episode1 王女の秘密[2]
次の日の朝――
普段通り、ジュリアは家族と共に朝食をとっていた。
国王に二人の王妃、ジュリアの兄にあたる王太子のロエルにジュリア――それに加え、今日はもう一人。
もちろんミルシーだ。
「はい、お姉様! あーん!」
「……自分で食べれます」
ジュリアの隣に座り、小さく切ったソーセージを先に刺したフォークを差し出すミルシー。対するジュリアは顔色が悪い。それは別に彼が朝に弱いからではない。
「なら、スープはいかがですか?」
「それも自分で食べますから」
どんなに冷たくあしらわれようと、ミルシーは落ち込むこともせずにジュリアに話しかける。
こんなことが昨日からずっと続いていた。ミルシーは雛が親鳥の後ろを付いてまわるかのように、ジュリアに付きまとっていた。
……精神的に疲れる……!
ジュリアは助けを求めように、正面に座る兄のロエルを見た。
彼は父譲りの金髪に黒縁の眼鏡をしており、美男子ではないがいかにも人の良さそうな顔立ちをしている。見た目どおり、温厚で真面目な性格であることはジュリアはもちろん誰もが知っている。
ロエルは面白がるような笑みを浮かべていた。真面目な彼には珍しいことだ。ジュリアが妹に振り回されているのがよっぽど面白いのだろう。助けるつもりはないらしい。
昨日のエミリアの話ではミルシーは身分をあかすことなく、ジュリアの母の親戚として短期間の滞在を許されたのだという。
ただ、短期間とは一体何日なのか、あるいは何週間なのかは、明言していなかった。
「お姉様……」
「やめようよ、ミルシーちゃん……」
そう言ったのは、ゴーグルの少年――クロードだった。彼はミルシーが城まで来る途中に出会った彼女の従者だという。
ただ昨日からの彼の振る舞いを見る限り、従者というより旅のパートナーといった存在らしい。
後ろに控えていた彼はなんとか笑顔を作ろうとしてはいるが、どこか引きつっていた。
「ジュリア様、困ってるよ。それに朝食は落ち着いて食べるべきだよ」
口ではそう言っているが、困っているジュリアを助けたい、という様子ではない。
だがミルシーは、
「何を言っていますの? ジュリアお姉様は優しいですから困ったりなんかしませんわ。
それにクロード。その言葉遣いは感心しませんわ。お父様やお母様の前ですわよ」
「……はい……ごめんなさい」
彼女の言うともまた正論。クロードはそれ以上は何も言わなかった。
それを良いことに、ミルシーはジュリアに話しかけ続ける。兄や両親たちは微笑ましげに見つめるのみ。
……たく、いつまで続くんだ!
――ジュリアのそんな思いをよそに、彼女の愛情表現は留まるところを知らない。
朝食の後もミルシーはジュリアに付きまとい続けたのだ。
勉学に勤しむ時も。武術に励む時も。食事の時も。普段ならマーヤと二人雑談をして時間を潰す時も。
ジュリアの限界を超えたのは、翌日の昼だった。
「逃げるぞ、マーヤ」
昼食後、ミルシーを振り払い自室に戻ったジュリアは深刻そうな声色で言った。
ジュリアの他にただ一人部屋にいるマーヤは、わずかに首を傾ける。
「逃げる? ミルシーちゃんから?」
「他に誰がいる」
「何で? いいじゃない、妹と一緒にいられて。すごく幸せなことだと思うなぁ」
ジュリアはマーヤに家族がいないことを知っている。詳しい家庭環境は知らないが今は一人で暮らしているらしい。
そんな彼女に家族のことを言われると、ジュリアも反論しにくい。マーヤの表情に陰りは全く無いし、実際に深い意味があるわけでは無いが、そんな言い方をされれば気を遣ってしまう。
「い、イヤイヤイヤ! 俺のプライバシーはどうなるんだよ! しょっちゅう付きまとわれたら、気を休める暇もないじゃないか……」
うっかりマーヤのペースに乗せられそうになり、慌てて否定する。
「昨日なんて湯浴みの時に一緒に入ろうとしてきたんだぞ……寝るときにまで……」
「え、一緒に入ったの? 一緒に寝たの?」
何故かマーヤはうきうきした様子だ。
「そんな訳ないだろ!」
「なーんだ」
何故か少しがっかりしているマーヤは、続ける。
