Xの正体
音の後に声の波が押し寄せてきたら、流石に視線を向けない者は相当に少ないはずだ。
「馬鹿ではあるが、夢想家にして現実的。やはり世界を一新するのはそういう人間か」
それは靴底の音だった。
僧侶の如月でも、当然万梨阿でもない。それはしゃがれた男の声だった。しかしそこに弱々しいという印象はない。むしろ言葉に深みを持たせるために調整された声色だった。
「それにしても甘いな、分かっていた事ではあるがあまりにも甘い。平和の砂糖漬けというのはここまで人間の危機感というものを薄めてしまうものなのか」
「誰だ!?」
そう叫ぶ結城陸斗の耳に、直近から、そう味方であるはずのカタリナの方から凄まじい爆音が轟く。
驚きながら目を向けてみると彼女の右側、サイボーグ兵器が搭載されている腕、太腿、膝から青白い閃光が迸り、石畳の地面を抉るように亀裂が入る。あまりの高出力のパワーにその余波だけで硬い石にヒビが入ったのだ。
「……冗談も、大概にしやがれ」
「カタリナっ?」
「よく顔を見せろ」
陸斗に向けた言葉ではない。
眼帯から赤く滲み出る薄い輝きがあった。見開かれた方の左目も筆舌に尽くしがたいほどに歪んでいた。
その雰囲気に、陸斗は初めて地下で会った時の彼女の瞳を思い出す。
カタリナの声に呼応して、影にまみれた男の声が姿を持つ。月明かりの前に歩み出て、その顔を全員の前に晒したのだ。
「これで満足かい、お嬢さん?」
「〇♯△×◎♭±§¶÷\@&―――ッッッ‼‼‼」
薄汚れた高級スーツの上から不釣り合いなほど綺麗な白衣を纏い、いくつかの光点が躍るレンズの眼鏡を掛けたその男の素顔を見た直後に、カタリナ=グラフィックの喉から絶叫が絞り出された。
わずかに戸惑う陸斗を差し置いて、双方の女性が前に飛び出した。
そう、双方。
移動手段なのだろう、ジェット推進を利用したサイボーグ兵器のスラスターで跳ぶカタリナだけではない。メアリーもバグが発生しているにも関わらず、その足の脚力でもって前方に跳躍して男の方へと突撃を敢行したのだ。
「カタリっ、メアリー!?」
『警報‼ 検索完了しました、リペアされる前のスーパーコンピューター・マザーテレサの使用権限許可書から情報を抽出。あの人物は……‼』
人間ではあり得ない速度で突貫してきた二人の少女に、しかし四〇代の男性はゆるりと片手を挙げただけだった。
『ヤツの名は、おそらく』
「おいおい」
彼は言う。
「私に勝負を挑むつもりか? この私に?」
カタリナのスラスターが明後日の方向に向き、林の方にその華奢な体が突っ込んで行く。
パチン、と指を鳴らす音が響く。その男のアクション一つだけで、もう一方のメアリーが地面と接触した足を滑らせて万梨阿の側まで派手に転がる。
『アラン=グラフィック。あの地下の全貌をいち早く察知した怪物です‼』
「……、……は?」
思考が停止する。それでも時間は進んでいく。
悲劇を起こす戦争が、再び始まろうとしていた。




