先輩と愛の診断
1
最近、何かに怯えながら生きている。
そんな風に心が病む事はないだろうか。
2
……『地球らぼ』という部活がある。
ほとんど緩いサークルみたいな扱いだったが、それでも部員はきちんと四名いるし部活はそれなり以上に機能している。
一人は黒髪ロングの王道とも言える雪先輩。
あと雪先輩の奴隷みたいになりつつあるが同い年の友人……ではないのでこいつに対する説明は省略しよう。
そしてもう一人は金髪ボブをウェーブさせたような髪型の少女。
名をオリヴィア=サクラ。
「……ふ、む」
ハーフ女子なので先輩後輩同級を問わず、人気が半端ではないオリヴィア先輩の研究対象は睡眠導入時や睡眠時の意識に対する分野だ。
しかし彼女の性格はストイック。
普段、自身の体を実験台・解析対象にするほどのストイックぶりを見せるので、他分野にも詳しいのだった。
つまり寝ボケ眼のまま誰かさんのデータを眺めていても、その専門家はきちんとした意見を口にする事ができる。
「どうですか、オリヴィア先輩」
「そ、だね……」
放課後の部活の時間だった。
自分にはコーヒーを、オリヴィア=サクラには温かいココアを淹れて少女の寝転がる布団にやってくる結城陸斗。
先ほどからオリヴィアが眺めているのは、手作り検査キットで診断した理系高校生の身体データファイル。
業界の中では陸斗も陸斗で特殊な立ち位置にいるのだが、ある種オリヴィアも特待生のような扱いを受けているため、今日も授業中は眠っていたのだろう。制服姿ではなく花柄パジャマといった格好で寝起きを象徴する寝癖をつけたまま彼女は言う。
「もう一度……症状を、言ってもらって良い……?」
「俺よりもこの子の方が詳しいんですよ」
と告げた陸斗は軽くスマートフォンを振って、
「セレナ。別のタスク進行中で悪いがアナウンスを頼めるか」
『ええボス。ミスオリヴィア、メモを取るような様子がありませんが今から申しても構いませんか?』
「うん……。一応、覚えているけど整理するために、聞くだけ、だから……」
『では』
一度区切って、セレナは主人の体調を告げた。
まるでレポートのようだった。
『ここ一週間以上、ボスはまともな睡眠が取れていません。断続的なぶつ切りの睡眠はありますが、五~一五分程度でいつも目を覚ましてしまわれます。さらにホルモンバランスが崩壊しており食欲も低下、腹痛や頭痛などを頻繁に引き起こしています』
「他に、は……?」
『ええミスオリヴィア。ノルアドレナリンが過剰に分泌されており、気心の知れた方以外との会話を除けばいつも苛立っている状態です。つまり教師や知り合い程度の付き合いの方とは顔も合わせたくない状態が常とも言えます。一人で過ごしているだけでもストレスが溜まっていくため、常にわたくしと話すかわたくしの作るゲームアプリをこなす生活を心がけています』
「……ふ、む」
『機械いじりをしている時などはまだストレス値が低いようですが、脳波を計測しますに常に左脳が機能していらっしゃるご様子。おそらく何か考え事をなさっているのかもしれません』
「……にゃる、ほど」
『ミスオリヴィアから勧められた睡眠導入の音楽や食事や体調の管理など、試せる手段を一五九通りほど試しましたがいずれも失敗に終わっています。他にも挙げられる症状が二四個ほどありますが、詳細は添付ファイルをどうぞ』
コクリともう一度だけ頷いたオリヴィア=サクラのタブレットにセレナのアカウントからデータが送られてくる。
それを開きながら、オリヴィアは唇を尖らせる。
ハーフだから可愛い。
「……目の下のクマ、ひどい……ね」
「頭と体が重いです」
「ずっと、眠れない、まま……?」
「最近は完全にオリヴィア先輩からもらった睡眠薬にお世話になってます。ただ効果が切れたら目が覚めますけど」
「……深い睡眠は、取れて……なさそう、だね」
「眠いのに眠れないんですよね。お陰で授業はしっかり受けられてますけど」
