(3)
*注釈について
この作品は世界設定をより詳しく説明するために注釈を使っています。しかし大事な世界設定は作中で書かれているので、物語を解釈するためには必要ありません。注釈はより深くこの作品の世界について知りたい方たちのためにあります。基本的に注釈は前書きに書きます。
[1]カーボニック:ナノテクノロジーで作られた合成樹脂を指す大らかな単語。カーボニックには色々な使い道があり、壊れたら徐々にまた元の形に戻るなど、加工によって使い道は無限である。
→専門用語リスト: http://marianflayer.blogspot.de/2012/12/blog-post_21.html
→専門用語グロサリー: http://marianflayer.blogspot.de/2012/12/blog-post_23.html
「どうして同盟なんてしたんだよ?」大聖堂への廊下を歩きながら僕は怒ってウトに訊いた。「罠だってわかってたらなおさら断るべきだった」
僕がそう迫るとウトは首を縮めて外方を向いた。
「ねえ、僕を見て」僕は彼の方を揺さぶった。「今ならまだ同盟を解除できるんじゃない? そうした方がいいよ。上級生と関わらないほうがいいよ」
「ああ、イノは時々本当にうるさい」ウトは大げさに腕を広げて言った。
「うるさいって? 兎狩りはチームごとに競うって話じゃないか! 君だけならいいかもしれないけど、僕にも迷惑が――」
先を歩いていたウトは突然立ち止まり、くるっと振り向いた。
――そして僕の頬にキスをした。
あまりにも突然だったので、僕はそこに立ち尽くし、震える手でキスされた頬を触った。ドキンと内臓が飛び上がり、目眩がした。頬に置いた指先でキスされ た部分を撫で回した。そこには皮膚で感じた温もりも湿り気も残ってなかったが、ウトの唇の形がクレーターのように残っているような気がした。僕はウトを見 つめた。
その時、僕は口を少し開いて、信じられないという表情を浮かべていたのだろう。もしかしたら赤面していたのかもしれない。酷く驚いて、冷や汗でもかいていたのだろう。絶対にそうだ、なぜならそんな僕を見てウトは――
ウトは手を叩いて笑い始めた。
「今のイノの表情は最高だ」ウトは僕の肩を掴んだ。ギュッと彼の指と手が僕の肩を包み込み、火傷するような熱さが僕の身体を取り巻いた。「イノは真面目すぎ。今のは冗談だよ」
「冗談?」奥歯が歯ぎしりを繰り返す。しかしそれでも胸は異常に軽くそして速く動いていた。
「そう。イノがうるさいからやってみただけだよ」ウトは僕の顔を覗きこんでつけ加えた。「そう怒るなって、同盟したぐらい大丈夫だよ。こちらがいつあいつらを裏切ることを考えていれば、彼らの罠にははまりはしないよ」
僕は熱い息を鼻穴から吹き出して、できる限り顔を怒りを歪ませ笑顔を作った。「それもそうだね。同盟ぐらいでギャーギャー言って悪かったよ」
「そうそう、穏やかな気分でいようじゃないか。神経質になりすぎたらこの学校では生きていけないぜ」
「そうだね」
ウトはニヤリと口端を釣り上げた。「イノってキスされると案外素直になるんだな。機会があったらまたやってみよう」
「やめてくれ」僕は呻いた。
「あいつを殺してやる!」僕はカーボニック[1]から作られたトイレの個室の壁を殴りつけた。ヴォルケン校で僕は体力的に平均より低い成績を収めている が、僕は弱いわけじゃない。カーボニックの壁には穴が開き、僕が拳を抜くとシューと音を立てながらカーボニックの壁は元の形に戻ろうとして、穴を埋めて いった。
今度ばかりはウトの行動を許せなかった。僕にキスして笑うだなんて! 侮辱もそうだが、屈辱でもある。なぜウトはいつも僕の気持ちをズタズタに引き裂くのだろうか?
何か硬いものを殴りつけたかった。拳が破裂するほどの硬いものを。僕は痛みを感じたかった。しかしトイレは殆ど自己治癒能力を持つカーボニックをベースにした素材で作られていてとても柔らかいし、鏡は割れてしまうので叩くことはできない。
制服のTシャツを脱ぎ、鏡に自分の姿を映しながら僕は肩に爪を立てた。そして血が滲み出るのを感じながらゆっくりと手を下へと動かした。それぐらいでは足りなかったが、激しい痛みに貫かれると、頭のなかがぼやけて、心の傷が薄れてゆく。少し気が紛れた。
大きく息を吐き出し、僕は瞼を開いた。華奢な少年が鏡の向こうに立ち、肩を震わせている。前の学校ではガリ勉と呼ばれ、それに相応しいほど僕の身体には 筋肉の膨らみがなかった。人一倍ジムに通ったのだが、生まれつき僕にはその素質がないらしく、一般人よりは強くても、どんなに頑張っても僕は肉体的にウト を超えることはできなかった。彼も細いが、その非力そうな腕には物凄い怪力を秘めていた。
怒りが静まるとともに押し潰すような劣等感に僕は襲われた。首を振り、僕は鮮血が流れだす肩を洗い、ついでに顔も濡らした。冷たい水は少しだけ火照った僕を落ち着かせてくれた。
だが冷静になればなるほどウトを殺したいという衝動は具体化していった。もう彼を生かして置くことはできない。その気もないのに僕を弄ぶのは許せない。心に傷がつくばかりではなく、恥ずかしくて腹立たしかった。
