4、触れる
離れていく富士達の背を見送り、謎の気配が完全に消えた所で彼女は腰を抜かした。
「……ありがとう、桜木君。助かったよ。本当にありがとう」
「あー、いや、大した事してねぇけどな。宮原もお前も大丈夫か?」
桜木が座り込む二人を交互に見やる。
と、ここでハルは桜木の目が僅かに見開かれた事に気が付いた。
(桜木君、何を見てるの?…………あ!)
持田の首には背後から絞められたような赤い手形が残っていた。
まだ付けられてからそう時間は経っていなさそうだ。
先程の息苦しそうな持田の姿を思い出し、ハルは心配そうに彼の顔を覗き込む。
「持田君。大丈夫?」
「う、うん。……あの、ありがとう、ございました。宮原さんも、ありがとう。そ、それじゃ……」
それだけ言うと持田は鞄を抱き抱えて逃げるように走り去ってしまった。
今走って行ってまた富士に捕まりやしないかと別の意味でも心配になるが、今はそれ所ではない。
「今の奴、ホントに平気なんか?」
「さぁ……持田君のあの手形、前にもあったんだよ。ちょっと心配だよね」
「マジか。でもあれ、本人は気付いてねぇよなぁ」
先程の気配に気付いていなかった桜木にどう答えて良いか分からず、ハルは曖昧に頷く。
「桜木君、もしかして今も御守り持ってる?」
「おぉ、持ってんぞ。宮原が肌身離さずって言ってたしな!」
「そっか……」
(もしかしてあの嫌な気配が桜木君に近付けなかったのって、御守りのおかげ?)
まるで威嚇されているような威圧感と全身にまとわりつくような熱量。
単純な「悪意」だと一括りに形容できない複雑な嫌悪感。
(一体何なんだったんだろう、アレ)
気にはなるが、自分が何かされた訳でもない。
桜木の意識も持田の首絞めからハルの方へと移っていた。
「心配っていや、宮原もだぞ? あぁいう人目を気にする奴等ってタチが悪ぃから気を付けろよ」
「う、うん。分かった。ありがとう」
怖い思いは怪異だけで十分だと愚痴を溢しながら、ハルは桜木に付き添われる形で帰路に就いた。
◇
その日の深夜。
モゾモゾと動く毛布の感触と微かに聞こえる衣擦れの音──
眠りについていたハルの意識がぼんやりと覚醒する。
(ん、何……?)
寝ぼけ眼をどうにか開けば、見慣れた自室の天井が視界に広がる。
室内はまだ暗い。
寝直そうと目を閉じかけたハルは異変に気付き、大いに焦った。
(やだ、体が動かない!?)
もがこうにも指先一つ動かない。
彼女は恐怖心を拭い去るべく頭を働かせる。
(落ち着いて、大丈夫。確か金縛りって医学的に解明されてるはずだもの。えっと、脳が起きてて体が寝てる状態……だっけ?)
浅い呼吸なりに深呼吸をする。
平静を取り戻しつつあった彼女だが、更なる異常事態に直面してしまう。
(誰か居る!?)
いつから居たのか、ハルの足元に跨がるように何者かが座っていた。
ソレはこちらが見ている事に気が付くとモゾリと上体を動かし、ハルに近付き始める。
ハァハァとした荒い息遣いが耳に届く。
(もしかして桜木君や持田君の首を絞めた生霊!?)
自分も首を絞められるのだろうか──
生命の危機を感じるものの、何をする事もできない。
細身の白い手が伸びてくるのが暗闇の中でも見える。
顔は──分からない。
(やだやだ! 誰!? 視てる筈なのに、どうして顔が分からないの!?)
「──っ!?」
するり、と男の手が首ではなく服に侵入する。
相手の思わぬ行動にハルの背筋がギクリと凍りつく。
ツゥと脇腹を直に撫で上げられたが、擽ったさよりも嫌悪感の方が遥かに勝る。
(や、な、何してんの!? ちか、ち、痴漢だ!)
怪異相手に痴漢が成立するのかはさておき、今の彼女はそれ所ではない。
抵抗出来ないハルに気を良くしたのか、遠慮がちだった男の動きが大胆になっていく。
完全に馬乗りにされたハルは生命とは別の危機を感じ取り、死に物狂いで抵抗を試みた。
残念ながら体は全く動かない。
(嫌だ嫌だ嫌だ! 気持ち悪い! 触らないで、触らないで!)
生暖かい息が顔にかかる。
サワサワと腹を撫でていた男の手が胸元に向かった瞬間、ハルの指が微かに動いた。
指先に何かが触れる。
「──ら、ないで……」
ピクリと男の動きが止まる。
指先に触れたそれを手繰り寄せ、声を絞り出す。
「触らないでっ!」
手繰り寄せたのはポケットから転がり落ちていたパワーストーンのペンダントだった。
石を握り締めるのと体の自由を取り戻すのはほぼ同時だった。
ハルに覆い被さっていた男はたじろぎ、音もなく後ずさる。
そしてバツが悪そうに視線をさ迷わせたかと思うと、そのまま溶けるように消えてしまった。
「はぁっ……はぁっ……」
汗だくでベッドから跳ね起きる。
ハルは半泣きで部屋を明るくすると無我夢中で竜太に電話をかけた。
(何だったの、さっきのやつ。怖い! また来たらどうしよう!?)
自分でも分かる程にスマホを持つ手が震えている。
数コール待つが、竜太は電話に出ない。
幾分か冷静さを取り戻した彼女は慌てて通話を切った。
(まずい、まだ夜中の三時だ……寝てるに決まってるよね……)
取り乱しすぎたと反省と後悔が押し寄せる。
落ち着いて考えてみれば、パワーストーンを手放しさえしなければ問題無さそうな状況なのだ。
今竜太に助けを求めても意味はないだろう。
少し迷った末、ハルは「ごめん、寝ぼけて間違えました。大丈夫だから気にしないで」とだけメッセージを送った。
(既読は……付かないか。やっぱ寝てるんだな……)
いくら疲れていても先程の恐怖の後では寝直す気になれない。
結局ハルは体育座りで毛布を被り、まんじりともせず寝不足の朝を迎える事となってしまった。