「つらいよね……よしよし」
ぶかぶかパジャマに半分くらい覆われた手が陸斗の頭にすっと伸びてきて、そのまま黒髪を撫でられる。
犬でも飼っているのか、何だかナデナデが物凄く上手い。
膝枕でもしてもらってこのままナデナデが継続されれば永遠に寝ていられる自信があった。
「あのっ、恥ずかしいんですけど……」
「ん、そう……?」
手をどけずに悪戯っぽく妖艶に笑う辺り、やはり先輩だ。
まず男として見られていないのかもしれない。
「睡眠薬の話なんですけど」
「……うん。よしよし」
「二錠、もしくはそれ以上飲んだらダメなんですか」
「睡眠薬が効かなくなったら、いよいよだから……原因が分かる、までは……めっ」
ナデナデが一度中断されてから、ドアをノックするような軽さでコツンと頭を小突かれた。
そしてもう一度ナデナデが開始される。
正直嬉しい。
「……で?」
「ふはー。あー、そこ、そこ超気持ち良いですう……」
「……真面目に、話を聞かないと……やめちゃう、よ?」
「何ですかー」
「考え事って、何を……考えてる、の?」
ひっく、と喉が引き攣る感覚がした。
陸斗が流れるように言い訳をしようとして失敗したのだ。
基本的に少年は甘い人間だ。自らのタスクや実験を中断して相談に乗ってもらっている立場なのに、言い訳がましく嘘をついてオリヴィアを欺くのに気が引けたのだ。
ゆえにこう言う事になった。
「そこは黙秘権を行使させていただきます……」
「……今日も?」
「あ、青い瞳をジト目にして睨みつけたってどうにもならないんですからねっ!」
「カウンセラーをするのは、良いけど……元になってる原因を解消しない、と……どこかで折れる、よ?」
何がどう折れるのか、オリヴィア=サクラは明言しなかった。
きっと感覚で陸斗が理解できると踏んだのだろう。
「……セレナちゃんが、ここから消えた理由と、関係ある……の?」
「どうでしょうね」
重たいため息を一つ。
こればかりは、陸斗自身も分かっていない。
常に一つの事を考えているのだが、あまりにも範囲が大き過ぎて理解が追い付かない。セレナの事で悩んでいるとも言えるし、全く別の事で頭を締め付けられているような気もする。
「……はあ」
「ごめんなさい、先輩」
「ん、話せるようになったら……きちんと話して、ね」
そんな事を言いながら、睡眠薬が一ダース入ったケースをもらう陸斗。
ちなみにこのケース、一つ取り出したら一二時間ほど薬を取り出せないようになっているので二錠以上飲めない工夫が施されている、少年からすれば面倒な一品だったりする。
これくらいなら陸斗でも作れるのだが、どうやら病院でいくらか払えば手に入るらしい。おそらく研究関係でオリヴィアが特別にもらったものだろう。
「……それ、セレナちゃんの力とかで、システム破壊とかしたら……ダメ、だからね」
「これくらいセレナにオーダー飛ばさなくても、手打ちのコマンド入力でどうとでもなりますけどね。何ならドライバー一本で破壊もできちゃう訳ですし」
「そんな事、したら……二度とナデナデして、あげない……」
「何があっても壊しませんっ‼」
妖精みたいなハーフの先輩に反射的に敬礼できてしまう辺り、良いように調教が施されているのかもしれない。
ともあれ、今日の診断は終わりだ。
いくつかの研究所に情報提供するほどの頭脳を持つオリヴィアの事だ。やる事はたくさんあるだろうから、自分の実験や研究に戻ってもらおう。
と、そんな風に思っていた時だった。
ぽすんっ、と。
陸斗の太腿の辺りに軽い衝撃があった。
「……先輩?」
「眠たい……。私が診断なんて、すごーく高くつくんだから、これくらい……安いもの」
寝癖のついた金髪ウェーブな頭が完全に少年の太腿に重さを預けている。
膝枕なんて小さい頃に花恋にやってやった以来の体験ではないだろうか。率直に言って心臓がまずい。ドキドキが半端ではない。
「……ね、寝るんですか?」