「明日のピクニックだ」僕は呟いた。マウンテンバイクに乗って二人でヴォルケン校から遠い所へいけば、彼をクレーターに突き落として事故死に見せかけることができる。もちろん僕は疑われるだろうが、証拠がないかぎり僕は大丈夫だ。
「明日のピクニック」僕は繰り返して笑った。必ずウトを殺してやる。
肩の血が固まるのを待って僕はTシャツを着てトイレを出た。ウトは先に大聖堂にいっているはずだ。
さっき僕がトイレにいくと言ったら、ウトは顔色が悪いぞと言い、本当に大丈夫かと尋ねた。そして僕の額の熱を図ろうと僕の額に手を伸ばしたが、僕は彼の手を振りほどき、逃げるようにここへ走ってきた。ウトは追ってこなく、大聖堂で待っていると僕の背中に叫んだ。
時計を見ると八時を回ったころで、僕は三分遅れていた。しかし大聖堂で行われる兎狩りの開会式の参加は自由で、兎狩りのルールを正確には知らない新入生 たちを中心とした集りだった。遅れても聞き逃した部分はイノが教えてくれるだろうが、僕は今日はもう彼の顔を見たくないほどいらついていたので、急ぎ足で 大聖堂に向けて歩き始めた。
「ナン、止めてくれよ」
曲がり角で荒く息継ぎをする声を聞いたので、僕は足を止めた。驚いて角から顔を出してみると、少し離れた壁に小柄なミオンがナンに壁へと押し付けられて いた。一瞬、僕は喧嘩だと思ったが、ナンがミオンの顔にかかった流れるような銀髪をかき分けて彼の唇にキスをすると、二人が恋人どおしだと言うことに僕は 目を見開いて気づいた。
ドクンと心臓が飛び上がった。ナンが力強くミオンを小さく持ち上げ、押さえつけるのを見ると、手足から痺れたように力が抜けて、恨んでいたはずのウトの顔と彼が自分の金髪のくせ毛を指先で遊びながら笑う表情を思い出した。
ミオンとナンがじゃれあうの凝視しながら、僕はその光景を自分とウトで置き換えてみた。ウトに肩を捕まれ、乱暴に壁に押し付けられ、ミオンのようにキス されたかった。さっきの冗談の口づけではなく、本当の愛が口のなかでトロけるのを感じながら、服を脱がされたかった。そしてそのまま床に押し倒され、裸の 身体でウトに乗って欲しかった。
それはいくども繰り返された妄想で、それが現実になることは絶対にありえなかった。ウトが僕を好きになることはない。それなのに僕は彼に溺れてしまっている。情けなくて、歯が痛くなるほど悔しくて、愛し合っているミオンとナンの姿を見るととても惨めに感じられた。
僕は振り返った。そこにいたら僕は二人に殴りかかっていただろう。一目散に僕はありえない世界から大聖堂へと逃げ出した。
「遅かったな」ウトは僕が彼から離れた席に座ったのにもかかわらずこちらへと寄ってきた。「さっきはごめんな。君が怒るとは思っていなかった」
えっ、なんのこと――と、答えられるほど僕は器が座ってなく、ただコックリと頷いた。
まだ兎狩りの開会式は始まってないらしく、中央の演台ではヴォルケン校のスタッフが歩きまわり、ドーナツ状に演台を取り巻く長椅子に座る生徒たちはガヤガヤと話していた。
数分僕たちは沈黙を守り、兎狩りが何なのか説明されるのを待っていたが、なかなか始まらないので、僕はウトにミオンとナンのことを話そうかと思った。ほ んの一瞬だけ迷い、ウトの意見を聞いてみたかったのだ。しかしやっぱりやめた。同性愛についてウトの本音を聞いたら傷ついてしまうことは目に見えていた。
「ウト、実はさっき他の生徒から聞いたんだが、ヴォルケン校には秘密の地下があるらしい」ウトはいつものイタズラ好きそうな笑を浮かべて言った。
「秘密の地下?」少し興味が湧いたので、僕は聞き返してみた。ヴォルケン校は地上三階建て、地下二階建てと思っていたが、それは違うのだろうか?
「そう。地下二階のどこかに昔使われていた鉱山へと続くドアがあるらしいんだ。いつもは鍵が閉まっているらしいけど」
「入れないのなら使い物にならないじゃないか」
「それが兎狩りの間はドアが開けられるようだぜ。一回そこへ探検しにいかないか?」
僕が腕組みをして考えていると、ウトはさらにニヤつきながら一本指を伸ばした。「怖いのか? その鉱山へ入ったきり出てこなかったやつらもいるってな。それぐらい鉱山が大きいってことだ」
そんなに大きければウトの死体をそこに隠すことができる――と、そのことがウトの言葉を聞いた瞬間に思い浮かんだ。それはピクニックでウトを殺すより有 効かもしれない。ウトと一緒に鉱山へと降りるところを目撃されなければ、そこでウトを殺し、彼の死体を隠せば、後はウトがどこにいったかわからないでしら を通せばいいのだ。
だから僕は変に思われないほどの笑顔でウトに微笑みかけ「面白そうだね」っと言った。
「じゃあ決まりだ。明日とは言わないが、時間があまったら鉱山を探索にいこう」ウトは拳を左掌に叩きつけた。
それと同時に大聖堂の中央に組み立てられた演台に校長であるヴィクトリア・フォン・ヴォルケンが登り、マイクで拡声された声が大聖堂の壁に反響した。生徒たちはビクッと小さく飛び上がり、全員校長の方に向いた。
「ようこそみなさん、兎狩りの開会式に」
――今思えば校長が吐いたその言葉で兎狩りは始まり、同時に僕たちの滅亡も始まっていったのかもしれない。
読んでくれてありがとうございました。評価・感想お願いします。次話は12月二十八日です。
メリークリスマスとハッピーホリデー!
Marian Flayer 24th of December 2012