【prologue 機械の王国】
グレイ・ケイシュ王国の空は今日も灰色の雲に覆われていた。
湿った生温い風が王都を吹き抜けていく。やがて降り始める雨の予感に、人々は天を仰いだ。
王国の都、その中央には灰色の城がそびえ立っている。
その一室にこの国の第一王女はいた。
王女、そして彼女に付き従う者達が何人もいるが、それでも部屋は余りあるほど広い。
「……貴方は本当に愚かね」
王女は足を組んで椅子に座っていた。
彼女は今年十八になり成人したばかりだったが、そうとは信じがたいほど大人びている。
赤いドレスに包まれた体は豊満で、ドレスのデザインがそれを強調している。白い肩に少しかかるくらいの漆黒の髪もまた彼女の艶麗な容貌を演出していた。薔薇があしらわれた金色の髪飾りもよく似合っている。吊り上がり気味の涼しい目は凛とした雰囲気をより醸しだしていた。
眉をひそめたまま、王女は言葉を続けた。
「ねぇ? シャムリー」
シャムリー、と呼ばれたのは王女と同じくらいの歳の男だった。
彼は金色の長めの髪を後ろで一つにまとめていた。王女とは対照的に手袋に深靴だ。俯いたその表情は感情に乏しい。
その服装、また剣を携えている事からこの国の騎士であることが分かる。――この国で城内で剣を持つことを許されているのは王族と王族に認められた騎士だけだった。
「……申し訳ございません」
跪いたままシャムリーは頭を下げる。
「黙りなさい。貴方は本当に愚かしくて、無知で、無能ね。私には貴方の行動が、言動が不快で不快で堪らないわ。
己の非を自覚していないくせに謝罪だけ言おうなんて、なんて浅ましいのかしら」
王女は語調を強める。高貴な彼女から発せられるその言葉は、ある意味で路地裏で交わされる罵詈雑言よりよっぽと暴力的だった。
シャムリーは、ただ頭を垂れるだけ。その場にいる侍女達は居心地悪そうに、様子を窺っていた。
「昨日私が貴方に何と言ったか、その頭には残っているかしら」
王女は氷のように冷たい目をしたまま、ティーカップに口をつける。
「はい。この城に入って来るな、と――」
シャムリーの言葉に、王女は嗤う。
「驚いたわ。貴方の頭でも記憶するということが出来たのね。
でもね、覚えるだけでは意味がないのよ。犬だって命令を与えられたらそれを実行することが出来るの。それが出来ない貴方は犬以下ね」
「ですが……」
「うるさい! 話しかけるな!」
シャムリーの言葉を跳ね除け、王女は叫ぶ。彼は何も言わず、やはり頭を下げた。
侍女のうちの一人が何か言おうとして口を開いたが――すぐに閉じた。自分が王女に何か進言できるような立場でないことを自覚しているのだろう。
王女は侍女の様子を横目で見ていたが、特に何も言わない。そして、手にあるティーカップの中の少し砂糖が加えられた紅茶を見て、そのカップをシャムリーの頭の上でひっくり返した。
琥珀色の液体がシャムリーの頭に降り注ぐ。ぽたりぽたりと髪から紅茶が滴り落ちても、彼は眉一つ歪めなかった。
「……そこにいなさい、無能が」
そう吐き捨てて、王女は腰を上げる。
「あの……」
あまりにも酷い仕打ちに、先程の侍女は何か言おうと歩みを進めた。
だがそれをやんわりと制止する者がいた。彼女の隣にいた侍女だ。
彼女を制止したその侍女は、あまりにも異質だった。
まわりの侍女たちは、揃いの通気性のよい白藍色の服を着ている。それに対し、彼女が着ている服は闇に沈むような黒。カチューシャからブーツに至るまで黒で統一されていて、デザインからして周りとは完全に違っていた。
胸を半分隠すくらいの髪は白。染めているのかもしれないと疑うほどの白で、王女を含め黒髪が多いこの部屋では目立つ。更に顔の半分を黒い眼帯が覆っていた。
そして何より異質なのは、彼女が口に浮かぶ、『微笑』。
息も詰まるような重い空気に満ちたこの室内で、彼女だけが終始違う空気を纏っている。
「止めたほうが、よろしいかと」
「あ……」
異様な微笑にあっけにとられ、自分が今、勇気を振り絞って王女に意見しようとしていたことすら忘れていた。
そして黒衣の侍女は、声に出して笑い始める。
くすくす、くすくす、くすくす――
やがて冷たい雨が、王国の地面を打ち付け始める。
他国の者から見たら陰鬱な天気。だがグレイ・ケイシュの民からすればなんということもない、いつもと同じ空だ。
この国では一年の内で晴れる日は、半分以下だった。更に国土の多くはやせた土地であったため、特定の作物を除けば、あまり農業は盛んではない。
しかし、この国が貧しい国なのかというとそうでは無かった。
数十年前より進めてきた政策の結果、グレイ・ケイシュ王国は大陸一の工業大国となった。元より豊富だった鉱山資源を用いて、他国に高度な工業製品を売りつけることにより、豊かな国家を築いていた。
よって他国からはこう呼ばれていた。『冷たい雨と機械の王国』と。
しかし王国に住む者は知っている。その称号はグレイ・ケイシュのすべてを表してはいないということを。
だがそれを知るのは王国に住まう者だけ――