5、足手まとい②
(どうしよう。視えちゃったからにはそのままには出来ないし……あ! もしかして……)
運動公園でやたら躓いていた彼の姿と、妙な躓き方をして階段を落ちた光景が頭をよぎる。
(あの子が原因? だとしたら、やっぱりあれは良くないモノだ!)
何をどうしたらあれが離れるのか。
ハルが頭を捻る間にも電車は進んでいく。
ふいに大成と目が合った。
(やっぱり大成君、気付いてたんだ)
彼の瞳は困惑に揺れており、明らかに助けを求める目をしていた。
電車が頭世駅で停車し、乗客が三人増える。
大成の前に一人の乗客が立つが、足にしがみつく幼子は微動だにしない。
(他の人には興味がないみたい。これ、一体どうしたら……)
竜太なら何か妙案を思い付くだろうかとも考えたが「放っとけば?」の一言で済まされるような気もする。
あれこれと考えを巡らせている内に、彼女は竜太から勧められていたある物の存在を思い出した。
(そうだ! アレがあった!)
彼女は鞄を漁り、いざという時の為にと用意していた塩を手に隠し持った。
ラップで包んだだけの大さじ一杯程の粗塩だ。
(竜太君は「助けもないような危ない時の最終手段として使え」って言ってたけど……)
とても今がその時とは思えないが、大成を助けるにはそれしか方法が思い浮かばない。
もし失敗して逆上した幼子に襲われでもしたら──などと考えるだけで背筋が凍るようだ。
(駄目。悪い事は考えないようにしよう)
──南世与ー、南世与ー。
南世与駅に到着した途端、船を漕いでいた志木がガバリと跳ね起きた。
「ヤベ、私降りなきゃ! じゃあハル、お疲れちゃん」
「うん。ユーコちゃんもお疲れ様。……また月曜に」
「うぃっす。またね」
志木は北本達にも一言声をかけると寝起きとは思えない機敏さで電車を降りていく。
扉が閉まり志木の姿が見えなくなった所で、ハルは改めて大成の足元に注意を向けた。
「──っ!」
足の間から頭を出した幼子が、今にも飛び出そうな程の大きな丸い目玉でこちらを凝視していた。
白いピンポン玉のような目玉が電車の揺れに合わせてフルフルと微かに震えている。
(まさか、勘付かれた!?)
動揺を悟られまいと素知らぬ顔で姿勢を正す。
手に隠し持った塩入りラップがじとりと汗ばんでいく。
どうしても気になって視線を戻すと、幼子は再び顔を下に向けていた。
(たまたま? それとも、こっちの考えてる事が分かったの? だとしたら、塩なんてかけても平気なのかな……)
大成は助けを求める事を諦めたのか再び目を固く閉じている。
異変を感じた北本が心配そうに声をかけているが、彼は「平気っす」と小さく首を振るだけだ。
(……迷ってる暇、ない)
──次はー、世与本町ー。世与本町ー。
とうとう降車駅に到着してしまった。
ハル達が腰を浮かせた事で、大成も意を決したように立ち上がる。
足取りは怠そうだが動かせない訳ではないらしい。
隣に並んだハルが大丈夫かと小声で問いかけると、「あんまり……」という弱々しい返事が返ってきた。
プシューと音を立てて扉が開く。
動きがあったのは電車を降りる瞬間だった。
「ぉわっ!?」
「きゃっ!?」
突然、幼子が彼の膝裏をカクンと折ったのだ。
危うく転ぶ所だったがハルと北本が咄嗟に彼の体を支えた事で難を逃れる。
下手したら車体とホームの間に足が挟まっていたかもしれない。
狙ったとしか思えないタイミングだった。
「びっくりしたぁ。もぉ~、ほんと大丈夫?」
「す、スンマセン先輩方……」
ヨタヨタと支え合いながらどうにかホームの中央まで進む。
彼はどっかりとベンチに腰を下ろすと極力足元を見ないよう天井を仰いだ。
(やっぱりこの子、わざと大成君を転ばせようとしてるんだ)
しがみつく幼子は手を緩める事なく俯いたまま「んふんぅぅふぅぅ」とくぐもった笑い声を漏らしている。
悪意のある笑い方だ。
このままイタズラで終わるとは思えない。
(よ、よし。やろう!)
ハルは北本が見ていない一瞬の隙をつき、塩を大成の足元に向かって振りかけた。
幼子にかかった塩がパラパラとホームに落ちる。
『うぅ゛ん゛んぅんんんぅっ──!』
悲鳴とも呻き声ともとれるくぐもった声が聞こえだす。
幼子はゆるゆると手を緩めていき、長い両腕を地面に這わせた。
紫色の不健康そうな爪が嫌でも目につく。
(こっち、来ないよね?)
祈る思いで見下ろしていると、幼子は呻きながらガリガリと地面を引っ掻き始めた。
ガリガリ、ガリガリガリ、ガリ──
悶絶か癇癪かは判断つかないが見ているだけで気持ちが萎える光景だ。
地面に引っ掻いた白い痕が何本も残り、爪が削れているのだと容易に想像がついた。
ガリガリガリ、ガリガリ、ガリ──
『し……くち、おし……くち……おしぃ、』
(?)
数十秒後。
幼子は観念したようにズズズ……とベンチの後ろへと引っ込んでいった。
まだベンチの下に潜んでいるのか気になるものの、覗き込む気にはならない。
ただ地面に散らばる塩と無数の爪痕が、先程までここにアレがいたのだと告げていた。
「オ、オレもう大丈夫っす! 早く帰りましょう先輩方!」
すっくと立ち上がってベンチから離れる彼の行動に北本は目を丸くする。
「もう少し休まなくて大丈夫なの?」と慌てる北本の背を押して、ハルもそれとなくベンチから距離を取った。
振り返ってみてもあの歪な幼子の姿は見当たらず、不穏な気配すら感じられない。
「(宮原先輩、宮原先輩。ありがとうございました。さっきのマジで助かったっす!)」
改札に向かいがてら大成からコソッと礼を述べられたが、気を張ったままのハルは曖昧な反応しか返せなかった。
(無事に離れてくれたのは良かったけど、あの子供、何だったんだろう?)
『口惜し、口惜し』だったと察せなかった彼女はしばらくの間、あの幼子が何を言っていたのかと首を傾げるばかりだった。




