挑戦権は手の中に
ハードルや走り高跳びなどの道具がしこたま詰め込まれた体育倉庫の陰で、結城陸斗はオリヴィア=サクラと共に息を潜めていた。
一〇月の肌寒い空気に晒されているからか、それとも単なる恐怖が原因か、隣のオリヴィアがやたらと体をくっ付けてくる。
やがてスマートフォンからポンという電子音が響く。
『報告します、ボス』
「ああ、セレナ」
『こちらが僧侶の閲覧したデータとなります。なおUSBメモリなどでバックアップを取られた形跡はありません』
スマホを横向きにしてデータを眺める。
一緒に顔を近づけて見ていたオリヴィアが眉をひそめる。
「……電力、消費量……?」
「この学校の電力消費量のグラフデータか」
訳が分からなかった。
てっきり生徒の個人情報を抜き取るものだとばかり思っていた。
学校に忍び込む理由なんてそれくらいしか思い浮かばない。
さらに言えば予想が外れた事に驚いたのではなく、あまりにも突拍子もないデータを見ていた事に拍子抜けする。
「セレナ」
『いいえボス。有力な仮説を立てられません』
「んー、そうだな。じゃあ学校の中で電力消費量が一番多いのは何だ?」
『ええボス。エアコンや生活用の電灯となります。夏ですとプールのポンプなどで電力を使用していますが太陽光発電も併用しておりまして……』
「その辺の詳しい事はまた後でな。……ヤツはデータのどの部分に注目してたか分かるか?」
『PCの内側カメラより情報取得。視線の動きから推測しますに、全ての使用電力に注目しているようです。眼球の停止位置からも、料金などには頓着していないように思われます』
「……何だ、ここまで来て電力に注目するなんてどういう了見……」
と、そこまで言いかけた陸斗のブレザーの裾をくいくい引っ張ってくるオリヴィア。
隣の少女は小難しいグラフやデータではなく、別の所に注目していたようだ。
「ね……ここ」
「? 先月のデータ、ですね」
確か今は一〇月。
当然今月の消費量や電力費用などはまだ出ていない。
そして今月は陸斗にとって、いいや世界全体にとっても大きな出来事があったはずだ。
「……セレナか?」
『ボス』
「いいや、呼んだ訳じゃない。そしてたぶんこれで正解だ」
『勿体ぶるのは結構ですが中身のある音声コマンドをお願いしたいところです』
「ヤツは……」
頭を整理する必要などない。
ポンと脳裏に浮かんだ仮説をそのまま告げた。
「ヤツの狙いはお前だよ、セレナ」
『……ふぁっつ?』
「お前も音声コマンドは正しくな」
会話機能が柔軟になってきたのは結構だけども、と心の中で付け加えておく理系高校生。
陸斗はスマートフォンに向けて人差し指をひゅんひゅん振って、
「覚えてるかセレナ」
『ええボス。ログが削除されていなければ全てを鮮明に』
「部室に置いていたセレナの本体は電力消費量が大き過ぎるから学校側から反対される可能性があった。それを避けるために他の製品が消費する電力をかさ増ししていた。言い方は悪いがお前を保管するためにハッキングしていた訳だけど」
『ええボス。そのかさ増しした分をわたくしが使えた訳ですから必要悪でしょう』
「だけどもうお前の本体は……」
お前の本体は地下の空間にある、と続けようとした段階でオリヴィアが隣にいる事を思い出し、一旦口を噤む。
セレナならばこちらの意志を汲み取ってくれるはずなので、全てを言わずに言葉を選ぶ。
「ほら、もうここにはないだろう? だから今月からはセレナの電力なしの使用量、費用としてデータに残るはずなんだ」
『なるほど、ボス。わたくしの存在が露見した上で、僧侶は電力消費量を調べて学校のどこにわたくしの本体があるのかを突き止めてやろうとしている訳ですね』
「そうなると生徒を襲わなかったくせに警察に危害を加えた理由にも頷けるんだ。邪魔しなければ構わないけど、セレナを見つけるまでは妨害してくれるなって感じかな」
「……ここまで、優秀な……スパコンなら、学校を襲うのも、分かるような」
『お褒めに預かり光栄です、ミスオリヴィア。恐縮ながらわたくしのせいで申し訳ありません』
「気にしなくて、いーの……。よしよし」
「スマホを撫でてもセレナは感知しませんよ」
となると、だ。
陸斗は重たい頭を動かして情報を整理する。
「セレナを分解して持ち帰る、なんていうのは現実的じゃない。何せ体育館の半分くらい体積がある訳だからな」
「あれ、邪魔……だったよね」
「部室に置いてすみません、オリヴィア先輩」
『先ほどは褒めてくださったというのに、邪魔と言われてしまっては元も子もないような気もします』
「気にするな、女心なんてそんなもんだ、花恋もそんな感じだろ。……つまりヤツの目的はセレナの破壊だ」
『ええボス。おそらくそうでしょう。なぜ破壊を目的にして傷害罪を許容しているのかまでは分かりかねますが』
「俺の娘を壊そうなんざ良い度胸だ。いよいよブチギレても良さそうだな」
