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*注釈について
この作品は世界設定をより詳しく説明するために注釈を使っています。しかし大事な世界設定は作中で書かれているので、物語を解釈するためには必要ありません。注釈はより深くこの作品の世界について知りたい方たちのためにあります。基本的に注釈は前書きに書きます。
[1]SF:Special Forceの略。工作員、刺客、スパイなどを指す使う範囲が広い単語である。
[2]SA:Strategic Murderの略。SFが会社の戦略的に大事な人物を暗殺する行為である。
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「みなさん、資本主義革命とは知っていますか?」茶髪にパーマをかけ、魔女のように鋭く伸びた鼻の上に丸メガネを載せたヴィクトリア校長は演台に立ち、彼女を見つめる生徒たちに尋ねた。SF育成学校でも校長のスピーチは校長のスピーチらしく始まり、生徒たちの眠気を誘う。資本主義革命は近代歴史でもっとも大事な一章であるだろう。それを知らない生徒はここには一人もいない。
「昔、世界には国というシステムがありました。国は領土を収め、そこに住む人間から税金を巻き上げていました」
僕はチラリとウトを盗み見た。彼はわざとらしく欠伸をして、ニヤリと僕に笑いかけた。「彼らは――つまり昔の人たちですが――彼らは自分たちの世界が資本主義によって動いていると思っていたのです。しかし税金や国がある世界は完全の資本主義ではありません。それに気づいたアメリカの右翼が資本主義革命を始めました。すなわち国を解散し、全ての自由を個人に返すことが資本主義革命だったのです」拳を演台にこすりつけ、ヴィクトリア校長は声を荒げた。そうすると彼女の髪が顔にかかり、ヴィクトリア校長は本物の魔女に見えた。
「カリスマ性はあるな。これで誰もが知っていることを永遠に説明しなければいいスピーチになっただろうに」とウトはいい、僕の肩に寄りかかり、眠るふりをした。クリクリしたウトのダークブロンズ色の髪の毛が首にあたり、僕は少し身体が火照るのを感じたが、ウトを押し返しはしなかった。これくらいはまだ耐えられる。
「アメリカで始まった運動は世界全国に広まり、特に資本主義革命は日本という島国を大きく変え、日本の企業は世界トップに舞い上がりました。現在、国がなくなった今もかつて日本だった列島には世界最大の科学力を伐る会社の本拠地が置かれています。とくに電化製品を初め、医学品とエネルギー資源を代表する企業が強く、このヴォルケン校もそのような会社の一つのサイファー製薬によって作られました」ヴィクトリア校長は咳払いをした。「なぜサイファー製薬があなたたちにただで高い教育を提供しているかわかりますか?」
彼女は真剣に質問するように首をかしげたが、ウトがとなりで偽の欠伸をするので、僕にとっては滑稽に見えた。
「それはあなたたちがサイファー製薬の未来だからです。かつて日本だった島国にはサイファー製薬の敵がいっぱいいます。競争を勝つためには優れたプロダクトを生産しなければなりませんが、技術を他の会社に盗まれたら元も子もありません。そこでカウンターエスピオナージが大切になってきます」
僕は他の生徒に気付かれないように頭を動かず、目だけであたりを見回した。しかし眠そうに目をこすっているのはウトだけで、他の生徒は緊張した表情でヴィクトリア校長を見上げていた。だが同時に誰も校長の話を真剣には聞いていなかった。みな兎狩りの実態を知りたくてそわそわしているのだ。それにここにいる生徒はみな秀才で天才を秘めている生徒たちだ。完全資本主義が天国だなんてほざく人間を真剣に相手にするのは馬鹿だけで、ヴォルケン校の受験に合格するほどの頭を持つ人間にはヴィクトリア校長のスピーチは通用しない。もちろん人類の科学力は資本主義革命によって大きく進歩したが、歴史を少しでも知っている人間は国が税金を取る代わりに人々に安全を提供していた時代の方がよかったということを知っている。
