8、井戸端会議
翌月曜日は授業の後に全校生徒が集まって部活動紹介が行われる日であった。
各部の宣伝が終われば一年生は見学に行ったり入部相談をしたりと自由行動が出来るのだが、こうなると帰宅部の生徒は完全にやる事がない。
ハルは帰宅部仲間の志木や数名のクラスメイトと共に活気付く体育館を後にした。
「宮原先ぱ~い! お疲れ様っすー!」
渡り廊下の途中で元気過ぎる声が投げかけられ、ハルは驚きのあまり人波の中で立ち止まってしまった。
「お、大成君……」
振り返れば昨日知り合ったばかりの大成が人をかき分けながら駆け寄って来るではないか。
(まさか昨日の今日で会うなんて……)
彼の人懐っこさは桜木に近しい物があるが、とにかく押しが強くて圧倒されてしまう。
それが彼女が大成に苦手意識を持つ最大の理由であった。
「誰? この子」
志木や他の友人達が興味を示す。
何と答えた物かと思案するより早く、大成はピシリと姿勢を正した。
「うす! 俺、一年三組、大成博道っす! どーぞお見知りおきをっ!」
「アッハハ、元気だねぇ。運動部?」
「中学ではバレーやってました! へへっ、俺怪我してばっかで万年補欠でしたけど」
「え~、それ笑って言う事?」
ヘラッとした裏表の無さそうな態度に友人達はあっという間に警戒を解く。
自分への興味が外れた事で、ハルは少しだけ会話の輪から離れた。
(大成君、まさに「後輩」って感じの性格だからなぁ)
性別関係なく可愛がられそうだなどと大成を囲んで盛り上がる友人達を静観する。
ふいにツンツンと肩をつつかれ、反射的に振り返った彼女は思わぬ人物の姿に目を見張った。
「竜太君……!」
「帰るの?」
普段以上に素っ気ない彼の口調にハルの身体は自然と強張る。
「う、うん。私は帰宅部だから」
一人ドキマギしていると「あー!」っと大きな声が鼓膜を震わせた。
「何だよ天沼ぁ! 俺待っててって言ったじゃんかよー」
「断ったろ」
不機嫌そうに低い声を出す竜太の態度にヒヤヒヤしつつ、ハルは二人の顔を交互に見やる。
「え、二人とも知り合い?」
「全然」
「クラスで席が近いんすよ! 天沼友達少なそうだから一緒に部活見て回ろうぜって約束してたんです!」
失礼な物言いだが悪気はないのだろう。
「約束してない」と吐き捨てる竜太と大成の認識には大きな温度差があるようだ。
ハルが乾いた笑いを浮かべているとヒソヒソ話をしている志木達と目が合った。
「どうしたの? ユーコちゃん」
「んー? なぁんでもぉ?」
んっふふ、とニヤつく友人達の反応には嫌な予感しかしない。
早くこの場を離れた方が無難だと彼女の勘が告げている。
「じゃあまたね」と二人の後輩に手を振ると、竜太はスッとハルの隣に並んだ。
「俺も帰る」
「だぁ! 待て待て、帰んなって! 少しは部活見てこーぜ!」
「やだ」
(容赦ない……!)
見事なまでに切り捨てられた大成は「ひっでぇ!」と派手に仰け反っている。
あまりにもひょうきんな反応に竜太以外の全員が吹き出してしまった。
「……ふふっ」
「大成」
ポツリと口を開く竜太に皆の視線が集まる。
「さっき通り過ぎてったのバレー部じゃないの」
「え、マジ? 何で!?」
(そういえばさっき、団体が通り過ぎていくのを見たような……)
もしかしたら人数が集まったから部室の案内に行ったのではないか──
そう友人の一人が部室棟を指し示せば、大成は「マジかよヤベェ、出遅れた! 天沼も早く行こーぜ!」と叫びながら駆けていった。
その後に続く者は誰もいない。
「行かないんかい!」という女性陣の無言の視線が竜太に注がれるも、本人はどこ吹く風である。
微妙な空気に耐えかねたのはハルだった。
「ねぇ、竜太君。大成君行っちゃったけど、本当に行かなくて良いの?」
「約束してないし部活入る気ない」
(とりあえず付き添うって選択肢すら無いのか……)
清々しいまでの淡白さに言葉を失っていると、彼はとんでもない事を口にした。
「よく分かんない奴に付き合うよりハルさんと帰った方が楽」
「! そう……」
顔にじわじわと熱が集まるのが嫌でも分かる。
比べる対象が大成なのは微妙な所だが、彼女を照れさせるには十分な言葉だった。
真顔で言い切る竜太がツボだったのか、志木が腹を抱えて笑い出した。
「やっばい! 君マイペースすぎ! ウケる!」
つられて爆笑し出す女性陣を軽く睨み、竜太はムッと口を尖らせる。
「そんな事よりハルさんはこの後何かあるの?」
「? 無いけど……」
「なら帰ろ。校門ね」
失礼します、と小さく会釈だけして竜太はサッサと行ってしまった。
ポカンとするハルの肩を志木がバシバシと叩く。
「なぁに、ハル! 桜木からあの少年に乗り換えたんかい!」
「ちが、違うよ! 桜木君は別にそんなんじゃ」
「えー、宮原さんたら、桜木君はって意味深ー。もしかしてあの子彼氏なのー?」
「それも違うってば……!」
からかう方は楽しいかも知れないがその対象者は堪ったものではない。
茹でダコのように赤くなった彼女は早く熱が冷めるようパタパタと手で扇ぐのだった。
今度詳しく話せと一方的に約束させられてしまい、鞄を持ったハルは気まずい思いで校門へと赴く。
竜太は既に校門の外側に立っていた。
「お、お待たせ」
「そんなに待ってない」
(そりゃそうだろうけど……)
どちらからともなく歩き出し、特に会話をする事もなく帰路につく。
半歩先を歩く彼の横顔からは感情を読み取る事が出来ない。
長い沈黙を破ったのはハルだった。
「あの、友達が、なんかごめんね」
「何でハルさんが謝るの」
声色から特に怒っている訳ではないようだと判断し、彼女は一先ず安心する。
互いの通学路の分かれ道まで差し掛かった時、彼は迷わずハルの家へ続く道を曲がった。
「えっと、竜太君」
「何」
「まだ昼間だし、わざわざ送ってくれなくても大丈夫だよ?」
時刻はまだ三時少し前といった所だ。
彼女なりに気遣ったつもりだったが、竜太は小さく首を振った。
「どうせ暇だし、まだ家に帰る気もないから別にいい」
(暇なら大成君に付き合ってあげても良かったんじゃ……というか、なんでいつも外を出歩いてるんだろう?)
