5、片恋
疲労はあれどのんびり支度する気にもなれない。
ハルは普段より早く家を出ると、思わぬ事態に動揺の声を上げた。
「え? な、何で居るの!?」
「何その反応」
自宅の前で待ち構えていたのは竜太だった。
気だるげにスマホを弄っていた彼はハルを見るなり顔を顰める。
まさか時間も気にせず電話をかけてしまったせいでわざわざ来させてしまったのだろうか──
反射的に謝罪するハルの言葉に被せて、竜太は「それより何があったの」と眠そうな目を擦った。
「……どうして何かあったって思ったの?」
「慎重なハルさんが寝ぼけて電話なんて器用なボケ方しないでしょ。で、何があったの」
(竜太君のこういう所、やっぱり好きだなぁ)
完全に見抜かれている事に恥ずかしさと嬉しさが入り交じる。
しかし明け透けに語るには抵抗があり、彼女は昨夜の出来事をややぼかして伝えた。
腹を触られたと聞き、始めこそ首を傾げた竜太だったが、口ごもるハルの態度である程度察したらしい。
大まかな事情を理解すると難しい顔をして考え込んでしまった。
「……生霊っぽいって話だけど、心当たりは?」
「ないよ。あ、桜木君と、同じクラスの持田君って子が首を絞められたみたい。関連性は分からないけど」
竜太は相槌も打たず聞きに徹しており、端から見ればまるでハルが一方的に話しかけているような奇妙な光景である。
学校に着く頃には大方の説明が終わっていたが、それでも彼は何も喋らなかった。
(やっぱ言わなきゃ良かったかな……)
変な相談をしてしまったから不快にさせてしまったのだろうかと不安ばかりが膨らんでいく。
竜太は下駄箱に着いた所でようやく苛立たしげに頭を掻いた。
「歩きながらだと考えまとまんない。お昼にもう一回聞く。ハルさんは何でも良いから、最近何か変わった事とか無かったか考えといて」
「え? あ、うん。分かった」
(まさか黙ってる間、ずっと考えてくれてたの?)
言いたい事だけ言ってスタスタと離れていく彼の背を見送る。
頬が熱い。
ハルは寝不足に加えて妙に浮わついた心持ちで教室へと向かった。
(なんか竜太君には申し訳ないけど、嬉しいなぁ)
フワフワとした頭で席へ着き、いつもの癖で机の中を見る。
今日は四つ折りのノートの切れ端が入っていた。
(そういえばこの紙の嫌がらせは何なんだろ?)
ふと先程言われた「最近変わった事」という言葉が頭をよぎる。
犯人は誰かと考えた所で、彼女は首絞めの気配が富士の元へ憑いていった事を思い出した。
(まさか、あの気配って富士君の生霊? それとも富士君を恨んでる誰かの生霊?)
考えた所で答えは出ない。
斜め前の席では富士と取り巻き三人が机の上に座ってギャハハと大笑いしている。
いつもの光景だ。
絡まれてはたまらないと四人組から目を逸らして紙を広げれば、「どうせ何も書いてないだろう」と高をくくっていた彼女の目が大きく見開かれた。
「っ!?」
ノートの切れ端には鉛筆ででかでかと「桜木陸斗に近付くな!!!」と書かれていた。
ノートは今までの紙と同じ物のようだが、この乱雑な筆跡から犯人を辿るのは難しそうだ。
今までの紙問題は全て、桜木に好意を寄せる女子生徒の嫌がらせだったのだろうか。
だとしたら首絞め男と嫌がらせは無関係だったのかもしれない。
(もう、訳わかんない!)
その後ハルは目敏い友人達に紙を発見されてしまい、やたらと励まされるはめになってしまう。
特に志木は桜木のファンによる犯行だと決め付けて憤慨しており、宥めるのが大変であった。
「ハルも変なのに目ぇ付けられて災難だねぇ。っつーか友達なんだから『近付くな』とかフツーに無理だよねぇ!」
「う、うん……そうだね」
「それに桜木ってハルにめっちゃ懐いてるしー。むしろ文句あんなら桜木に言えよって話じゃね!?」
「ちょっとユーコちゃん! 声でかい……」
キャイキャイと机の上に弁当を広げる志木達の前で、ハルはどうしたものかと立ち尽くす。
竜太と約束をしていたが、いつどこで会うのかまでは決めていなかった。
「あの、ごめん皆。私ちょっと、」
「おーい宮原。客ー」
突然扉付近にいたクラスメイトに声をかけられ、瞬間的に教室中の視線がハルに集まる。
驚いて顔を向けた先には売店の袋をぶら下げた竜太が立っていた。
にわかにざわつく教室内で志木達だけがハイテンションになる。
「うぃーっす、生意気くん!」
「ハルに用事ぃ?」
竜太は表情一つ変えずに小さく会釈するだけだ。
いたたまれず小走りで近付くハルに、彼は「来るなら弁当持ってきて」と言い放つではないか。
友人達が好き勝手にヒャーッと奇声を上げる。
「相変わらず大胆だねぇ、少年!」
「あ、何なら君も一緒に食べる? 色々聞かせてよ~」
(ちょっと、皆面白がりすぎ……! これ、どうしたら良いの!?)
いっそ消えてしまいたい位には恥ずかしい。
弁当を抱えたまま赤い顔を伏せるハルに対し、竜太の反応は実に淡泊なものだった。
「俺、ハルさんと二人で食べるから一緒には食べない。……です」
それじゃ、と悪びれなく頭を下げた彼はハルを目で促すと何事も無かったかのように歩きだす。
呆気に取られるクラスメイトと爆笑する友人達を背に、ハルは逃げるように教室を飛び出した。
(後でどんな顔して教室戻ったら良いの!?)
