8、くねくね②
「へぇ。凄いね、それ。『くねくね』なんてただの都市伝説だと思ってた」
「くねくね?」
「都市伝説?」
聞き慣れない単語だ。
眉をひそめるハル達とは逆に、竜太の目は分かりにくいながらも好奇と期待に満ちた目をしていた。
彼は腕を組むと「昔ネットで流行った有名な都市伝説」と抑揚のない声で呟く。
「目撃情報の大半は大体田んぼとか開けた水辺。白いくねくね動くモノが遠くに見えて、それが何かを理解したら気が触れておかしくなるって話」
「えぇっ!?」
「ちょっと竜太君!」
この状況でそんな言い方はないだろう。
咎めるハルを一瞥し、竜太は淡々と続ける。
「妖怪説、異常者の口減らし説、山の神説、生け贄説……くねくねの正体は色々な説があるみたいだけど、何にしても動画で残ってるなんて聞いた事ない。本物なら凄く珍しい話だと思う」
(竜太君、なんか生き生きしてる……)
ハルの予想は大当たりであった。
二人への説明が終わると、彼は直ぐ様「その動画見せて」と手を差し出した。
頭を抱えるハルの隣で千景が大声を上げる。
「ちょっとお兄ちゃん話聞いてた!? もし変なの見えちゃったら、今度はお兄ちゃんが困るんだよ!?」
「でも今一番切迫してるのはお前だろ。もし噂が本当なら、多分そのクネクネは動画を介して人に移るって事。今俺に移しとけば大成妹は助かるし、俺にはあと三日の猶予がある事になる」
それに、と竜太は少しだけ口元を緩ませて千景を見つめる。
「動画を見てないのに影響受けて距離を詰められたハルさんを頼るより、まだくねくねと接点がない俺の方が良いと思う」
「え? え? どういう事?」
「良いからその動画見せろって事」
ハルが危惧していた展開になってしまった。
早く、と迫る竜太に慌ててストップをかける。
「待ってよ竜太君! もしくねくねが移ったとして、千景ちゃんが大丈夫って保証はないよ? 大体、竜太君はその後どうするつもりなの?」
「考えが無い訳じゃない。へーき」
「けど……」と食い下がるハルを押し退け、彼は千景の手からスマホを取り上げた。
「なるべく画面は見ないで、操作だけ口で教えて」
「う、うん。えっと、友達のSNSに動画のURLが載ってるはず」
戸惑いつつも千景はたどたどしく指示を出す。
時折耳を塞ぐ仕草をするあたり例の声が聞こえているのかもしれない。
ギャハッゲラゲラゲラ──
ハルの耳にも一際大きな笑い声が聞こえてきた。
おかしくもないのに爆笑しているような、不安を掻き立てる不快な声だ。
(けど、私はまだ見つかっていない。裏を返せば、動画を見たら確実にこっちに来られるって事だ……)
距離を詰められているとはこの事かと、ハルは感覚で理解し始めていた。
「どの友達」
「みよポンって、青い熊のアイコンの子」
「あった。こいつか」
(こうなると私、何の役にも立ってないなぁ)
気まずく靴先を眺めている間に目当ての動画に行き着いたらしい。
固く目を瞑った千景がハルの左腕にしがみつく。
何がなんでも動画を見たくないという強い意思を感じ、ハルはそっと彼女の手に右手を添えた。
「うっわ」
──ギャハハッハハハァアァゲラゲラ、ゲラゲラハハハッ!
──うぅ、うー、う゛ぅうー、ぅう゛ー……
竜太の引いた声をかき消し、爆笑する声と呻き声が爆音で響き渡る。
(うるさっ! 竜太君、本当に大丈夫なの!?)
ハル達には画面が見えない角度で動画を見ていた彼の顔が歪んでいく。
血の気の引いた、驚愕とも恐怖とも、不快ともとれる顔──
スマホを持つ彼の手が小刻みに震え始め、その光景を目にしたハルは咄嗟にスマホを覆い隠した。
画面を隠された彼はハッと我に返ったように息を吸う。
何が視えたのかは不明だが、かなりそちら側に意識を持っていかれていたようだ。
「…………ありがとハルさん。……それにしても凄いね、これ。こんな所で有名な都市伝説に動画で出会えるなんて思わなかった」
「無理しないでよ……」
動画はいつの間にか終わっていたが、ハルの右手はスマホを隠したまま動けない。
既に爆発的な声は止んでいた。
震えるハルの手をそっと退かし、竜太は何やら手早くスマホを操作する。
「この動画、貰う」
「何言ってんの!?」
今のでも懲りないのかと呆れを通り越して怒りを覚えるハルに、彼は自身のスマホを弄りながらニヤリと笑った。
「で、この動画を忍さんに送る」
「え!? 大丈夫なの?」
「怒られるだろうけど大丈夫」
もう送った、と言ってスマホを消す彼はいつもと変わらぬ無表情に戻っている。
本当に良いのだろうかと別の意味でドキドキしていると、千景が「あれっ」と驚きの声を発した。
「そういえば、お兄ちゃんに動画見せてから声聞こえてない!」
「本当? って事はくねくねが竜太君の方に移ったって事?」
万事解決とはいかないまでも、一先ず千景の危機は脱したのかもしれない。
竜太の顔色を窺うが彼の感情を読み取る事は出来なかった。
「竜太君は大丈夫なの?」