理由を聞いても良いものか分からず、彼女は微妙な返事をするに留める。
再び沈黙に包まれていると、ある家の前で三人の婦人が立ち話をしている場面に遭遇した。
よく見かける仲良し三人組だ。
二人の存在にいち早く気付いたのは腰の曲がった最年長の老婦人だった。
「あららぁ、竜ちゃんに宮原さんのお孫さんでないの~」
その声に反応し、眼鏡の老婦人と太った中年の婦人も賑々しく続ける。
「今帰りなん?」
「仲良いのねぇ~」
ハルは「こんにちは」と頭を下げたが、竜太はペコリと会釈するだけであった。
そんな彼の態度を気にするでもなく三人は好き勝手に喋りまくる。
「竜ちゃんも高校生なんて早いねぇ」
「あたし等も年食う訳だわぁ」
「制服ちっと大き過ぎんべ」
つい足を止めてしまった為にすっかり場を離れるタイミングを失ってしまう。
口を挟めずにいるハルの横で竜太も面倒くさそうに頭を掻いている。
やがて最年長の老婦人が竜太の顔を覗き込んだ。
「竜ちゃんは何か部活とかやんのかい?」
「やんない。めんどいし」
やる気の感じられない発言に眼鏡の老婦人が派手な笑い声を上げる。
「若いのになぁに言ってんの。折角だから何かやりゃ良ーべ」
「……別に部活じゃなくても良いじゃん」
すっかりむくれてしまった彼に気付かないのか、太った婦人がグッと拳を握って追い討ちをかける。
「何事もね、チャレンジだよ、チャレンジ!」
「…………」
それからも「ウチの孫は野球をやっている」だの「ウチの子はダンスを習っているから一緒にどうだ」だのと話が広がっていく。
一つ一つに相槌する気も無いのか、竜太は適当に聞き流した後でまとめて「気が向いたらね」の一言だけ返して背を向けた。
「俺達もう行く。じゃあね、ばーさん達」
(ちょっと竜太君、流石に「ばーさん達」は失礼すぎ!)
咎める暇もなく彼はスタスタ行ってしまう。
ハルは「失礼します」と慌ただしくお辞儀だけして置いていかれないよう駆け出した。
背後で「デートの邪魔っされて拗ねてんだべ」とからかう声が聞こえ、ハルは心の内で「それはない!」と叫んだのだった。
(っていうか竜太君、足早いっ)
競歩のようだと思っていると、彼は道を曲がるなり急に歩く速度を落とした。
「さっきの、気付いた?」
「え? 何に?」
軽く息を整える彼女の返事は期待外れの物だったらしい。
竜太は少しだけ不満気に肩を竦めた。
「ハルさんってやっぱり鈍いね。進歩がない」
「なっ……!」
唐突なダメ出しに開いた口が塞がらない。
(そりゃ、私だって竜太君みたいに鋭いとは思ってないけどさ……)
彼は文句言いたげなハルを無視して来た道をチラリと振り返っている。
「さっき喋ってたの、ばーさん二人だけだよ」
「……え? えぇ!?」
「あれでも分かりやすくしたつもりだったんだけど。俺、オバサンにだけ返事してなかったでしょ」
(……そうだっけ?)
そんな馬鹿なと先程の会話を思い返す。
三人は終始言いたい放題で騒がしく、言われてみれば会話から一人分が抜けても違和感が無いように感じられた。
「で、でも何で? あの人達、よく見る人達で……あれ?」
「あの太ってるオバサン、ちょっと前から入院してるって聞いた。そろそろヤバイのかもしれないし、もしかしたらもう……」
その先は口にしない彼の顔に少しだけ影が差す。
思わぬ深刻な事態に押し黙っていると、彼は気を取り直したようにハルに向き直った。
「ハルさんはもう少し気を付けなきゃ駄目。悪意を持ってない奴でも、人間かそうでないか位はすぐに見抜けないと」
「うん……」
彼女とて神経を集中させている状態だったなら婦人の正体に気付けただろう。
しかし四六時中気を張り続ける事などとても出来る気がしなかった。
気落ちするハルに構わず竜太は話題を変える。
「ところで、何でハルさんは大成を知ってたの」
「あぁ、それは……その、」
隠す程の事でもない。
ハルは大成兄妹と知り合った経緯をかい摘んで説明した。
かなり簡潔に伝えられたと思った彼女だったが、竜太は「ふーん」と無表情で呟くだけである。
何かまずかったかと不安になりかけた頃、ようやく彼は口を開いた。
「この辺の人面犬ってメスもいたんだ」
その言い方ではまるで「オスもいる」ようではないか──
ハルは自分の顔が引き攣るのを感じた。




