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内気少女の怪奇な日常 ~世与町青春物語~  作者: 彩葉
二章、五月の日常

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121/221

10、プール

 イメージ写真では楽そうな印象を受けたヨガは、いざ体験してみると想像以上に汗をかく運動であった。

プログラムを終えたハルと大和田はスタジオを出ると北本達を待ちがてら水分を補給する。


「呼吸のタイミング難しかったね。息が続かなかったよ」


「アタシも。でもさ、体育の授業よりは楽しかったっしょ」


「うん。おばさん達も優しかったしね」


 他の参加者は皆慣れているからか、ハル達にとても良くしてくれた。

コツを教えてくれたりインストラクターの近くに置いてくれたりと至れり尽くせりの待遇だった。


(さすが運動しに来てるだけあって、パワフルな人達ばかりだったなぁ)


 ハルは普段からよく見かける薄黒いモヤが居心地悪そうにスタジオを出ていったのを思い出す。

あの光景は笑いを堪えるのが大変であった。

怪異は自分に似た者、近い者、利用出来そうな者に近付く習性があるという。

快活に汗を流すジムの会員達とは根本的に()()が合わないのかもしれない。


 暫く話し込んでいるとプログラムを終えた北本と志木が他の参加者と共に姿を現した。


「お待たせー!」


「うひぃ~暑いぃ」


 汗だくの二人の様子から察するにエアロビクスの方もハードな内容だったようだ。

スタジオから人が出ていくのと入れ違う形で黒いモヤが入っていくのを目撃してしまい、ハルは今度こそ笑ってしまった。


(自分の居心地が良い場所を探してるなんて、なんだか生きてる人間みたい)


 その後見かける黒いモヤ達もハルや他の人間を避けてばかりである。

いつも避ける側の身としては新鮮な思いで、ハルは本日最大の目的であったプールへと移動した。


「よーっし、泳いで泳いで、泳ぎまくるぞ!」


 やる気満々の志木に付いていける気がせず、ハルはこっそりと大和田に別行動したい旨を伝える。


「私、こっちの水中ウォーキング用のプールにいるね」


「了ー解。アタシもちょっと泳いだらこっち来るわ。疲れてきたし」


「目指せビキニー!」と右手を掲げる志木とそれをたしなめる北本を見送り、ハルは大和田と別れた。


(皆元気だなぁ)


 ゆっくりとプールに入ると温い水温が心地よく身体を包み込む。

塩素の匂いもどこか懐かしい。

先を歩く初老の男性にならい、ハルはザッパザッパと大股で歩き始めた。


(う、思ったより進みにくい。これ意外とキツイかも)


 コツでもあるのか後ろから来た中年女性に追い抜かれてしまい、半ばムキになって歩き続ける。

しかし三往復目に差し掛かった頃には競争心より疲弊感の方が勝ってしまった。


(水の抵抗って凄いや。これ、続けたら本当に痩せるかも)


 のんびりと水をかき分けて歩いていると周りを見渡す余裕も出てくる。

ハルはふとプールサイドの片隅にある存在に気が付いてしまった。


(わぁ、デカい……)


 それは横幅二メートルはあろう大きな老婆の顔だった。

額より上は無く、横に引き伸びた顔のせいで縦横の比率がおかしい。

目鼻などの凹凸はあるが頭部と言うには厚みがない。

まるで巨大なビート板から顔だけが浮き出たような異様なそれは、ただジッと壁際にもたれ掛かっていた。


(いつから居たんだろ。あんなおっきいの)


 自分のいるレーンからは距離があるため恐怖はさほど感じず、ハルはそれとなく様子を探る。

どうやら老婆は鼻呼吸をしているらしい。

時折鷲鼻が動く位で瞬き一つしていない。

目立った動きが無いのは良い事だが、どうしても気が散ってしまう。


(ちょっと不気味だよなぁ……何だか溶けてきてるみたいだし)


 顔は最初に見た時よりも眠たげな重い瞼をしていた。

表情が変わった訳ではなく、顔全体が重力に耐えきれず下に下がってきているらしい。

頬の部分が溶けた蝋のようにズズ……と垂れるのを見たハルはそっとプールから上がった。

水から上がった瞬間、一気に体が軽くなる。


(げ。流れてる……)


 彼女は嫌な予感が的中した事に眉を寄せた。

ゆっくりと溶けゆく巨大な顔はとろとろ、とろとろと床を伝い、プールの中へと流れ出ていたのだ。

肌色の顔だったモノはプールの水に混ざると見えなくなってしまうが、気分の良い光景ではない。

ズルリ、と左目がずり落ちるのを最後に、ハルはそのプールを後にした。


(もうこっちのプールは入りたくない……泳ぐ方に行こう)