「昔は法と裁判所という野蛮にも国から強制された掟が人間たちを縛っていました。今はそんなものはありませんから、自分の身は自分で守らなければいけません。しかし会社絡みの争いは醜く、社会はそれを嫌います。企業を守る人間は必ず闇に潜み、誰にも見られない場所で行動しなければいけません。それがあなたたちです」
エスピオナージとカウンターエスピオナージは昨今の会社経営ではとても大事な部分である。正確な数字は僕も知らないが、推測しなければいけないのなら、会社のバジェットの半分はSF[1]に注がれていると思う。それだけSF業は大切なのだ。特に失敗しない工作員が求められ、SFのなかにはトップマネジャーより金を稼いでいる人間もいるだろう。
暗殺――昨今ではSA[2]と呼ばれている――もたまに行われている。会社のイメージを守るために取締役員の一人が殺されたら、新聞には普通、病死や事故死と書かれることが多いが、七十歳にもなっていない取締役員が死ねば、それはほぼ確実に殺し屋の仕業だと考えていい。人類の医学は過去数年の間に驚くべき進歩を遂げ、金さえあれば二百歳の誕生日は迎えられるのだから、金持ちのエリートが七十前に病死するのは殆どありえないのだ。
ヴィクトリア校長はSFの実態を歪ませようとしているが、結局は血も涙もない世界なのだ。あるのは利益と詐欺と死だけだ。SFは寂しく生き、銃と金だけを小脇に抱えて寝る。
「より優秀なスパイを育てるためにヴォルケン校では期末テストなどはありません。スパイは常に危険を察知し、反応しなければなりません。そして柔軟に問題を解決する能力が必要とされます。その二つをどうテストに組み込めばいいのか、サイファー製薬のSF育成部は長い間悩んでいました。兎狩りがその解決策の一つです。それは二週間ごとにこの学校で行われるテストで、今学期の最初の兎狩りが今日始まります。では最後に全員の生徒に心からの幸運を祈って、この開会式を終えたいと思います」
彼女は演壇を降りるとまばらに拍手が起こった。兎狩りのルールが説明されるのを今か今かと生徒たちは待っていたが、ヴィクトリア校長が具体的なことはなにも言わずに演台を下りたので、誰もが狐につままれたようにあっけに取られていた。
「ではこれで兎狩りの開会式は終ります」演台に飛び乗りマイクを掴んだ副校長が言った。彼は小太りの小男で額の汗をハンカチで拭くのが好きな男だったが、彼の喋り方にはヴィクトリア校長にはない温かみがあった。「みなさんは兎狩りのルールを知りたくてたまらないでしょうが、ここでもう一度廊下は走らないようにお願いします。廊下を走ったぐらいで兎狩りの結果は変わりませんから」
「早く兎狩りのルールを教えろ!」僕の席から左後の生徒が叫んだ。誰だったかは声だけではわからないが、そのとおりだと思った。大聖堂にはくだらないスピーチを聞きにきたわけではない。
「はいはい」副校長は額の汗を拭いた。「兎狩りのルールを詳しく説明したプリントは各部屋に送られました。チームごとに採点されるので、誰が先に読むのかは争わなくていいです。それと本当に廊下は走らない――」
副校長の声を僕は最後まで聞くことはできなかった。ウトと僕を除く生徒たちがすぐさま立ち上がり、大聖堂から駈け出していったからだ。走ろうとしない生徒も勢い良く立ち上がり、ブツブツと文句を言いながら、早足で大聖堂の出口へと急いだ。
僕だってウトの頭が肩に置かれてなかったら、部屋へ走り戻っていただろう。しかしウトが僕の身体を掴み、僕を立ち上がらせようとしないので、仕方なく他の生徒が全員大聖堂から出ていき、二人だけで長椅子に残されるまで待った。