「へーき。たまに呻き声は聞こえるけど、まだ遠いから」
「聞こえ方が違うなんて変なのー」
人に怪異を押し付けてしまった事に責任を感じているのか、千景の口調は普段と違って弱々しい。
「お兄ちゃんはさ。お化け怖くないの?」
「今は怖い実感ない。でもこの先は怖いか分からない。その時にならないと」
「ふぅん? 変なの」
(ダメだ、竜太君。これ以上は……)
ハルは久しぶりに腹の奥底が冷えるような感覚を抱いた。
恐らく彼は自分以上に恐怖に対する感覚が麻痺している。
そして恐怖の後に訪れる安堵感に魅了されたままなのだろう。
いずれ彼は好奇心で動いた末に、手の届かない所に行ったまま帰って来ないような気さえした。
(考え過ぎだよね。だって竜太君、これからは怪異に関わらないようにするって言ってたもん。……今回は私が巻き込んじゃったけど……)
嫌な思考を振り払っていると、今度は竜太が「声止んだっぽい」と耳を澄ませた。
返事をするより早く彼のスマホが震える。
「げ、早っ」
竜太が通話ボタンを押した途端にドスの利いた忍の怒声が漏れ聞こえた。
怒られている本人は億劫そうに頭を掻きながらハル達と距離を取る。
「そんな怒んないでよ。ごめんって……うん。いや、友達の妹。……そう。悪かったってば……ありがと。うん……割れた。うん、そう」
あまり悪びれた様子のない謝罪が繰り返される。
とりあえず回数だけは十分に謝った彼は「分かったから、またかけ直す」と一方的に通話を切ってしまった。
「ちょっと良いの!? 相手の人、超キレてなかった!?」
「よくある事だから気にしなくて良い。それより俺達全員、もう大丈夫。あのくねくねはもうこっち来ないってさ」
唐突な幕引き宣言にハルと千景はポカンとした顔を見合わせる。
先程までの緊迫感は何だったのかとすら思えてしまう結末だ。
(忍さんがくねくねを引き受けてくれたって事だよね? 助かるけど、また迷惑かけちゃった)
申し訳なさに肩を落とすハルには目もくれず、竜太は千景に向き直る。
「解決して良かったね」
「あ、ありがとう……」
「一人で帰れる?」と真顔で問われた彼女は「帰れる」とぎこちない笑顔を浮かべた。
何を考えているか分からない竜太がすっかり苦手になってしまったようだ。
「あ、千景ちゃん。良ければ私──」
「ハルさん、ちょっと」
急に呼び止められ、ハルは「送ろうか?」という言葉を寸でのところで飲み込んだ。
千景は特に気にした風でもなく「ハルお姉ちゃん、ちっさいお兄ちゃん、助けてくれてどうもありがとうございましたっ!」と頭を下げている。
小さな舌打ちは聞こえない振りをして、ハルは元気よく去って行く千景の背を見送った。
「……えっと、なに? 竜太君」
「あの大成妹、かなり強い奴だね」
彼は苦虫を噛み潰したような顔で制服のポケットからパワーストーンのペンダントを取り出した。
よく見ると二つの石が粉々に砕けており、残りの石は六つになっている。
言葉を失うハルの眼前でペンダントを揺らし、彼はつまらなそうに口を尖らせた。
「あいつ、動画見て二日目って言ってたけどさ」
「……うん」
「三日以内だなんてとんでもないデマだね。ハルさんは動画見なくて正解だったよ。俺、一回見ただけでかなりヤバかったってのに。あいつ、どんだけ耐性あるんだって話」
彼は「ムカつく」とだけ吐き捨ててペンダントを再びポケットにしまった。
話によると動画を再生した数秒後には体の自由を奪われていたらしい。
目を閉じる事も出来ない中、鼓膜が破れんばかりの笑い声と複数の呻き声が響き渡り、山と田んぼが広がる映像の向こうに白いクネクネと動くモノを見たそうだ。
「そんなに大変だったんだ……ごめん」
「別にいい。アレ見た時は吐くかと思ったけど、ハルさんが画面を隠してくれて助かった」
「いや、元はといえば竜太君を巻きこんだのは私だし……本当にごめんなさい」
竜太は意味が分からないとばかりに怪訝な顔を浮かべる。
「動画見るって決めたのは俺。俺が決めた行動に何でハルさんが謝るの」
「だって竜太君なら動画見たがるって事位分かってたのに、止められなかったし」
ウジウジと並べられる言葉には思う所があったらしく、彼はわざとらしいため息を吐く。
「俺自身は何もしてないし、結局は忍さんに丸投げだったけどさ。協力したのに謝られてばっかなの、腹立つんだけど」
ザッと砂利の音を立てて竜太は拝殿に背を向ける。
言わんとしている事がすぐに理解できず、ハルは間の抜けた顔で彼の動向を目で追った。
「……帰んないの?」
振り返り際にチラリと見えた顔は完全に拗ねた子供のそれである。
「か、帰る! 帰るよ!」
慌てて駆け寄るが距離が縮まらない。
置いていかれると直感した彼女は「来てくれてありがとう」と声を張り上げた。
「助けたのは忍さんだけどね」
(素直じゃないなぁ)
それでも幾分か機嫌は直ったらしい。
明らかにスピードを落とす彼の後を追いながら、ハルはホッと胸を撫で下ろした。




