ウサギの着ぐるみ
これは裏野ドリームランドが賑やかだった頃の話なんですがね、わたし、その当時はまだ小学生でして、遊園地はまさにパラダイスと言いますか、とにかく行くだけでワクワクしてしまう夢の国の名に相応しい場所だったんですね。
ジェットコースターにお化け屋敷、アニマトロニクスが愉快に歌って踊る乗り物アトラクションなんかも好きでしたねえ。マップを貰って、どこから回っていくかって考えるだけでも楽しくて、時間を忘れるものでした。
ただね……どういうわけか裏野ドリームランドの主役であるはずのあのウサギ。あのウサギだけはなんとなく苦手でしてね。子どもの頃に着ぐるみが怖かったって思い出を語る人は結構いるものですよね。わたしも多分、そういうものの一つなんだろうなって思っていたのですが……最近、ふと当時のことを思い出したとき、何かとても大きな出来事を忘れているような、そんな気がしたんです。
裏野ドリームランドの閉鎖。わたしと同じくらいの年代の人だったら、あの何とも言えない寂しさは共感していただけるのではないでしょうか。でも、時間が経てばそういった思いも薄れていってしまうものです。子どもにとっての一年一年はとてつもなく長いものですからね。小学生の頃に楽しんだ遊園地の思い出も、閉鎖の悲壮感も、それに至るまでのさまざまな都市伝説なんかも、時の流れと共に新しい娯楽なんかを知っていったりして、忘れていくものなんです。
大人になるにつれ、わたしも色んなことを知りました。小学生の頃に比べれば、だいぶ賢くなったものでしょう。あの頃に戻りたいというつもりはありません。ただ帰らない子ども時代を思い出すと、ああ、楽しかったなあとため息が漏れるのです。わたしは、あの寂しい感覚が妙に好きで、それでよく昔のことを思い出すのです。
今や、当時の写真や色あせたグッズなんかを手に取って、どうにか当時のことを思い出すしかありません。裏野ドリームランドで買ってもらったクマのぬいぐるみなんかもその一つですね。記憶は非常に曖昧なものですが、それでもアルバムを見るという行為はなかなか楽しいもので、クマのぬいぐるみをクッションのように抱いて、ビールなんかを飲みながらペラペラめくっていったときに、裏野ドリームランドの思い出をおさめたページが出てきましてね。ええ、母が写真大好き人間だったもので、その当時の写真もいっぱいありました。その中で、両親に言われるままにウサギの着ぐるみと撮った写真があったのですがね、はは、やっぱり大人になった今でもあのウサギは怖かったです。
それで、ふとどうしてこのウサギが怖く見えるのだろうと疑問に思いましてね、顔が怖いのか、大きすぎるのがいけないのか、生き物らしくないところか、色々考えてみたのです。でも、どうもピンとこないのです。なぜでしょう。ウサギが怖い理由を思い出そうとすればするほど、なんだか心にしこりが残っているような、そういう気持ちになってしまうのです。
疑問が解決されないためかわたしは不可思議な好奇心を覚えましてね、裏野ドリームランドでの思い出を収めた写真を数冊のアルバムから次々と探し出し、全部見比べてみたのです。そうしたら、その中のとある年……ウサギといやいや写真を撮ったよりも前の年に、母の撮った写真にたまたま映り込んでいた子どもに目がいったのです。
年の頃は写真のなかのわたしと同じくらいでしょうか。その子の顔がしっかりとカメラ目線で映っていましてね、写真の中のその子と目が合うなり、おや?って思ったんです。全く知らない子のはずなのですがね、なんとなくその子と当時お話をしたような、そんな記憶がふっと頭に浮かんだんですね。
アルバムを開いたまま、わたしは考え込みました。薄れかけた記憶をよいしょよいしょと手繰り寄せるのは中々難しいことなのですが、その時は不思議なことにスルスルと思い出せました。
当時、見たり聞いたりした光景や物音が頭の片隅でライターの火がつくように思い浮かびまして、そこで「ああ」と思わずひとりで声をあげてしまいました。
そう、当時のわたしはこの写真の子と確かにお喋りをしたのです。小学生でしたからね。知らない子であってもちょっとしたきっかけを見つけて話しかけることのできる年頃でした。それで、観覧車だったか、メリーゴーランドだったかで、順番待ちをしていたときに前後になってお話をしたのです。
