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内気少女の怪奇な日常 ~世与町青春物語~  作者: 彩葉
第二部 一章、新学期

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2、小型犬②

 その後、北本や桜木と別れたハルは新たな教室へと足を踏み入れた。


(ユーコちゃんや八木崎君以外にも知ってる人が何人かいるなぁ)


 チラホラと見知った顔の同級生に会釈をしつつソロリと指定された席に向かう。

座席は五十音順となっており、彼女の席は一番窓際の真ん中だった。


(ユーコちゃんとは席が遠いや……)


 逆に八木崎の席はハルの隣の列の二つ後ろである。

二年の時はずっと隣の席だった事を思えば離れているが、それでも近い。

安心と違和感の両方を自覚した彼女は小さく頭を振った。


「宮原さんだっけ。宜しくね」


「え、あ、うん。宜しくね」


 前の席の女子に声をかけられ、ぎこちないながらも精一杯の笑顔を浮かべる。


(これから一年間、このクラスで過ごすんだ。……頑張ろう……)


 よし! と気合いを入れ直す彼女だったが、そのやる気は思わぬ形で削がれる事となる。



 退屈な始業式の後の事だ。

HRは担任の挨拶から始まり、話はすぐに受験の話へ持っていかれた。

脅しを含めた不安を煽る担任の言葉は生真面目なハルの心を曇らせていく。


(うーん……今年は本気で頑張らないとまずいかもしれない……)


 やはり近所の私塾より大手の塾に移った方が良いのだろうか──

そんな事を考えていると聞き覚えのある息遣いが聞こえてきた。


 ……ハッ……ハッハッ……ハッハッ……


(え──?)


 担任に向けていた視線を下げる。

登校中につきまとってきた女の顔をした犬が机の横に座っていた。

女人面犬は朝と同じく微妙な笑顔で舌を出してハッハッと肩で息をしている。


(やだ、ここまでついて来たの!?)


 建物の中にまで入ってくるとは想定外だった。

ハルは犬の方を見ないように手元に視線を落とす。

しかしどうしても視界の端で茶色い毛並みがチラついてしまう。

堪らず彼女は顔を上げ、黒板だけを見つめる事に専念した。


「おっ? 何だ宮原。やる気あんのか?」


「……え? あ、はい……?」


 突然担任に名指しされ、ハルは大いに慌てた。

話を全く聞いていなかったのだから仕方ない。

適当に受け答えたのは明白だったが、それでも構わなかったのか担任はニカリと白い歯を見せる。


「じゃ、女子の学級委員は宮原な。頑張れよぉ。ほら、男子は誰かやりたい奴居ないんかぁー?」


「え? えぇ!?」


 パクパクと口を動かすが、今更「やりたくない」等とは言えない雰囲気だ。

慌てて周りを見回すも、皆我関せずに徹している。

人面犬以外、誰とも目が合わない。


(ど、どうしてこんな事に……)


 困惑するハルに気付いた志木が短髪に似合った勇ましいガッツポーズをしてみせる。

彼女の口は「頑張れよ!」と動いていた。


(違うってばユーコちゃん! そうじゃない……!)


 蒼白になる彼女の真横にテチテチと人面犬が寄ってくる。

踏んだり蹴ったりとはこの事か。


(最悪だ……)


 担任は早速プリントを配るようにと委員長に向けた指示を出す。

ハルは渋々と立ち上がり、人面犬を避けるように前に出た。

互いがぶつからないよう犬の方も避ける仕草をしてくれたのが不幸中の幸いである。


 ハルともう一人の学級委員である眼鏡の男子は両端から黙々とプリントを配っていく。

彼も真面目で大人しそうな生徒である。

とても人前に出るタイプには見えない。

立候補なのかハルのように押し付けられたのか──話を聞いていなかったハルには判断がつかなかった。


(早く終わって……!)