「頭くらいなら、撫でる許可を、出す……。おや、すみぃ……」
一分も経てば、くーすーという気持ちの良さそうな寝息が聞こえてきた。
どうやら寝つきは良い方らしい。
今の陸斗からすれば羨ましい事この上ないが、そこ妬み出したらほとんどの人に唸り声を上げなければならない計算になるので可愛らしい寝顔を無料で拝めるだけで感謝する事に。
やる事もないので足を動かさないよう気を付けながら、制服のポケットからスマートフォンを取り出す。
「セレナ」
『ボス』
「ちょっと小声で話すぞ、美人が起きる」
『ええボス。わたくしも少し音声ボリュームを下げます』
「その前にオリヴィア先輩が本当に眠っているかチェック」
『診断中……完了。寝息は均一です。しかしミスオリヴィアは睡眠のプロです。この程度の工作は簡単にやってのけるお方では?』
「なら文字で話すか。そもそも声に出さなかったら先輩が起きる事もないんだし」
『最適解ですね、ボス』
そんな訳でSNSのメッセージアプリを起動する運びとなった。
セレナのアカウントを開いて、すすいとキーボードを操作していく。漫画の吹き出しのように言葉を放り投げていく。
《頼んでおいたタスクの方はどうだ。アナウンスしてくれ》
『ええボス。タスク完了。教師陣にセレナシステムの本体が学校から消えた理由をレポートにして提出しておきました。お偉方は納得したようで、無事に判子をいただきました』
《消失の理由を簡潔に頼む》
『セレナシステムが研究所・リペアテレサに認められスカウト、研究対象として権利と共に本体も受け渡した、としました。ただし教師陣のタスクをこなせなくなると不満の声が上がる可能性があったため、タスク処理は今まで以上にこなす事を条件にしました』
《教師も俺達生徒と同じだな、面倒臭い事を避けられるなら避けたい訳だ》
『ええボス。偽装工作は完了しました。興味本位でわたくしの居所を摑もうとしても地下に至る道筋までは摑めません』
《それもリペアテレサと並列接続させた状態だ、ハッキングなんかも心配しなくて良いだろうしな》
『ええボス』
オリヴィア先輩のクシャクシャなのに触り心地が最高の髪の毛を撫でながら、やるべき事を頭の中で整理する。
重たい頭を体操させるような感覚で回転させる。
《メアリーは今何してる?》
『ええボス。どうやら掃除中のようです。掃除機が起動しているのを確認しています』
《なんか悪いなあ……》
『どうやら本当にやる事がなくて時間を持て余しているようです。先ほどまではボスのPCでネットサーフィンを楽しんでいらっしゃったようですが』
《待て、俺のPCのパスコードは!?》
『八秒で破られました』
《さっきハッキングなんか心配いらないみたいな話をしていたんだけど‼》
『わざわざ「‼」や「!?」などつけなくても意図は伝わります』
《話を全力で逸らしたなキサマ‼》
『お忘れですか、ボス。ミスメアリーはリペアテレサと並列接続してようやく地下空間を支配できるわたくしと違い、あのボディ体積だけでスペックはそれ以上でした。つまり太刀打ちできません。無条件降伏なうです』
《ちょいちょい情報抜き取られたりパスコード突破されたり、なんかメアリーに甘くね? もっとプライバシーをしっかりしよう。今はそういう時代だと思うの》
『ええボス。最大限の努力をいたします』
簡素な文章が返ってくると本気度が分かりにくいが、優秀な秘書プログラムで通っているのでそれなりに信頼する事にしよう。
と、足の上に頭を乗せるオリヴィアが寝返りを打った。
陸斗のお腹に高い鼻をぽすんと埋めるような形になったが、息苦しくはないのだろうか。何だかハーフ美少女の寝息がへその辺りに当たって背筋の辺りがゾクゾクする。
起こすか寝かせたままか、どうしようか迷っている時だった。
平和な時間。
ゆっくりと流れる、くつろげる貴重な時間を壊すように。
こんなメッセージが投げ込まれたのだった。
『警報』




