3、標的
御守り作戦は効果があったらしい。
桜木から首絞め男が現れなくなったという報告を受け、ハルは改めて自衛の大切さを認識した。
怪異に関しては大した問題も起きぬまま日常は過ぎていく。
しかしハルにとっては決して順風満帆という訳ではなかった。
(今週末は体育祭か……嫌だなぁ)
早く梅雨が来て雨天中止になれば良い──
そんな不謹慎な考えを募らせてしまう程、彼女は迫る体育祭に頭を悩ませていた。
(今日も富士君がうるさかったなぁ……体育祭に興味ないくせに、嫌味とヤジだけは飛ばすんだもん)
そもそも学級委員は体育祭実行委員の手伝い位しかやる事がない。
それなのに富士は事ある度に「クラスのトップが何もしないのか」だの「シケた面した委員長のせいでやる気出ねぇ」だのと文句をつけてくるのだ。
あまりに度が過ぎれば友人達が言い返してくれるのだが、ハルは富士に対して完全に萎縮するようになっていた。
(今日も疲れた……早く帰ろう)
一人寂しく下駄箱へ向かっていると、何やら言い合うような大きめの声が聞こえてきた。
ただならぬ雰囲気を感じ取った彼女は咄嗟に下駄箱の手前にある柱の陰に身を潜める。
聞き覚えのある声だ。
声の主が富士達だと理解した途端、彼女の足は地に縫い付けられたように動けなくなってしまった。
「聞こえねっつーんだよ、舐めてんのか? おい。ハッキリ言えよ持田ぁ」
「ど、どいて……通して下さ……」
「はい、聞こえませぇーん!」
ゲラゲラと笑う富士達四人の台詞から察するに、どうやら持田は通せんぼされて帰れずにいるようだ。
まるで小学生のような嫌がらせである。
通りかかる生徒達は関わりたくないのか、皆見て見ぬふりをして足早に去っていく。
(どうしよ……このまま出ていったら私も絡まれるかも。先生を呼ぼうかな。でもチクリって思われるのも怖いし……)
しばらく息を潜めていたハルだったが、ドサリと大きな音が響いた瞬間、つい顔を出してしまった。
突き飛ばされたのか尻餅をついている持田と目が合う。
こうなっては見捨てる訳にもいかない。
ハルは火中に飛び込む思いで下駄箱へ歩み寄った。
「あ、の……」
「あぁ? んーだよジミヤ原」
(うっ……怖い……)
いつもならクラスメイトの目があるが、今は助けてくれる人物は近くにいない。
ハルは震える手でスカートを握りしめると、やっとの思いでか細い声を発した。
「その、乱暴は駄目、だと思う。意地悪しないで……」
富士と取り巻きの三人は思わぬ注意にポカンとした表情を見せる。
しかし彼等の顔はすぐにいつもの意地の悪い笑みへと戻ってしまった。
「はぁ!? 急に出てきてマジイミフなんだけど。ちょっと話してただけだろーが。変な言いがかりつけてんじゃねーよ、ブス」
「っつーか声聞こえねーよー」
「腹から声出せよなぁ~」
ギャハハとバカ笑いされ、とうとうハルも何も言えなくなってしまった。
背後で持田の呻くような息づかいが聞こえる。
(まずい。このままじゃ帰れないし、かといって今更逃げる訳にも……)
押し黙るハルに興味が失せたらしく、富士の視線が持田へと戻る。
「持田もよぉ~、女に庇われて情けねぇとか思わねぇの? しかもよりによってジミヤ原とかさぁ」
「ダッセーなぁ!」
持田は俯いたまま立ち上がる様子はない。
大丈夫かと声をかけようとしたハルは、富士の方から絶えず感じていた嫌なプレッシャーが持田の方へと移動するのを感じ取った。
(え? 何? 何かが動いてる?)
確かな熱量を持った、視えない不快な何かがヌルリと持田の背後に回り込む。
尻餅をついたままの持田の指が小さく震えている。
僅かに息が上がっているようだ。
「あ、の。持田君……?」
「あ、の、持田くぅ~ん?」
ハルの言葉を真似てふざける富士を無視し、ただならぬ気配に警戒する。
困惑する彼女の様子に気付いた取り巻きの一人が、はたと笑うのを止めて何かを言いかけた。
その時だった。
「何やってんだ? お前ら」
意識の外から急に声をかけられ、ハルだけでなくその場に居た全員がギクリと息を飲む。
声の主は桜木だった。
富士が苛立たし気に目を逸らす。
「チッ。何もしてねーよ」
「……そうは見えねぇけどな」
「オメーにゃ関係ねーだろ」
流石の富士も人望が厚い桜木には強く出られないらしい。
悪態に先程までの勢いはない。
桜木は青ざめるハルと座り込んだ持田を見てある程度事情を察したようだ。
「関係大アリだ。宮原は友達だし、大恩人だ。宮原が困ってんなら俺は絶対助けるぞ」
よほど怒っているのだろう。
人当たりの良い普段の彼からは考えられない程、その表情は険しい。
持田の背後に付いていた嫌な気配がヌルリと桜木の背後に移動する。
頭に血が上っている桜木は気配の存在に気付いていないようだ。
気配は桜木の周囲を右往左往した後、再びヌルリと移動を始めた。
「くっだんねぇ、付き合ってらんねーわ」と捨て台詞を吐き、富士達はそそくさと帰って行く。
目に見える危機は脱したようだが、ハルの警戒は全く解けない。
再び富士の元へと戻った気配は、最後まで嫌なプレッシャーを放っていた。




