6、猿夢
嫌な目に遭ったものである。
帰宅していく友人達に別れを告げ、ハルは渋々と鞄を肩にかけた。
『各クラスの学級委員は残っておくように』
そんなお達しが出ているのだ。
(学級委員会の説明があるって言ってたっけ。面倒だなぁ……)
かといってサボるという選択肢はない。
彼女は開始予定時刻より十分早く会議室に到着した。
会議室内には長机が二重のコの字型に並べられており、既に数名の生徒が席に着いている。
ハルと同じクラスの男子学級委員も後方の角の席に座っていた。
緊張しているのか顔色が悪い。
(同じクラスだし、離れて座るのはまずいかな……)
会釈しながら入室し、彼の隣のパイプ椅子に座る。
「あの、宮原です。同じクラスの。持田君……だよね。宜しく」
「あっ、はい。よら、よろしく……」
(なんか、少し前の自分を見てるみたい……)
何故彼のような人物が学級委員なんかに──と、ハルは自分の事を棚に上げて鞄を足元に置く。
(生徒会ならともかく、学級委員ってあんまり内申に響かないらしいし損だよなぁ……)
手持ち無沙汰にスマホを弄ると新着のメッセージが届いている事に気が付いた。
(嘘!)
画面には竜太の名前が表示されていた。
はやる気持ちを抑えきれず、慌てて内容を確認する。
──まだ学校いる?
(短っ。これ、別に事件……とかじゃない、よね?)
絵文字もスタンプもなく、用件も不明だ。
急かす内容ではないので緊急事態という事は無さそうだ。
彼女は「いるよ。学級委員の集まりに出る所」と手短に返信した。
即座に既読がつき返事が届く。
──待ってる
たった四文字の返答だけで彼女の心は大きく跳ねた。
(な、何で!? 何かあったの? それとも気まぐれ? 用事があったとして、一体何の用が!?)
頭がグルグルとまとまらない。
動揺している間に委員説明会の開始時間が来てしまった。
(おち、落ち着いて。今は、学級委員に集中しなきゃ……)
人生初とも言える責任ある仕事に気負うハルだったが、意外にも学級委員の仕事はアッサリしたものだった。
要は「LHR等で何かを決める場合、司会進行を行い、何かあったら逐一担任に報告するように」との事だ。
号令等は日直が行う為、整列や集合をかける位しかやる事はないらしい。
(良かった。思ったより楽みたい)
学級委員会の説明は挨拶を含めても僅か十五分足らずで終了した。
ガタガタと席を立つ周りの生徒に続き、ハルも鞄を片手に立ち上がる。
「じゃあ、持田君。また来週」
「う、ん。……また……」
はにかんで見せたものの、最後まで両者の目が合う事は無かった。
(……頑張ろう)
彼の様子を見る限り頼る事は望めそうにない。
自分がしっかりせねばと気を引き締める。
(って、あぁ! そうだ、竜太君!)
慌ててスマホを開くと追加のメッセージが届いていた。
──校門前にいる
その一文を確認するや否や、彼女はパタパタと小走りで校門を目指した。
「……ごめっ、お待たせっ……!」
「ハルさんって足遅いのにいつも走ってるよね」
「う……」
校門の脇に突っ立っていた竜太が冷ややかに言い放つ。
早く会いたかった気持ちが見透かされてしまったようで居心地が悪い。
おまけに少しブカブカの制服姿すら格好良く見えてしまって目も合わせられない。
挙動不審に目を泳がせる彼女の態度に呆れたのか、竜太は小さく肩を竦めた。
「まぁ良いや。元気そうだし」
「う、うん、元気。竜太君は?」
「普通」
(普通なのか……)
相変わらず盛り上がらない会話である。
それが不思議と心地よい。
「ところで、何かあったの?」
「別に何も無いけど。用事無きゃ駄目?」
表情の乏しい顔が小さく傾ぐ。
彼の意図が読めず、ハルは「そんな事ないよ」としか答えられなかった。
「帰ろ」
「……うん」
さっさと歩き出すセッカチな彼の背を追い、慌てて隣に並ぶ。
暫く会話は無かったが、竜太はふと思い出したように口を開いた。
「そういや昨日ちょっと珍しい事があったよ」
「へぇ、どんな事?」
ハルが軽い気持ちで返すと、彼は鞄から半透明のビニール袋を取り出した。
袋の中には大量の粗塩にまみれたボロボロの黒い帽子が入っている。
帽子は前にツバが付いたデザインの物でサイズは手のひら位しかない。
パッと見は古い人形の帽子のようだ。
嫌な予感しかせずハルの表情が強張る。
「……これは?」
「昔ネットで流行った怖い夢の話があってね。昨日、それっぽい夢を見た。これはその夢の中で取ってきた戦利品。朝起きたら持ってた」
サラリと話しているがとんでもない話である。
あまりの突拍子の無さに理解が追い付かない。
「え、っと……? 怖い夢を見て、その夢の中で手に入れた帽子が、現実のここにある……って事?」
「そう。夢の内容はグロいから詳しくは言えないけど」
そんな馬鹿な、と言えたらどれだけ良かっただろうか──
