戦略的撤退
「うむ。科学的に言えば人間の思考回路は操れるなどと言われておるが、あれは血圧や脳に回る酸素に思考が左右されるというだけの話じゃ。雪山で高山病になって酸素が薄くなり体力がなくなると、多くの者が座り込んで足元の雪を食べてしまう、といったようにな」
「私に思考回路など存在しないはずですが」
「そなたは0と1の連結じゃからの。ま、随分と珍しい造形、中身をしておるようじゃが」
そう告げる万梨阿は、特にメアリーに興味を示しているという訳でもなさそうだった。
彼女は結城陸斗やカタリナ=グラフィックとは異なり、研究者の性質など一つも兼ね備えていない表情を持っている。
「……あなたは破滅を呼びますね」
「意味のない確認じゃな。いえすと答えようがのーと答えようが、もたらす結果は変わらんのじゃし」
ギンと、物体を貫くような氷点下の視線があった。
ちらちらと影を見せる脅威は、今この時より終わりを告げた。
「さて、そなたと質疑応答げーむなどやってもくそつまらなさそうじゃ。わしは先ほどこう言った。人間とはどこが違うのか、と」
「っっっ‼」
「解体して確かめてやる。……のも面倒じゃな、すくらっぷにしてその辺に捨てておくか」
メアリーの動きは万梨阿の手品で封じられている。
髪の毛、ワイヤー、単純な膂力、その他諸々の九六〇以上の攻撃手段をトライするが、どれもこれも起動してから失敗に終わる。
そして、凄まじい破壊音があった。
「……む?」
万梨阿が眉をひそめる。
自身が破滅を撒き散らす前に、お堂の壁の方から衝撃波じみた破壊があったのだ。砂埃に似た煙が部屋に充満する中、金色の細い糸が素早く万梨阿の抱き枕を没収していく。
いいや、それは糸ではなく髪の毛。
メアリーの白髪ではなく、黄金の髪を操れる者など心当たりは一人しかいない。
「これは貸しだぞ、それも特大のな」
カタリナ=グラフィック。
右膝のサイボーグ兵器でお堂の壁を破壊して、そのままテロリストよろしく中へ踏み込むと彼女の右目に埋め込まれた赤い宝石が最大限の力を発揮する。夜目が利くためお堂の中を即座に把握した彼女は、その金髪の切っ先で敵の手の中に落ちていた少年を照準する。
メアリーの機能をそのまま自身に搭載したサイボーグ少女は、速やかに結城陸斗の奪還を成功させる。
「チッ、さっさと起きろ」
「ごっ! ぶっ!?」
やや仲間とは思えない荒っぽさで、金髪の美少女は陸斗の腹に膝蹴りをかます。
大切なのはスピードだ。
膝蹴りでも起きなかった少年を面倒臭がったカタリナは、結局靴の爪先で男性の最もデリケートな部位を蹴り飛ばしたのだった。ほとんどの格闘技で禁じられている反則を喰らい、感電でもしたようにピクピクと痙攣を繰り返す哀れな少年は危うく泣き出す所であった。
「……痛い……ッ‼ なんか知らんがアソコが物凄い痛い‼」
「おやそうなのかそれは大変だな大方あの巫女に何かされたのだろう」
しれっと冤罪を生み出した完全犯罪者の出来上がりであった。
カタリナ=グラフィックは現状を鑑みる。
長期決戦は性格上、向いていない。そう自己分析していたカタリナだったが、これは自我を貫き通していては全体の目的すら崩しかねないと判断する。
「……一度撤退するぞ。おいクソガキ、スマホは忘れていないな?」
「ポケットにあるけど、でもおい待て! メアリーはどうす……ッ!」
暴れられてはたまらなかったので、みぞおちの辺りに再び膝蹴りを叩き込むカタリナ。
少年が気絶したのを確認して、サイボーグの右腕一本で彼の体を担ぎ上げる。
やけに背後が静かだ。
カタリナは再びお堂の壁をサイボーグ兵器のレーザーで破壊しながら、振り返らずにこう告げる。
「……何だ、妨害しないのか」
「ほんの少し気が向かないだけじゃよ。でざーとのようなものじゃ、最後に食べてやる事にしようかと思っての」
「……」
眼帯のされていない方の目を限界以上に細めるカタリナ。
……今、何かが引っかかった。
それも戦闘モードとしての自分ではなく、科学者の気質に溢れた自分のアンテナの方に、だ。
壁を破壊し終えると、そこから再び夜の世界へと飛び出す。カタリナには、巫女のいる内よりも外の方が明るい世界のように思えたのだった。