変な汗を流しつつ彼の後を追う。
竜太の足は屋上に続く階段へと向かっていた。
「竜太君。うちの学校、屋上は施錠されてて出られないよ?」
「知ってる。だから人は寄り付かない」
「な、なるほど……」
確かに、行けない屋上に用のある者はいないだろう。
屋上扉に続く階段の中段で腰を下ろす彼に倣い、ハルも隣に座り込んだ。
滑り止め加工のされた階段の感触に戸惑いながら、彼女はモタモタと膝の上で弁当を広げる。
竜太は彼女の行動を待つ事なく既にパンにかじり付いていた。
「……実際にハルさんのクラスに行ってみて分かった事がある」
「え、そうなの?」
先程の短い時間だけで何が分かったというのだろうか。
期待の目を向けるハルには目もくれず、彼はモグモグと咀嚼を続ける。
「結論から言うと何か居た。意識してないと分からない位気配は薄かったけど」
「そうなんだ……それじゃ私じゃ気付けないね」
気配への鈍さは自覚済みである。
しかし彼女が肩を落とす暇もなく、竜太は「問題はここから」と宙を仰いだ。
「あるタイミングで急に気配が濃くなった。それも俺に向かって来てた」
「本当に!? 全然気付かなかったよ」
「ハルさんは気配所じゃなかったみたいだしね」
それに関しては何も反論出来ず、ハルは気まずくおかずをつつく。
「ところで何か思い出した事はあった?」
「一応。あと、生霊とは関係ないかもだけど、変わった事……あったよ」
今更隠し事も何もないだろうと開き直り、彼女は全て包み隠さず話す事にした。
気配が富士にも関わっていた事──
以前から紙の嫌がらせが続いていた事──
桜木に関わるなと脅しめいた手紙を受け取った事──
「嫌がらせと生霊は関係ない」と呆れられる覚悟をしての説明だったのだが、彼女の予想は外れた。
今朝の手紙の話を聞いた辺りで竜太の顔が僅かに険しくなったのだ。
「どうしたの? 何かその……まずいの?」
「多分だけど分かったかも」
「何が?」
言葉を選んでいるのか、彼は質問には答えずパンの袋をグシャリと丸めてペットボトルをあおった。
(もしかして言いにくい事?)
暫く神妙な空気が続き、ハルが弁当を完食したところで竜太は静かに口を開いた。
彼なりの考えがまとまったのだろう。
「……生霊の行動理由。可能性として一番考えられるのは、ハルさんだよ」
「私?」
まるで意味が分からない。
あたふたする彼女を気にするでもなく、竜太は腕を組んで話を進める。
「ハルさんが普段話をする男子って桜木センパイと持田って人以外にいる?」
「えっと……たまに八木崎君位かな」
「あぁ、やっぱり。っていうかあいつは論外」
想像だけど、と前置きする彼の口調は確信めいた物に変わっていた。
「多分、その生霊はハルさんと親しい男の首を絞めてる。本来ならハルさんに向かう筈だった生霊は、忍さんのパワーストーンのおかげでハルさんに近付けなかったんだ。浩二が被害に遭ってないのも同じ理由。あいつ、いつも忍さんの御守り持ち歩いてるから」
「そんな! じゃあ恨まれてたのは私だったの!?」
酷くショックを受ける彼女に竜太の呆れた視線が突き刺さる。
「なんでそうなるの。逆でしょ。誰かは分かんないけど好かれてるんだよ、ハルさん。今朝の手紙が良い証拠」
「すっ、好かっ!?」
想像だにしなかった展開である。
これでは「桜木陸斗に近付くな!!!」の言葉の意味も犯人像もまるで違ってくるではないか。
「昨日は偶々パワーストーンをポケットから落としちゃったから、その隙を狙われたんだと思う。そう考えればハルさんだけ首を絞められなかった説明がつく」
スラスラと紡がれる言葉に理解が追い付かない。
呆然としている間にも話はどんどん続く。
「桜木センパイと持田って人の共通点がハルさん以外にないってのが引っ掛かってた。富士って奴に憑いてった事に関しては、生霊の主が富士である可能性と、ハルさんに絡む富士を憎んで憑いてった可能性の二つが考えられる」
聞けば聞くほど真実味が帯びてくる話である。
「俺がハルさんと話し始めた途端に嫌な気配が向かって来たのが分かったし、生霊の狙いに関してはほぼ間違いないと思うよ」
「で、でも、じゃあ、今まで紙のゴミを入れてた理由は?」
「それは本人に聞いてみないと分からない」
「まさか生霊の主が誰か分かったの!?」
思わず身を乗り出すも、「そんな訳ないじゃん」と一蹴されてしまった。
「教室チラ見しただけで誰がハルさんを好きかなんて分かる訳ない」
「……だよね……」
手紙のやり口は悪質であり、相手が分からないせいで余計に嫌な想像を掻き立てられてしまう。
腹にはまだ撫で回された時の生暖かい手の感触が残っている気がしてならなかった。
無意識の内に脇腹を押さえる彼女に、竜太は「考えがある」とある提案を持ちかける。
内容は至って簡単で、今日の放課後はハルのクラスで待ち合わせて一緒に帰るというものだった。
竜太の表情が妙に悪どく生き生きとして見えるのが気になったものの、指摘など出来る筈もない。
志木達があれこれ騒ぐ様子が目に浮かぶ。
(もう、どうにでもなれ!)
竜太の「考え」とやらを信じると決めた彼女は、半ばヤケになって頷いた。




