16
帰りたいか、と。
そう男に問われ、私は苦く笑った。
コチラに来たばかりの頃であったら、迷いなく頷いていただろう。
今は、もう、簡単には選べなくなってしまった。
だって、もう、馴染んでしまった。
時が経てば経つほど、大切だと思える「縁」が増えていく。
それは幸せな事だけれど……。
不意に袖を引かれ、思考が途切れた。
どうかしましたか、と小首を傾げれば、男はどこか不機嫌そうに目を眇め。
別に、と。
そう言いながらも袖を掴む手が離されることはなく。
もしかしたら、引き留めたいと、そう思ってくれたのかな、と。
だとしたら、案外……。
ふっと口元を緩めた私に気付き、男はむっと眉を顰めた。
掴んでいた袖を放るようにして離すと、素早く立ち上がり、此方に背を向ける。
「それなりの報酬を用意するというのなら、帰る方法を探してやっても良い」
どこか拗ねたような口調でそう言い捨て、足早に玄関へと向かう背中を、いつになく微笑ましい気持ちで見送った。
・・・・
さて、どうしようか。
ころりと居間の床に寝転がり、天井を見上げた。
それなりの報酬を用意した上で、帰りたいと、そう望めば。
本当に探してくれるのだろうか。見つけて、くれるのだろうか。
自分で調べようとしたこともあったが、その時は何の成果も得られなかった。
だが、あの男ならば。
案外簡単に、見つけてきてくれるかもしれない。
あるいは、もう、ある程度の見当はついているのかも。
だとしたら。
だけど……。
ふわふわと、ゆらゆらと。どうにも心は定まらない。
ゆるりと閉じた瞼の上に、ふと影が差した。
じっと視線が降り注ぐ。
何となく、寝たふりをしていれば、ふにりと頬をつままれた。
ふっと息を吐いて、目を開ける。
思ったよりも大分近くにあった彼の顔に、目を瞬かせてから、その額を軽く弾いて。
じゃれるように伸ばされた手を、此方も戯れにゆるりと避けて。
ぽんと床を手で叩けば、ころりとすぐ隣に寝転がる彼の素直さに。
ああ、癒されるな、と。
とりあえず、このままで良いかなと、そんな風に思って。
今のところは、それを「答え」にしてしまおうかと。
ぼんやり心を決めて、微笑みながら目を瞑った。