「マシン馬鹿、め……」
ジト目の先輩からありがたいお言葉を頂きながらも、しかしやる事は変わらない。
自分のやれる事を見誤った結果はきっと悲惨だ。
少年にできるのは危機を察知して、先んじて逃亡する事だけ。その安全地帯に知り合いを引きずり込むくらいが関の山。
ゆえに。
「電力消費量は見られた。……これでヤツにセレナの本体の大きさが概算ではあるけどバレたはずだ。きっとここを見つけるぞ」
『ええボス。わたくしを置けるのは部室とプールの近くにある空き地のみです』
「水冷のシステムを簡単に敷けるから最初はそっちにしようかとも思ってたんだっけな。でも空き地の方は雨風に晒されるから駄目だって気付かれるはずだ」
『つまり僧侶はこちらにやってくると思われます』
「なら話は簡単だ。職員室から部室に来るまでのルートを構築。そこを避けるように校門へ向かうぞ」
『ええボス』
これで安全地帯は形成された。
確保したルートを静かに進めば鬼から隠れて出口に辿り着ける。危険なゲームから脱出する事ができるはずだ。
油断はない。
全力の努力によって安全は構築できた。
だけど彼は知っていたはずだ。
現実はそうそう上手くはいかないという事を骨身に沁みて。
『警報』
「何だセレナ。急いだ方が良いか? それともヤツが部室に入るのを見届けてから校門に走った方が安全なのか」
『そういった類の警報ではありません』
「じゃあ何だ」
『……ボス。わたくしは短い付き合いながらも、ボスの思考回路をそれなり以上に把握しているつもりです。人間ゆえに未知の部分は多々ありますがこういった時にはどうするか、ほとんどのケースを理解しているつもりなのです』
「まどろっこしいな。一体何だっていうんだ」
『冷静な判断をなさってほしいのです、ボス。どうか感情に流されず、目の前の状況を分析して最善策を取ってください。ベストを尽くすと仰ったのはボスの方です』
「セレナ……?」
『警報の内容を表示いたします』
直後、スマートフォンに悪夢が表示された。
ばったりと。
誰かと誰かが、職員室の前で遭遇していた。
片方は僧侶。
そしてもう片方は。
三澤花恋という、理系高校生の幼馴染の少女だった。
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………せっ」
『いけません、ボス。現状、僧侶の攻撃手段も分からない上にどれほどのゲテモノ技術を手中に収めているのかも謎の状況ですゆえにここは目を瞑るべきですできる事などありませんから僧侶がミス花恋に気を取られている内に一刻も早くミスオリヴィアと避難をするのがベストでそれが最善の策でそれこそがお利口さんの選ぶ道できっと立派な選択であり
「セレナぁ‼‼‼ 花恋のスマートフォンと強制接続しろ今すぐにだッッッ‼‼‼」
『オーダーを承認』
たった一言のオーダーで、秘書の意向など踏み倒された。
バヅッ! というテレビに砂嵐がまみれたような音が聞こえる。
職員室のすぐ側にいる花恋のスマートフォンと繋がったのだ。
即座にスピーカーに口を近づける。
「花恋っ‼ 今すぐそこから逃げろ‼」
《えっ、は? 陸、斗?》
「早くッッッ‼‼‼」
『警報。彼女が疑問を挟んでいては間に合いません。ミス花恋を助けたいのであればもう少し具体的な手段が必要です』
「セレナ、校舎は免震構造だったはずだ! バグでも何でも流し込んでも構わない、揺らせ‼」
『オーダーを承認』
地下からグィイ……ッ‼ という地鳴りのような音が響く。
そして驚く事に、CGか何かのように建物全体が左右に揺れる。その動きはもはや何か巨大な生き物のようだった。パリンパリンとスナック菓子のように窓ガラスが割れる音が聞こえてくるが、スマホを握る少年が気にしているのはその画面のみだ。
『僧侶がバランスを崩しましたが、ミス花恋もその例外ではありません。どうなさるおつもりですか』
「花恋のスピーカーの音量を最大にしろ! 僧侶の野郎に俺の声が届くように!」
『オーダーを承認。どうぞ』
何を言うか、一秒だけ迷う。
だがもう良い。
もう構わないだろう。
最善など忘れ去れ。
常にお利口さんの選択をする事が偉いなどと誰が決めた。
馬鹿になれ。
人を守れる馬鹿になれ。
大切な人を守れるのなら、ネジの一本や二本外れていたってどこに何を恥じる必要がある。お前は川で溺れている子どもを見ても服が汚れるのが嫌だなんて首を振って、そんなくだらない理由で手を差し伸べられなくなる本物のゲス野郎にでもなりたいのか。
……身の回りの大切な人を守れないくらいなら、こんな便利なインターフェイスなど意味はない。
それではどうして必死にあんな大仰なスパコンを作り上げたのかも分からない。
挑め。
目の前の悪に挑めるような人になれ‼
「聞こえるかクソ野郎。お前が探しているものを俺は知ってるぞ」
《……ほう?》