 もはや体が重く感じるのは運動して疲れたからなのか、嫌なモノを視てしまった気分の問題なのか分からない。

結局ハルは大和田と北本と合流するとプールサイドで休憩する事にした。


 バシャバシャと派手な水飛沫を上げて泳ぐ志木を眺め、大和田は「よくやるよね」と呆れ混じりに水泳キャップを外す。

ハルも髪を手櫛で整えていると北本が声をひそめた。


「なんか最近気になる人が出来たみたいだよ~。だから張り切ってるみたい」


「マジ? (うら)じゃなくて?」


「うん。誰かまでは聞いてないけどね。学年が違うって言ってたから後輩みたいだよ」


 浦というのは去年ハル達と同じクラスだった男子テニス部の生徒である。

去年の時点では志木は彼に惚れていた筈だった。


「へ~。ま、次はマシな奴だと良いね」


 スッパリと言い放つ大和田に内心で同意する。

浦は少々自分勝手な所があり、ハルは彼が苦手だった。

相手が浦でないのならハルも素直に志木の恋を応援する気になれる。


「えと、じゃあ、夏になったら海だのプールだのって言ってたのは、その人の為って事?」


「だろうねぇ。ほんと、勉強大丈夫なのかって話だけど」


 笑う友人二人の声を聞き流し、ぼんやりと志木を目で追う。

恋に全力投球な志木を羨ましく思っていると、話がハルの方に飛び火してきた。


「ハルはどうなの? 竜太君、プール誘ったりしないの?」


「へ?……は、はぁ!? な、何で? 何でそこで竜太君が!?」


「何でって……ってゆーかアタシ、あの生意気君がプールで遊ぶとか想像つかないんだけど」


(私だって想像つかないよ……!)


 目に見えて狼狽えてしまったハルはギクシャクと平静を取り繕う。

そんな一連の様子にからかい甲斐を見出だしたのか、二人はニンマリと顔を見合わせた。


「ハルの場合、まずは水着買わなきゃだねぇ」


「だね。遊びのプールでスク水は流石にないわ」


「うぐ……」


 自身の体に視線を向けられてしまい、ハルは真っ赤になって身を捩る。

この日、学校指定のスクール水着を着用していたのはハルだけだった。

地味に気にしていた部分を突かれ何も言い返せない。

あげくの果てには「水着ってどこで買えばいいの?」と絞り出した質問のせいで大笑いされてしまった。


(なんでこう、女の子ってすぐ恋バナに持っていくかな……!)


 志木が戻って来るまでの数分間、ハルはやたらと「可愛い」だの「頑張んなさいよ」だのと弄られるはめになった。

合流した四人は興味本位でサウナを覗いたりしたものの、直ぐに撤収する流れとなる。

何だかんだで全員かなり疲れていた。


(水着かぁ。買っても今年プールに行くとは限らないしなぁ。私、受験生だし)


 水圧の強いシャワーに目を瞑り、ハルはシャワールームで体を洗いながら悶々と脳内で言い訳を繰り返していた。

普段より念入りに洗ってしまうのはあの巨大な老婆入りのプールに浸かってしまったという嫌な体験のせいである。


(水着って高いよね、きっと。……そもそも人に見せられるような体型じゃないし)


 全く無いという訳では無いにしろ、自慢出来るような物でもない胸を押さえて溜め息を溢す。

シャワーを終えてロッカールームに向かえば、既に三人は着替え始めており、ハルも急いで自分のロッカーに鍵を差した。


「やーっぱ今年はワンショルのビキニで決まりっしょ」


「そう? アタシはAラインのヤツも好きだけどな」


「私はパレオ派~。アシメってだけでお洒落感あるしさ、ヒラヒラしてんの可愛くない?」


(どうしよう。何言ってんのか全然分かんない)


 水着の話で盛り上がる友人達の輪に入れず、黙々とタオルを巻いて着替える。

ふと腰元を覗きこんだハルは危うく悲鳴を上げそうになった。


(なっ!?)


 左右の腰に赤い手形がくっきりと残っていた。

見た感じ、ハルの手より少しばかり大きい。

男性の手形だろうか──当然心当たりなどない。

手形は真後ろから掴まれたような形で残っていた。


(何で!? いつの間に!?)


 思わずロッカーに入れておいたパワーストーンのペンダントをギュッと握り締める。

流石にプールまで持っていく訳にはいかないと置いていったのが災いしたらしい。


(もしかして、水中ウォーキングでやたらと体が重かったのって……)


 そこまで考えたハルは慌てて嫌な想像を振り払い、必死に友人達の会話に耳を傾ける。


(次からは水泳キャップの中に入れてでも持ち歩こう……)


 極力腰を見ないように努め、着替え終えた彼女はパワーストーンを大切にポケットにしまうのだった。

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