「僕たちも早くいこう」
「急ぐ必要はない」ウトは眠そうに答えた。
「そうしないと遅れをとるかもよ」
「ハンデだ」唸りながら腕を伸ばしウトは僕から離れ欠伸をした。「ライトニングはまだ長い。それに今日は地下に探検しにいく約束だっただろう?」
「まず兎狩りのルールを読みにいこうよ」僕は呆れながら言った。ウトの楽観的な態度はいつもの通りだが、兎狩りでは死人が出ると言うのだ。ただごとではない。
「わかった。じゃあ部屋に戻ろう」
「少し複雑だね」
僕たちの部屋に戻り、部屋のポストに投げ込まれたルールの説明書を読んだあと、僕は素直に感想を言った。いちおう兎狩りの実態は理解したが、ルールはとてもラフで色々な可能性とシチュエーションを許している。
簡単に言うと、兎狩りはエンブレムと呼ばれるバッチの奪い合いなのだ。バッチは三つあり、全チームはバッチのどれかを一つもらう。殆どの生徒はハーゼ(兎)で彼らはライトニングと共に兎狩りが終わるまで自分のハーゼエンブレムを守るだけでいい。そして全チームのなかに合計七チームいるイェーガー(狩人)たちの目的は自分たちのイェーガーエンブレムに加えて少なくとも二つのハーゼエンブレムを勝ち取ることだった。イェーガーはハーゼとは違い、少々校則を破ってもよく、殺人許可が学校側から降りている。だがその代わりに二つのエンブレムを集められなかったイェーガーたちは兎狩り終了後に処刑される。必要とするのは有能な暗殺者だけ、と兎狩りのルールには書かれていた。
「多分みんなズゥーハァーになりたがっているだろうな」ウトはベッドに寝っ転がりながら言った。僕はうなずき、ズゥーハァーの役割を説明するページを開いた。
ズゥーハァー(探索者)はイェーガーを探しだすチームで、合計で二つのチームにズゥーハァーのエンブレムが渡されている。彼らにも殺人許可は降りているが、イェーガーと違うのは、ズゥーハァーはイェーガーしか殺してはいけないのだ。もしズゥーハァーが誤ってハーゼを殺してしまえば、それは校則違反となり、そのズゥーハァーは直ちに処刑される。だがズゥーハァーの利点は例えイェーガーのエンブレムを集められなくても、ペナルティはなく、さらに兎狩りの終りにズゥーハァーと二つのイェーガーのエンブレムを持つチームは勝者とされ、Lブロックを離れ、Dブロックへと進級することができる。
「ルールはシンプルなのに、戦略戦術学的にはとても複雑だな」
「ああ」僕は同意した。「具体的に言うと、義務は最初に与えられたエンブレムで、権利は現在持っているエンブレムで、そして勝敗は最後に持っているエンブレムで決まるからな」
そうなのだ。例えばハーゼは殺人を犯してはいけないが(もしハーゼが他の生徒を殺したとしたら、彼は校則違反になりしかるべき罰則を受ける)、イェーガーのエンブレムを盗むことで、そのエンブレムを所持している間は殺人を行う権利を得るが、イェーガーのハーゼエンブレムを二つ集める義務は受け継がないのだ。
他の実用的な例として、イェーガーがハーゼエンブレムを探している間に偶然ズゥーハァーのチームを殺すとする。その場合、イェーガーチームはズゥーハァーチームのエンブレムを持っているので、処刑されないためには二つのハーゼエンブレムを集めるか、もう一つのイェーガーエンブレムを手に入れるかの二つの方法がある。しかも後者の場合は進級にも繋がっている。
「でも俺たちはハーゼだから全部関係ないな」とウト。彼が今、兎を象ったエンブレムを首から下げている。兎狩りのルールではエンブレムを常にチームメンバーの一人が肌身離さず持っていなければならないのだ。
「ズゥーハァーを探して、彼のエンブレムを奪うことはできるよ」そう僕は提案してみたが、僕らはハーゼなのでズゥーハァーを殺すことはできない。しかし相手を殺さずにエンブレムを強奪するのは殆ど不可能だろう。兎狩りの最後にエンブレムを持たないチームは処刑されるので誰もが自分のエンブレムを命がけで守るだろうから。