そうそう、あの子だあの子。たしかウサギのことを話したんです。わたしはさっき言った通り、ウサギが怖かったはずなのですが、その当時は恐いのではなくて、単に不気味で可愛くないとしか思っていなかったんですね。でも、その子はウサギが好きで裏野ドリームランドに来ているのだと言っていたから、ビックリしたんです。
なんせ、小学生の頃のわたしは遠慮も知りません。今思えばひどいことを言うもんだと呆れるくらい思ったことをズバズバ言ってしまっていたものでしたし、言われたものでした。だから、その子とはちょっとした言い争いをしたといいますか、まあ、言い争いっていっても大人がするような乱暴なものではなくて、ちょっとふてくされる程度の可愛いものですが……要するに、ウサギが可愛いか可愛くないかで喧嘩してしまったんです。
それで、その子がウサギが可愛くないって思うのは着ぐるみが怖いからじゃないの?なんて言うもので、そのからかい目線にカチンときてしまいまして、怖くないに決まっている。メリーゴーランドが終わったら、その子と一緒にウサギのところに行って証明してやろうと約束したんですよ。
両親にはどこかに行くときは必ず声をかけるようにって言われていたのですが、その子が大人に何でもかんでも言うのは大人らしくないって主張するもので、変に強い気になってその子とふたりだけでウサギを探しに行ったんですね。
裏野ドリームランドの主役とはいえ、ウサギの着ぐるみはいつでもどこにでもいるわけじゃありません。だから、園内をぐるぐる歩き回るはめになっちゃって。子どもの足だと大人にとってはちょっとした距離も果てしないものです。それで、しまいには泣きそうなくらいくたびれてしまったんですよね。でも、その子はタフなもので、全然疲れていなくて、ついていくのも大変でした。
そうこうしているうちに園内放送がありまして……確か、アクアツアーとかあったエリアの近くだったかな。巨大な人口湖を眺めながらひと休みしているときに、わたしの名前を呼ぶ放送があったんですね。当時は小学生といってもそこまで小さくはなかったので、迷子の案内ではなく呼び出しでした。
呼ばれているのなら帰らなくちゃ。そうわたしは素直に思ったのですが、その子ときたら不満顔なんです。きっと意地張っちゃったんでしょうね。でも、こちらとしても、もう散々歩き回ったわけで、太陽もジリジリ照り付けるし、アトラクションに乗る時間も減っていくしで、限界だったのですよ。それで、文句の一つでも言ってやろうと思った……その時でした。いつの間にか、わたし達をジッと見つめる視線があったんですね。わたしもその子もその視線に気づいて、はっとしました。散々探し回ったウサギの着ぐるみが、ぽつんと立ってわたし達を見ていたんですよ。
やっと会えた……という感動よりも、やっぱりあんまり好きじゃないなっていう思いが強かったですね。怖くはないけれど、苦労してまで会えたのにやっぱり可愛くないって思うと、なんだか機嫌が悪くなったんですが、一緒にいた子はなにせウサギが好きで遊園地に来ているくらいでしたので、それはそれは喜んで駆け寄っていったんですよ。
そしたら、ウサギの着ぐるみがですね、駆け寄っていったその子に愛嬌のある挨拶をしつつ、わたしも手招いてきたんですよ。せっかく呼ばれたわけだし、行ってやるかと生意気にも思いながら近づいていってみるとですね、ウサギのひとがジェスチャーで何やら一方を指さすのですよ。何だろうと最初は思ったんですが、身振り手振りでだんだん、わたしたちをどこかに連れて行きたいのだってことが分かったんですね。
どこか連れて行ってくれるの?っていうその子の問いに、ウサギは強く肯く。面白いところ?ってその子が質問すると、ウサギは表情の変わらない両頬に手を当てながら、ウキウキとかワクワクとかそんな感じの仕草をするわけです。なんかのサービスかイベントでもあるのでしょうか。その時はちょっと興味がわいたのですが、確かそこへまた、わたしを呼び出す園内放送がかかったんですね。
