(2)
*注釈について
この作品は世界設定をより詳しく説明するために注釈を使っています。しかし大事な世界設定は作中で書かれているので、物語を解釈するためには必要ありません。注釈はより深くこの作品の世界について知りたい方たちのためにあります。基本的に注釈は前書きに書きます。
[1]ネオファイバー:合成によって作られた素材。破れにくく、熱にも耐えるので主に軍服などに使われる。
[2]アトランティス:島のように巨大な船。地球では人口が爆発的に増えたため、人間が住める場所を確保するために作られる船である。
[3]ランカ病:汚染された飲み水のために髪の毛の色が白に変わってしまう病気。治療は存在しないが、感染する心配もなく、髪の色彩が薄くなる以外の症候はないと科学者たちは考えている。
→専門用語リスト: http://marianflayer.blogspot.de/2012/12/blog-post_21.html
→専門用語グロサリー: http://marianflayer.blogspot.de/2012/12/blog-post_23.html
月面では月の自転のため一日が二十七日間以上かかる。つまり昼と夜は二週間づつ続くのだ。ダークネス時期と呼ばれる夜は冷え込み、ソーラーパネルで蓄えたエネルギーは二週間持たなければいけないので、学校がわも暖房費を節約しようとする。特にダークネスの後半はヴォルケン校はさらに冷え込む(ウトは平気なようだが、僕にとっては寒くて仕方がなかった)。しかし逆にライトニングと名称された陽が照っている次の二週間も地獄ならしく、月面の温度が百度を超える日もあるという。
ライトニングとダークネスの公転はヴォルケン校での生活を支配し、掟のようなものでもある、と一学年上の生徒が言っていた。ヴォルケン校の外に耐熱耐寒性を兼ねた特別な宇宙服なしで出られるのは一ヶ月に二三日ばかりで、その時期は授業がない休みの日でもあった。
それだけではなく、ヴォルケン校に存在する二つの校舎の愛称もライトニングとダークネスに由来していた。ウトと僕を含めた新入生が住み、勉強する校舎は最初にダークネスが終り、太陽が照り始めるのでLブロックと呼ばれ、大聖堂を挟んだ反対側の校舎、Dブロックには進級テストに合格した生徒たちが住んでいた。
そしてその進級テストがライトニングの間に行われる兎狩りという行事なのである。その単語はすでに新入生たちの間でも囁かれ、一体どんなものかと誰もが知ろうとしていた。学年の上の生徒たちは兎狩りの内容を知っているはずだが、偽の情報も多く出回っているので、僕も何を信じていいのかわからなかった。確実なのはこの進級テストでは必ず死者が出るということぐらいだ。
ネオファイバー[1]から作られたライトニング用制服を着たウトに並んで僕はLブロックの中央にある食堂へと向かっていた。今日から正式にダークネスが終り、ライトニングが始まるのだが、まだ気温は寒く、ライトニング用制服であるTシャツと短パンでは肌寒かった。その一方ウトにとってはこれが丁度いい温度ならしく、彼の腕には鳥肌一つ立っていなかった。
「どうして寒くないんだよ?」僕は肘から手首の部分を擦りながらウトに尋ねた。
「俺が生まれたところではこのぐらいの寒さで南極の海を泳いでいたんだぜ、寒く感じるわけがないじゃん」ウトは笑った。「でも心配するな、これ以上暑くなったら、俺はもう汗だくになるから」
僕はウトが汗をかいて床で伸びている光景を想像しようとしてみたが、それはウトが凍えているのを思い浮かべるぐらい無理だった。暑くなりすぎたら最初にバテるのは僕だろうという確信が僕にはあり、情けなかった。
朝食の席ではいつもより張り詰めた空気が場を支配していた。兎狩りと言う言葉がいくども囁かれ、これから二日の連休が始まろうとしているのに誰もそのことについては話してなかった――無論、ウト以外。
「あのさ、イノ、明日でもさ、マウンテンバイクを借りてこの近くにあるクレーターにいって見ようぜ。月の石って呼ばれているものも見つけたいし」
「マウンテンバイクか」僕は腕を組んで考える振りをした。イノと月面でサイクリング、ロマンチックに思えた。恋愛小説のように湖畔とボートのように優雅ではないが、マウンテンバイクにも魅了するチャームポイントがある。すっかり兎狩りのことなんか忘れて僕はウトと話し始めた。
「だったら明日、弁当を持っていくのはどう?」
「馬鹿、宇宙服着てたら食べられないだろ」
僕らは同時に吹き出した。「あっ、そうか。でもウトはどこで自転車を乗るのを習ったんだい? アトランティス[2]では歩くのが一般的だと思っていたけど」
「だから凍った海の上でスパイクをつけたマウンテンバイクで走ったんだ。楽しかったぞ、薄い氷でバイクに乗ると走っているそばから氷が割れていくからどんどん速く漕ぐだろ、でもいつかは海に落ちてしまう。あれは一度イノとやってみたいな」夢想家のように深茶色の視線を遠くに泳がせ、満足そうにウトは微笑んだ。「いつか絶対俺が生まれた南極に連れていってやる」
「どうかな」僕も自然にニコニコ顔になってしまう。「ウトが生まれたところは寒そうで、身体がもつかどうか――」
「なに言ってるんだ。大丈夫だって。それに極端な寒がりは俺の故郷では珍しいからな。大体イノの青っぽい黒い髪なんて珍しいから、それだけでそこの女たちに可愛がられるぜ」
ズキンと胸が痛み、僕は顔を背けた。
「おいどうしたんだよ」
「いや、なんでもない」笑顔が引きつらないように努力しながら僕はウトの方を向いた。「ちょっと脇腹が痛くなって」
ウトは眉間に皺を寄せて、心配そうに脇腹を握る僕の顔を覗き込んだ。「イノ、大丈夫だよね。風邪なら休んでいた方がいいよ。後で兎狩りのことについて話してやるからさ」
「いや、大丈夫だって。問題ない」
「大聖堂で吐きそうになった時、君は同じことを言っていたよね」
「本当に大丈夫だってば」さっきより少し強く言うと、納得したようにウトはまた朝食の方を向いた。
なぜウトは僕に対してこんなに優しいのだろう? こんなに面倒見がいい友達を僕を初めて持った。だがウトは僕にしかソフトなサイドを見せない。他の生徒はテストでも訓練でも徹底的に破壊するウトがなぜ僕だけを特別に扱うのだろうか?