「それは面倒だ。今ごろどの新入生も同じことを考えているから、ズゥーハァーを見つけるのは難しくなってくる。例えズゥーハァーを見つけたとしても、他のチームに先を越されるのが目に見えている。面倒だ」
「冗談だよ。僕だってまずは引っ込んでいて様子を見たほうがいいと思うよ」
「じゃあ決まりだな」ウトは飛び起きて、ベッドの縁に座った。「早く地下探検にいこうぜ」
大きな声で僕はため息をついて、呆れた視線をウトに投げかけたが、猫の毛のように深い茶色の瞳を輝かせているウトにはどんな皮肉も通用しないだろうと思い、仕方なく立ち上がった。
「もうちょっと緊張しろよってイノが言いたいのはわかっている」ウトは僕の手を取って部屋から引っ張りだした。「でもちょっとはふざけようよ。せっかく授業がない日なんだしさ」
「ウトこそ慎重に振る舞ってよ。下手したらイェーガーに殺されちゃうよ」
「君と一緒に死ねるなら文句はないぜ」ウトは振り返って僕に迫ってきた。彼はいつものように唇を広く伸ばし、頬を押し上げるような不敵な笑を浮かべ、彼独特の迫力で僕を壁に押しつけた。バンと、彼は右手を僕の右肩の上の壁に叩きつけ、覆いかぶさるように僕の顔を覗き込んだ。「どうだい? 二人で死ぬのは?」
僕は目を瞑って微笑み返した。「もう同じ手にはのらないよ」しかしそう言うと同時に心が粉々に砕け、秋の葉っぱのように散っていくような気がした。その代わり、今度は激しい殺意は生まれなかった。ただ少し切なく、右目の涙腺が収縮して、僕は慌てて右目を瞑った。
「今回は冗談じゃないぜ」ウトはさらに僕に近づいてきた。彼の心臓と体温が制服のTシャツを通して感じられるようだった。「本当に――」
「おやおや」
もう少しでウトと僕の肌が触れるというところで、誰かが驚きの声を上げた。パッとウトが僕から離れると、彼の陰からミオンと長身のナンがこちらに歩いてくるのが見えた。
「あっ、止めちゃうのか」残念そうにミオンは言った。「腐男子たちの遊びを邪魔しにきたわけじゃないんだが」
「勘違いだよ。腐男子なわけじゃない」僕は軽く苦笑いしながら答えた。ナンと廊下で抱きついているやつに腐男子とは呼ばれたくなかった。
「とにかく、俺たちの同盟は覚えているよな」
「ああ、覚えている」ウトが答えた。「俺たちはハーゼだ。あんたたちは?」
「俺たちもハーゼだ」ミオンはTシャツの下からペンダントを取り出し、僕たちと同じエンブレムが下がったペンダントを見せた。「ついていないと言えばついていない。俺たちは前の年もきっちり二十五回ハーゼだったんだぜ。イェーガーにはなりたくないが、ズゥーハァーのエンブレムも手にとってみたい」
「これからはどうなるの? 同盟した僕たちはなにをやらなければいけない?」僕は訊いた。
「まだなにもしないでいい。まず俺たちが情報を集めるから、必要になればおまえたちを呼ぶ」
「俺たちを裏切る時になったらの間違いでしょ?」苦笑しながらウトが言う。
「冗談がきついな」
「あんたほどじゃないけどね」ウトは頬を叩いて真顔に戻った。「じゃあ俺たちは地下の鉱山を探検しにいくから――」
「そこにはいかない方がいい」ウトが鉱山と言うなり、ミオンは真剣な顔になって注意した。「鉱山はイェーガーのデンと呼ばれているんだが、そこはイェーガーが集り、死体を処分する場所だ。そこはトップクラスのズゥーハァーが二人入っても戻ってこれないような場所だ。君たちみたいな新入生がいく場所じゃない――」ミオンは喋るのをやめてニッコリと白い歯を見せて笑った。「それでもいくんだよな、おまえたちは」
「もちろん」ウトはミオンを真似してニヤリとした。
読んでくれてありがとうございました。評価・感想お願いします。次話は1月四日です。
ハッピーホリデー!
Marian Flayer 28th of December 2012