さすがにもう行かないと両親もかなり心配しているでしょう。残念だけどついていくわけにはいきません。今思えば不思議なことに、その子は呼び出されたりしていなかったのですが、置いていくのもなあって思って、帰らなきゃってその子に言ったんですが、その子はすっかりウサギに夢中で、帰るんだったら一人で帰ってって言って……ついて行っちゃったんですね。
仕方ないのでわたし一人で両親が待っているという待合室まで戻っていって、こっぴどく叱られまして……苦い思い出でしたね。そのあとで撮った一枚もあるんですがね、気分が落ち込んだ顔をしているのが今でも分かります。
でも、両親は叱るところは叱りましたし、園の人たちに謝らせもしましたが、あとはちゃんと約束を守るならと時間いっぱい遊ばせてくれまして、ええ、乗り損ねていたアトラクションを片っ端から楽しむうちに、叱られた気まずさも、その原因となったあの子のこともすっかり忘れて楽しみまして、帰りの車の中では買ってもらったお土産のぬいぐるみ……ウサギではありませんよ、サブキャラだったクマのぬいぐるみ……そう、アルバムを眺めながらクッションのように抱いていた奴です。それを抱っこしながら、ほどよい眠気と一緒に、子どもながら遊園地の後味に浸ったことも覚えております。
いい一日だったなあ。と、そう思いまして、家に帰った後もしばらくは夢の空気から醒めきれぬままクマのぬいぐるみをべたべた触ったりしていたのですよね。
……でも、次の日だったか、またその次の日だったか、母が新聞や地元のニュース番組を見て「ええ」って困惑していたんですね。なんだろうと思ってみてみたら、裏野ドリームランドのことが出ていて、ええ、特集とかではなく、悪いニュースで出ていたんですね。なんでも、園内で遊んでいた子どものうちの一人が行方不明になってしまったとかで。その日時が、ちょうどわたしが遊んでいた頃と同じ時刻だったんですね。名前が出ていて、心当たりのある人はこの番号までとかそういうテロップやニュースの雰囲気、観ている母の困惑した表情。色々こびりついていますね。忘れていたはずなのに、すぐに思い出せました。
そうそう、そのうちに、顔写真付きのポスターなんかも町に貼られるようになりましてね、そのポスターを眺めて、びっくりしたんです。あの子にすごく似ている。メリーゴーランドで一緒に並んで、一緒にウサギを探しに行ったあの子に、そう、すごく似ていたんです。
わたしはすぐに母にこのことをしゃべりました。写真は当時デジカメとかではなかったので、まだ現像できていなかったんだと思います。だから、母はわたしの話を聞いてびっくりして、何度も何度も本当にその子だったのかと確認しつつ、どこかに電話を掛けたのですね。たぶん、公開されていた番号だったんだと思いますが、子どもだったのでよく分かりません。最後はウサギの着ぐるみがどこかに連れて行った。このわたしの情報がどの程度、役に立ったのか、それはよく分かりません。
あとでニュースなんかで見て知った話なんですがね、当日、ウサギの着ぐるみに入っていた男性は、そんなこと知らないと言っていたんですね。アリバイもちゃんとあるみたいで、誘拐疑惑はあっさり晴れました。でも、監視カメラの映像なんかも残っていて、わたしとその子がウサギに話しかけられたシーンは映っちゃいなかったんですが、そっちにはたしかにその子らしき子どもがウサギの着ぐるみに何か話しかけるようなそぶりをしながら園の端へと歩いていく姿がしっかりと映っていたそうなのです。
じゃあ、あのウサギはいったい誰なんだってそういう話になったそうですが、そこからパタッとニュースで取り上げなくなってしまいましてね、何故でしょう。よく分からないのですが、報道できることがなくなったのでしょうか。とにかく、テレビも新聞も騒がなくなっていったものですから、だんだんみんな、事件の事すら忘れていってしまって、ポスターだけが交番や駅、ゲーセンなんかにも今でも貼られたまま……ええ、その子、まだ見つかっていないんですよ。
これは噂で聞いた話なんですがね、廃園するまでに裏野ドリームランドでは他にも複数の行方不明の子どもがいるそうです。そんな背景もあって、わたしが話した証言もすっかり独り歩きしましてね、少なくとも小学生の頃はドリームランドのウサギが人を攫いに来るなんて七不思議も流行りまして、裏野ドリームランド自体がオカルトスポットのようになっちゃいまして、面白がっていく子もいれば、怖がるあまり行きたがらない子も多くなってしまいました。
