3、小型犬③
ヒャヒャ……ヒャッ、ヒャヒャヒャッ……
(うぅ……一体どうしたら……)
何度か試すも人面犬は何一つ驚きはせず、馬鹿にするような引き笑いを繰り返している。
ほとほと困り果てた彼女の脳裏にある生意気な少年の姿がちらつく。
冷静な彼なら何らかの対応策を講じてくれる可能性が高かった。
(でも、気味が悪いだけで実害が無いんだよね。こんな事で一々助けを求めるのも悪いかも……竜太君だって都合があるだろうし)
天沼竜太。
今年から世与高校の一年生として入学してくるハルの後輩であり、彼女の想い人である。
彼もハルや桜木同様ただ視えるだけの人間なのだが、怪異に対して持ち前の知恵と度胸で乗り切るという事が度々あった。
(どうしよう……)
ハッハッと人面犬はハルの周りを旋回する。
もう飽きられるまで無視するしかないのかもしれない。
(嫌だけど、我慢するしかない、か……)
彼女は暗い面持ちで来たばかりの道を引き返す。
土手を上りきり、橋に差し掛かった時だった。
「こっのぉ!」
バシィン! という強い音と共に人面犬の体が横に吹っ飛ぶのが見えた。
「キャイン」と甲高い悲鳴を上げ、人面犬は素早い動きで土手の下へと駆け下りていく。
そしてそのまま何処かへと逃げてしまった。
「え? あ、あの……?」
振り返った先にはオレンジ色のカーディガンにスキニージーンズを履いた快活そうなお団子頭の少女が立っていた。
中学生位だろうか。
彼女は肩で息を切らし、手にしていた重そうなエコバッグを肩に掛ける。
恐らくそのエコバッグで人面犬を殴り飛ばしたのだろう。
「お姉ちゃん大丈夫? 噛まれてない!?」
「あ、うん。大丈夫。どうもありがとう……」
「この町ヤバいよ。何か妖怪がいっぱいいんの。お姉ちゃんもさっきの妖怪が見えたんだよね!?」
少女は鼻息荒く詰め寄ってくる。
その勢いに気圧されたハルは引き気味に頷く事しか出来なかった。
「アタシ、大成千景。先週世与市に引っ越して来たの」
彼女は今年から世与東中学校の一年生だという。
「なんかね、ヤッバいの。アタシと兄ちゃん以外、誰もお化けとか妖怪が見えてないみたいでさ。怖かったし全部無視して過ごしてたんだ。そしたら、あのオバサン犬に追っ掛けられてるお姉ちゃん見付けちゃって! 仲間だ、助けなきゃ! って思って……」
千景は早口でペラペラと捲し立てていく。
よほど視える者に出会えて嬉しかったのだろう。
その気持ちはハルもよく分かる。
もし竜太と出会っていなかったら自分は今頃どうなっていたか分かった物ではなかった。
「えと、千景、ちゃん? 少し、落ち着いて……」
「あ、ゴメン。……ねぇ、ハルお姉ちゃんはなんでこの町にお化けが多いのか、知ってるの?」
彼女の真っ直ぐな目と口調には「もし事件なら解決せねば」という強い正義感が多分に含まれていた。
(元気だなぁ……)
首を突っ込むのは悪手であると身を持って学んでいるハルは「それは知らないや」と申し訳無さげに眉を下げる。
「でも、あのね。本当はあぁいうオバケに出会っちゃったら、気付かないフリするのが一番なんだよ。助けてくれたのは本当に嬉しかったけど、でも、もう危ない事はしないでね」
「えぇ~。でも、折角霊感があるのに、何もしないなんてさぁ~」
彼女は自分に強い霊感があると思っているらしい。
そう考えてしまうのも無理はない。
ハルは「世与を離れれば、また何も視えない一般人に戻る。ここはそういう場所らしい」と噛み砕いて説明した。
ガッカリさせてしまうかと危惧したが、彼女は何故かキラキラとした表情でハルを見上げていた。
「凄い! なんかマンガの世界みたい! ハルお姉ちゃん、この町の事詳しいんだね。カッコいい!」
「い、いや、私も去年引っ越して来たばかりで、教えて貰っただけだから……」
「それでも凄いよ!」
千景は興奮しきりでハルの隣に並び歩く。
家の方向が同じらしい。
「とにかく、まずは関わらない事が第一だよ。私は今回失敗しちゃったけど、いつもは無視して過ごしてるから……」
「うぅーん……分かったよ。ハルお姉ちゃんがそう言うなら、今まで通り無視して過ごす」
残念がってはいるものの、意外にも彼女は聞き分けよく頷いている。
どうやらハルは随分と過大評価されてしまったようだ。
自分は視えるだけだし、他にも視える人は居ると言っても彼女は何処吹く風である。
「お化けの事、また何か教えてね」と念を押され、終いには連絡先の交換までしてしまった。
「じゃあハルお姉ちゃん。まったねーっ!」
ブンブンと手を振る千景に小さく応え、ホッと一息つく。
助けて貰ったは良いものの、何故かどっと疲れてしまった。
(でも、あの勇気は見習わなきゃなぁ……)
鞄で殴るという発想は無い訳では無かったが、報復が怖くて行動に移せなかったのだ。
結果、年下の少女に救われるという情けない顛末を迎えてしまった。
(はぁ……もっとしっかりしなきゃなぁ……)
高校三年生の初日としてはさい先の悪い一日である。
ハルは一人反省しながらトボトボと帰路につくのだった。




