蜘蛛とモンシロチョウ
ある晴れた朝、蜘蛛は、大きな巣を張り巡らし、獲物を待ち構えていました。
この数日間、蜘蛛は獲物にありつけていませんでした。
「今日こそは、空腹を満たしてやる。」
そう考えながら、張り巡らした巣の影で休んでいると、バタバタバタと大きな音が聞こえました。
蜘蛛が、巣を見ると、真っ白なモンシロチョウが巣にかかってもがいていました。
「よし。」
蜘蛛が近づいていくと、モンシロチョウは蜘蛛に気づき、暴れるのをやめてこう言いました。
「あら、蜘蛛さん、私を食べるのね。」
その声は、今まで聴いたこともないような美しい声でした。
蜘蛛が、もじもじしながら、モンシロチョウを見つめていると、モンシロチョウは寂しそうな声でこう言いました。
「蜘蛛さん、私はもう楽しいことも悲しいこともたくさん経験したわ。だから遠慮なく、私を食べていいのよ。」
蜘蛛は、その言葉を聞くと、胸が締め付けられるように苦しくなりました。
モンシロチョウに近づいていくと、蜘蛛は、糸をほどいてしまいました。
モンシロチョウはそのまま、飛び上がると、木の上に止まりました。
「優しい蜘蛛さん、ありがとう。でも、私は逃げる気なんてなかったのよ。本当に食べられてもいいと思っていたんだもの。」
すると、蜘蛛は、モンシロチョウのいる木の枝まで歩いていくと、モンシロチョウにこう言いました。
「逃がすなんて、誰も言ってないよ。君は僕の餌だよ。だから、絶対逃げちゃダメなんだよ。」
必死の形相の蜘蛛を見て、モンシロチョウはにっこり微笑むと、
「わかったわ。逃げないから、食べたくなったらいつでも食べていいのよ。」
と言いました。
蜘蛛は、モンシロチョウの微笑みを直視することができませんでした。
それから、蜘蛛とモンシロチョウの奇妙な共同生活が始まりました。
蜘蛛はモンシロチョウのそばを片時も離れません。
モンシロチョウも蜘蛛のそばを片時も離れません。
蜘蛛は、食事の時だけ、モンシロチョウに隠れて、虫のエキスを吸っていました。
モンシロチョウはそんなときでも、微笑みながら、蜘蛛を見つめていました。
ある時、モンシロチョウが体を壊して寝込んでしまいました。
蜘蛛はどうしていいか分からず、そわそわとモンシロチョウの周りをうろつくばかり。
そしてハッと気づいたのです。
モンシロチョウが、蜘蛛と暮らし始めてから、一度も食事をとっていないことに。
「モンシロチョウさん、何で何も言わなかったの?このままじゃ死んじゃうじゃないか。」
蜘蛛は、目に涙をためてモンシロチョウを見つめていました。
「あら、そうしたら、蜘蛛さんは私を遠慮なく食べれるでしょ?良いことじゃない。」
モンシロチョウは、息も絶え絶えになりながら、そう言って微笑みました。
「僕は・・・初めから君を食べようなんて思ってなかった。君をそばに置いておきたくて、あんなことを言ったんだ。君を餌だと思ったことなんて一度もないよ!」
蜘蛛は、モンシロチョウのそばで泣き出してしまいました。
「泣かないで蜘蛛さん、私の勘違いだったのね。初めて蜘蛛さんに会ったとき、綺麗な目をした蜘蛛だと思ったわ。この蜘蛛さんになら食べられてもいいと思ったの。」
モンシロチョウは、蜘蛛の頭を撫でながら、何度も「泣かないで。」と苦しそうな声で言いました。
「僕は、君たちモンシロチョウが何を食べてるか知らないんだ。お願いだよ。僕が食べ物を探すから、どうか死なないで。」
モンシロチョウは、静かに、「花の蜜。」とだけ言って、目をつむりました。
死んでしまったかと、モンシロチョウに近づくと、眠ってしまっただけのようでした。
蜘蛛は、自分がいない間にモンシロチョウが外敵に襲われることを恐れ、モンシロチョウを背中にのせて、花の蜜を探しに行きました。
花はすぐに見つかりました。
しかし、モンシロチョウを背中に乗せたまま、花を上るのはとても大変でした。
何度も糸を上へ飛ばし、手繰り寄せながら登っていきました。
花の蜜がある場所にたどり着き、モンシロチョウを背中から降ろすと、モンシロチョウを起こしました。
「さあ、君のご飯があるところに来たよ。たくさん食べて、元気になってよ。」
モンシロチョウは、ゆっくりと花の蜜を吸い上げました。
久しぶりの食事に、モンシロチョウはみるみる元気を取り戻しました。
「それにしても・・・花畑って綺麗だね。モンシロチョウさん、君がいるのにぴったりの場所だよ。」
蜘蛛は、食事をするモンシロチョウを横目に見ながら、寂しげにそう言いました。
「私は、蜘蛛さんと過ごした木の上も好きよ。」
食事を終えたモンシロチョウが、蜘蛛にそう言いました。
「そうだ。」
すっかり元気を取り戻したモンシロチョウは、蜘蛛の周りをくるくる回りながら、こう言いました。
「私が、蜘蛛さんの知らない世界をたくさん見せてあげる。その綺麗な瞳に焼き付けてほしいの。」
蜘蛛が戸惑っていると、モンシロチョウはさっと蜘蛛を背負い、空へと飛びあがりました。
「わあ・・・。」
一面黄色の花畑と、青い空、涼やかな空気。
それは、蜘蛛の知らない、空の世界でした。
「こんな綺麗な景色をずっと見てたんだね・・・。だから、モンシロチョウさんは、こんなにも綺麗なんだ。」
蜘蛛の言葉に、モンシロチョウはくすっと笑いました。
「それは蜘蛛さんも一緒だわ。私の知らない世界を知っている。だから、とても綺麗な目をしているんだわ。」
蜘蛛は、照れくさくなって、顔を隠しました。
モンシロチョウには、それが見えていませんでしたが、モンシロチョウもとても赤い顔をしていました。
その夜、木の上で、蜘蛛とモンシロチョウはたくさん話をしました。
今まで生きてきた中で見た美しいものや怖いもの、奇妙なものや心動かされたものについて。
そして、お互いに、その世界を広げていこうと約束しました。
いつかお互いが死んでしまうまで、お互いの世界を見せ続けて、二人で生きていこうと決めました。
こうして、世界中の誰も知らない、蜘蛛とモンシロチョウの恋は実ったのでした。
おしまい