実際、警察が行方不明の子が園のどこかに隠されているのではないかと大規模な捜索をしたと聞きましたので、ドリームランドのどこかに子どもたちの死体が隠されているなんて不謹慎な怖い話も流行って、面白おかしく盛り上げるような人たちもいました。アクアツアーの人工湖の中に巨大なワニかなにかがいて、そいつに食べられてしまったんだとか、ドリームキャッスルの地下に拷問部屋があって、そこに隠されているのだとか、そういう怪談です。
廃園してしまった今でも、行方不明の子の家族が中心となって、情報集めや捜索活動が行われることもあるそうです。もう十何年も経つのですけれどね。心苦しいことです。
その一方で、廃園後のドリームランドは有名な心霊スポットになってしまい、夜な夜な若者たちが足を踏み入れては、あることないこと言いふらしたそうです。いまはネットですぐに拡散されますからね。遠方からわざわざ肝試しに来る人もいるそうです。
聞いた話では、メリーゴーランドが勝手に回りだしたり、音楽が鳴りだしたり、ライトが点くことがあるとかそういう話も聞きましたね。ええ、わたしとあの子が出会った場所なので、今思い出せば、なんだか複雑な思いです。
それはそうと、この事件の記憶はわたしの中ですっかり恐ろしいものになってしまったはずでした。
裏野ドリームランドとしても事件は大打撃だったと思うのですが、新しいアトラクションを開いたり、イベントを開催したりしてお客を呼び込んでいたみたいです。
怖かったのは確かなのですが、さっきも言った通り、子どもの一年ってかなり長いものです。わたしもすっかり不気味な思い出なんて忘れて、新しいアトラクションに乗りたくなって、両親にせがんで連れて行ってもらったものです。
ウサギのデザインもその一年で変わりましてね、事件の情報提供を呼び掛けるポスターも貼ってありましたが、当時のドリームランドとは違うということをアピールするためか、細々とした演出や雰囲気もだいぶ明るく面白いものになっていました。一番覚えているのは、ウサギの着ぐるみですね。だいぶマシになっていて、可愛さが増していました。まあそういうわけで、両親もいざ足を踏み入れてみたら安心したようです。ウサギと出会うなり父が写真撮ろうって言いだしてわたしと、母を並ばせたんですがね、ウサギの姿を傍で見ると怖かった。
そう、このウサギが怖いっていう感情ばかりが年々増長していき、今に至るわけです。たぶん、一連の事件の記憶を忘れてしまいたかったのでしょう。わざわざ思い出さなければタンスの奥にしまい込まれるように意識しなくなる記憶ってありますからね。でも、忘れたいことほどなかなか忘れられないもので、こうしてちょっとしたきっかけで鮮明にズルズルと思い出してしまうものなのですね。
何しろ、ひとりでアルバムを見つめながら思い出したものだったので、すっかり怖くなっちゃいましてね。とりあえず、無音の我が家に耐えられなくなって、テレビでもつけようとリモコンを慌てて手に取って、反射的にスイッチを押したんです。
それから……電源がつくまでのほんの一瞬ですかね、薄型テレビの真っ暗な画面が目に入ったのは。本当に一瞬だったと思います。テレビはすぐに点いて、くだらないことで笑うバラエティー番組が映し出されまして。ガヤガヤと芸人さんたちが盛り上がっている声が室内に響き渡って、かなり楽しそうなんですよ。でも、わたしはテレビを見つめたまま呆然としてしまったんです。番組の楽しさにのめりこめない気持ちのまま、固まってしまったんですね。
見間違いだったと思います。さっきまでアルバムを見ていたので、その残像だったかもしれません。
でも、それは、確かにはっきりと見えて、しばらく脳裏に焼き付いたんです。
真っ暗だったテレビ画面には一瞬だけわたしの姿が見えました。それはいいんです。
問題はその後ろでした。後ろ。
わたしが座っているソファの後ろのあたりで……ウサギの着ぐるみが立っているように見えたんです。