同じ部屋だからウトは僕のことを一時的な味方とみなしているからなのか。が、ウトは部屋割りが決まる前から僕に親切にしてくれた。大聖堂の出会いだって普通ならありえなかった巡り合いだろう。
だったら――僕は夜ベッドのなかでよく考える――彼の方も僕に気があるのではないのか、と。ああ、本当にそうならそれより嬉しいことはない。ウトに告白して、彼が同じ言葉を僕に返す瞬間を想像するだけでも涙が出るのだから。
しかしウトはいつも舞い上がり、妄想の天国で有頂天になっている僕を小さなコメントで撃ち落とす。さっきみたいなことを言われると、ウトは僕を性として好きではないのだと気づく。そうすると自分が男に生まれてきたことが惨めに思え、鈍感なウトを殺したくなる。その衝動は一瞬のものだが、この二週間その衝動は重なりあい、今や大きな願望へと発展していた。
「君のとなり空いている?」
ハッと顔を上げると銀色の髪の毛の男子が立っていた。彼は片手に朝食が置かれたトレイを握り、開いた手で溢れるような銀髪をかき上げた。染めている銀色ではないだろう。出身地はわからないが、銀色の髪をした人間はもはや稀ではない。昔は髪を銀色にするランカ病[3]は移ると言われて騒がれたが、ランカ病は遺伝するだけで、髪が銀色になる以外の作用はない。
「空いてますよ」僕は掌で隣の席を示した。
ランカ病の青年はドッカリと腰を下ろし、彼の向かい側に髪をオールバックにして瞳孔がわずかに赤っぽい青年が座った。
「俺はミオン」ランカ病の青年は手を差し出してきた。「よろしく」
「僕はイノ」ミオンの手を握り僕は答えた。ミオンは同じようにウトとも握手を交わし、髪をオールバックにした青年のことを「彼はナンだ。口がきけないんだ」と紹介した。
ナンはウトと僕の方を向いて小さくニコリと笑った。目は動かず、口だけの笑いだったが、ウトに似た不敵な空気を漂わせるナンはかっこ良かった。
「で、上級生の君たちがなにしに来たのかな?」交差させた両手の指の上に顎を乗せ、ウトは尋ねた。彼も笑っていたが、その声には明らかな警戒と威圧的な音が含まれていた。騙そうとしたら殺す、と言うような勢いで。
「これから兎狩りが始まるのは知っているよな」
「ああ、知らない生徒はいないと思うが」
ミオンはウトを真似して頬杖をついた。「だったら同盟を組まないか? 君たちの二人と俺たち二人」
僕はウトの方を向いた。ウトは愉快そうに微笑した。「絶対僕たちを騙すつもりでしょう」彼は僕の声と話し方を真似して言った。少し怒って僕はウトを睨んだが、彼はチラリと僕を見て「安心しろ」と言いたそうにウインクした。
「君たちを騙すつもりは全くない」ミオンは言う。「他のやつらを騙すんだ。そうしないと進級できないからね。
ウトは癖がついた金髪を摘み、考える振りをした。「いいだろう。同盟しよう。罠だとしても俺たちはそんな手には乗らないからな」ウトは上半身を上げて宣言した。
「いいね、その自信」ミオンは薄い色の唇を軽く突き出し、白い瞼を閉めながら顔の筋肉全体を使って笑った。その笑顔は人間のものではないと僕は思った。童話に出てくる川の精霊が作りそうな不思議でミステリアスな表情だった。
残念ながら僕はミオンの笑に長く見とれていることはできず、彼はすぐにまた真剣な顔に戻った。「でも最初に死ぬのはいつも自分知らずの新入生なんだけどね」
読んでくれてありがとうございました。評価・感想お願いします。次話は一時間後!
メリークリスマスとハッピーホリデー!
Marian Flayer 24th of December 2012