ハルはしげしげと彼の手中にある帽子を見つめた。
ちゃんと布らしい質感があり、とても幻の類いには思えない。
(どんな夢だったんだろう? まるで駅員さんの帽子みたいだけど……)
「戦利品って……何か危ない事でもあったの? 大丈夫?」
大丈夫だったからこその余裕なのだろうが、ハルとしては聞かずにはいられない。
彼は「スマホの音楽大音量で流して騒いで暴れまくったら、途中で降ろされただけ」と、珍しく要領を得ない話をしている。
(ますます意味分かんない)
バスか電車を降ろされたのだろうという情報だけでは何が怖い夢なのかも不明である。
ピンと来ない彼女の反応は想定内だったらしい。
彼は特に気分を害した様子も無く帽子入りの袋を鞄にしまった。
「都市伝説とかネットの怖い話とか、案外馬鹿に出来ないって分かったのは良かったよ」
「そ、そっか……」
「……勿論、関わらないのが一番なのは分かってるよ。今回のは不可抗力」
「そっか……」
ここ最近の彼は怪異に対する好奇心を無理に抑え込んでいる節があり、その様子はどこか退屈そうであった。
話の内容は正直微妙だったが、ハルは久しぶりに生き生きとした竜太を見た気がした。
怖い夢で検索すれば何か分かるだろうかと思案していると、「調べない方が良いよ」と釘を刺されてしまう。
「ハルさんは今も、寝る時にパワーストーン持ってる?」
「持ってるよ。肌身離さず持つよう言われてたし」
彼女はパワーストーンを貸してくれた恩人、七里忍の言い付けをしっかりと守っていた。
忍は怪異に対して人並み外れた力と知識を持ち合わせた謎多き人物である。
竜太が今持っている帽子も、この後忍の元へと届けられるのだろう。
「なら多分大丈夫。俺、昨日パワーストーン持たないで寝ちゃったからあんな夢見たんだろうし」
「……もう忘れちゃダメだよ……」
一体何があったのか気にはなるが怖い思いは御免である。
モヤモヤが残る、微妙にスッキリしない話であった。
眉間に皺を寄せるハルに気付いたのか、竜太は珍しく言葉を探すように視線を落とす。
「……そういえばハルさん、学級委員になったの?」
「うん……いつの間にかなってた」
「何それ」
間の抜けた話のおかげで場が和む。
「まぁ、頑張れば良いんじゃない」と抑揚のない声で励まされ、彼女のやる気に再び火がついた。
(これ以上竜太君に呆れられないように、頑張ろう……)
ハルは結局、昨日見た美少女の事を聞けないまま竜太と別れたのだった。
◇
目を開くと見知らぬ駅のホームに立っていた。
訳がわからず、ハルはきょとんと辺りを見回す。
(……あれ? 何で私……駅に……?)
戸惑う内に構内アナウンスが流れ始める。
──間もなく~電車が参ります。ご乗車されるお客様は~恐い目に遭いますのでご注意~下さい。間もなく~……
(これって……夢?)
意識はハッキリしている。
体の感覚も周りの物の質感もリアルにある。
にも関わらず、違和感と不自然さが強い主張を発していた。
寝間着にしているルームウェア姿でいるのもその理由の一つである。
現実味があるのに、現実感がない。
言い様のない不安が彼女の胸をざわつかせる。
ガタンゴトン、ガタンゴトン──
電車はやけにゆっくりとした速度でホームに入ってくる。
初めて見る車体だ。
まるで昔の映画に出てくるような、かなり古めかしいデザインの電車だった。
(やだ、何なの? 恐い目って、どんな目!?)
絶対に乗りたくないと身構えていると太腿をツンツンと突付かれる。
「……え?」
足元にはボロボロの駅員の格好をした小人が立っていた。
顔はよく見えない。
彼の頭に乗っているのは竜太が持っていた帽子と同じデザインの物だった。
『お客様、電車内への不審物の持ち込みは固くお断りしております。申し訳ありませんが、ご乗車はご遠慮下さい』
「あ、はい。乗りません……」
『お帰りの際はお足元にお気を付け下さい』
小人の駅員は軽く頭を下げ、ヒョコヒョコとどこかへ行ってしまった。
プシューと音を立てて電車のドアが開く。
「ぅぐ……っ」
ムワリとした強い血の臭いがハルの鼻を掠める。
ギョッとするのと目を覚ますのはほぼ同時だった。
(……やっぱり、夢……)
彼女は自宅のベッドの上に横たわっていた。
額の汗を拭い時計を見る。
時刻は深夜の二時半を回っていた。
(不審物って……これの事だったのかな……)
ルームウェアのポケットから忍のパワーストーンを取り出す。
ペンダントになっているそれは石同士がぶつかり、カチャリと軽い音を立てた。
(……ありがとうございます、忍さん)
これがあったから助かったのだろう。
彼女はパワーストーンを大切にポケットにしまい直す。
(そういえば、竜太君は降ろされたって言ってたっけ。喧嘩したっぽいし、まさか乗車……したのかな……)
彼ならやりかねない。
そう思いながらハルは再び眠りについた。