 クラスメイトの視線が全て自分に向いているようだ。

緊張で指先が震える。

おまけに教卓の周りを茶色い化物がグルグルと歩き回っていて集中出来ない。


(もうやだ……)


 泣くに泣けない彼女の耳に聞き慣れない声が届いた。


 ヒャヒャ……ヒャヒャッ……ヒャッ


(──っ!?)


 人面犬がテチテチと爪の音を立てて笑っていた。

顔は変わらずの微妙な笑顔だ。

どこにでもいそうな普通の女性の顔が、犬のような息遣いに混じって笑い声を上げていた。

先程から感じる強い視線はクラスメイトではなく、この化物からだったのかもしれないと思い至る。


(私を見て笑ってる……? 一体、何がおかしいっていうの!?)


 沸々と怒りが込み上げる。

ハルは三種類のプリントを配り終えると、先程までとはうって変わって少しばかり胸を張って黒板の前に立った。


「えと……じゃあ、年間行事の各実行委員を決め、決めます……」


 担任に誘導してもらいながらどうにか委員会のメンバー決めを行う。

声が震えてしまったが今の彼女には気にする余裕もない。


 もう一人の男子学級委員はハル以上に口数が少なく、声が小さかった。

必然的にハルが進行を務める流れとなってしまう。


 ハッハッ……ハッハッ……


 いつの間にか人面犬は笑うのを止めており、ただハルの近くをうろつくだけの存在になっていた。

たまにハルが噛んだり吃ると「ヒャヒャ」と短く笑う位だ。

表情は何一つ変わっていないが、どこかつまらなそうな気配を醸し出している。


(私の情けない所が見たい訳? 性格悪いなぁ)


 負けてたまるかとムキになった彼女は、半ばやけくそで初めての学級委員の仕事をやり抜いたのだった。




 その後は新しい教科書を受け取り次第下校となる。

教科書をしまうや否や、志木が大笑いしながらハルの元へと駆け寄ってきた。


「いやー、まさかハルが学級委員とはねぇ! ビックリだよ、アッハッハ!」


「ユーコちゃん、笑い事じゃないよ……」


 バシバシと背中を叩く豪快な友人の勢いに驚いたのか、人面犬がハルから距離を取った。

そういえば、と彼女は朝の事を思い出す。

桜木が近くをうろついていた時や人混みにいた時、この化物は離れていた。

もしかしたら大きな声や喧騒が苦手なのかもしれない。


(もしかして、私が大きな声で脅かしたら離れてくれる……かな?)


 思い立ったら試さずにはいられない。

ハルはむんずとスクールバッグを引っ掴み、慌ただしく立ち上がった。


「ごめん、ユーコちゃん。私、ちょっと用事思い出した。悪いけど先に帰るね!」


「え? あ、ちょっとハル!?」


 バタバタと教室を後にする彼女の後ろを人面犬が追いかけるが、その存在に気付く者は誰も居なかった。




 ハルはひと気のない場所をひたすら目指す。

振り返らずとも人面犬がついて来ているのは息遣いと足音で分かった。


(そうだ、橋の下! あそこなら人通りも多くない。川もあるし大きな声を出しても大丈夫そう!)


 彼女の足は決して速くない。

それなのに人面犬は追い付く事なく付いてきていた。


(何なの、もう……!)


 途中で息は上がり、諦めた彼女はゆっくり歩く。


 チャッチャッ、チャッチャッ……


 人面犬は一定の距離を保ったまま離れず、あっという間に目的地である橋に辿り着いてしまった。

予想通り、通るのは車や自転車ばかりで人通りは少ない。

ハルは土手を下りて橋の下へと向かう。

薄暗くて不気味さが際立つが、この程度で怯む程彼女は怖がりでは無くなっていた。


(よ、よし! 驚かせて、追い払おう……)


 しかしいざ大声を出すとなると何を言ったら良いのか分からない。

悩んだ末、彼女の口から出たのは頼りない「コラー……」という一言だった。

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