)
やはり彼を呼んだのは正解だったようだ。
竜太は大きな欠伸を交えてベッドに潜り込むと「じゃあその面、明日まで忘れんなよ」と言って目を閉じる。
まさかの二度寝に大成が悲鳴を上げた。
「嘘だろ!? あの直後で寝るか普通!? 俺怖くて寝れねぇんだけど!?」
「うるさい。作戦忘れて寝た奴なんて知るかよ」
「結果的に起きたんだからいーじゃんかぁ!」
ユサユサと揺さぶる大成の手を払い、竜太は渋々と顔だけ向ける。
白い電気が眩しくて目に痛い。
「……そういやお前、何で急に起きたんだ。イビキかいてたくせに」
「んー? 何か、夢に妹が出てきてさ。『お兄ちゃん起きろー!』って怒鳴られて、ビックリして起きた」
「何だそれ。……まぁ、実際助かったけどさ」
竜太の「ありがとね」というくぐもった呟きに、大成は大袈裟にひっくり返って驚く。
失礼な反応である。
怖がりな友人の為に明かりだけは点けたまま、竜太は今度こそ眠りについた。
翌朝、登校した二人は鞄を置くやいなやハルの教室へと向かった。
生徒はまだ三分の二程しか登校しておらず、既に着席しているハルの姿を捉えた竜太は申し訳程度に扉の陰に身を潜めた。
今はハルに会う気はないらしい。
「大成、この中に昨日の奴は居るか?」
「ちょ、バカ押すなって。三年の教室覗くのって凄い勇気いるんだぞっ!?」
抗議の声には耳を貸さず、竜太はぐいぐいと大成の背を押して教室を覗かせた。
案の定、二人は教室中の視線を一身に浴びてしまう。
「あ……へへ、どーも~」
大成はヘラリと愛想笑いを浮かべつつ教室内をグルリと見回す。
パチリ、とある人物と目が合った直後、彼はようやく戸惑った様子のハルの存在に気が付いた。
ハルの傍にいた志木に手を振られ、少しだけホッとしたようにヒラヒラと手を振り返す。
「(天沼天沼! 宮原先輩達いた!)」
「だから何。良いから、昨日の奴は見つけたの」
扉から半分身を隠し、竜太はベシリと大成の背を叩く。
「痛って! 居たって!」という言葉を受け、竜太はある生徒をそれとなく親指で指した。
「……あいつか。今ノート机にしまった奴」
「おー、そうそう! って、何で分かったんだ?」
不思議がる彼をさておき、竜太は近くにいた男子生徒に声をかける。
「ねぇ。八木崎センパイ呼んでくれます?」
「え? 宮原でなくて?」
昨日の事を覚えていたらしいその生徒は、意外がりながらも八木崎を呼びに行く。
呼び出された八木崎は明らかに不機嫌な態度で廊下に出てきた。
「……んーだよチビ。呼ぶ相手間違ってんぞ」
「間違ってない。浩二に頼みがある」
八木崎の態度はもはや威嚇である。
大成はすっかり竦み上がるが、竜太は全く動じていない。
「今筆箱弄ってるあの生徒。あいつ、放課後になったら呼び出してくんない?」
竜太がこっそりと教室内を指し示し、八木崎の目がその先を追う。
誰を指しているのか理解はしたようだが、良い返事は得られなかった。
明らかに面倒臭い頼みなのだから無理もない。
「何で俺がんな事しなきゃなんねーんだよ。用があんなら自分でやりゃ良ーべ」
「あいつの生霊がハルさんを狙ってる。俺は警戒されてるから、今俺が呼び出しても逃げられるかもしれない」
怪異関係の話だと知り、八木崎の表情が一層険しくなる。
「知るかよ。面倒臭ぇ」
「頼むよ浩二。ハルさんが困ってる」
「……チッ…………どこに呼び出しゃ良い」
「放課後、部室棟二階の空き教室」
「クソが」
悪態を吐きながら教室へ戻っていく八木崎の背に「ありがとね」と声をかける竜太だったが、返事は無かった。
これでもうここに用はない。
すぐに二人もその場を離れ、三年生の姿が見えなくなった辺りで大成が大きく息を吐いた。
「何あの人! 超コエー!」
「目付きと態度と口が悪いだけだろ。俺の事嫌ってるだけで無害無害。それより、あとは放課後にケリつけるだけだな」
竜太の目がギラついているように見えたのか、大成は「天沼もコエーよぉー」と両腕を擦った。