「いっそバラしちゃえば? ありのまま向き合えばいいよ」
「出来るか。あんまり秘密を明かしたくないし、それに……」
「今更恥ずかしいから?」
思わず、マーヤから顔を背けた。すぐにしまった、と思った。これでは肯定しているようなものである。
「……ジュリアって意外に繊細だよね」
「うるさいっ」
言った後、これも肯定の意味を含むものだと気付いた。
「とりあえず……逃げるぞ」
「どこに?」
「街に、だ」
堅牢な城壁で囲まれた城は王の住まいでありこの国の政治の中心だ。この地に都が置かれたと同時に築かれた王城は――もちろん何度も改修されているが――華美な装飾はなくとも貫禄があり、王の居城に相応しい。
さらにぴったりとくっつくように隣接する建物は国軍の中枢機関だ。
それらのまわりには貴族や軍の重役達の屋敷がひしめいていた。グリーデントにおいて、軍で重要な役職につくことは必ずしも貴族の称号を有することではない。軍人と貴族、まったく別の人種である。
屋敷と屋敷の間を歩くジュリアは今、そのことを実感していた。
軍人のものとおぼしき屋敷はあたかも小さい砦のようだ。猫の子一匹侵入を許さんとばかりに高い塀に取り囲まれ、建物も機能性が重視されている。
かたや貴族の邸宅は、比較的開放感があり、温室や手入れの行き届いた庭園も見てとれる。
ジュリアがそれらを見比べながら歩いていると、案の定、隣のマーヤが指摘してくる。
「そんなにきょろきょろして、怪しいよ?」
「う、うるさいなぁ……」
しかしジュリアが好奇心を抑えられないのも仕方がない。
何故ならジュリアは、この通りを歩くのは初めてだったのだ。城の目と鼻の先にあるにも拘わらず、である。移動といえば馬車が主。その時は、屋敷の一つ一つまでは見ることなど出来ない。
――しかし、今は徒歩で歩いている。
一国の王女が城を出歩いている。そんなことが可能な理由は、二人の服装にあった。
ジュリアはドレスを、マーヤはあの変わった赤服を脱ぎ捨て、町娘のような格好をしているのだ。
ジュリアはえんじ色の首元の詰まったワンピース。髪を後ろで緩く束ね、清楚な印象だ。
マーヤは薄桃色のワンピースで、腰にベルトを巻いている。花柄があしらわれたスカートの裾からは、白い膝が見え隠れしていた。
これらはジュリアが用意したもの。こんなときのためにと前もって隠し持っていたものだ。
ジュリアはマーヤの正確な寸法を知らなかったが、彼女が今着ているワンピースはもともとゆったりした作りらしく、サイズの違いは気にならない。よく似合っている。
「この服のお陰で、スムーズに脱出出来て良かったね」
それに関してはマーヤの功績でもある。知り合いだった門番に、新入りの使用人に街を案内しにいく、といった旨のでっちあげをしてごまかしたのだ。そのため誰にも気付かれず、城を抜け出せた。
それから何人かとすれ違ったが、皆特に怪しむことはない。すれ違ったのは、屋敷に働く使用人や街から屋敷に食材を運んでくる商人くらいで、誰もジュリアを知らない。彼らは顔を見たことくらいはあっても、まさか平民の服で前から歩いてくるのが王女だとは思わないのだ。
二人の脱出劇は今のところ大成功である。
「それで、ジュリアはどこに行きたいの?」
「なるべく……なるべく人とものがいっぱいあるとこれがいい!」
ジュリアの言い方は、まるで子供のよう。さらにその瞳は好奇心旺盛な子供のように輝いているので、マーヤは思わず苦笑した。
普段の彼――あの落ち着いた物腰の王女からは想像出来ない、だが間違いなく本当のジュリアの姿がそこにあった。
「なんだよマーヤ、その表情」
「ううん、いっつもそんなのならいいのにって思っただけ。――それより、人のいるところでしょ?
なら、市場とかかなぁ」
「うん、それがいい。いってみたい……!」
しばらく歩くと、町並みは変わってきた。
建ち並ぶのは民家や商店などで、城下街に住まう人々の生活の匂いが伝わってくる。またすれ違う人の数も種類も多い。遠くの街から来たような旅人から、街の職人、商人。忙しそうに追い越していく者もいる。
見るものすべてが新鮮で、ジュリアはもっとあちこちを見たいのだが、そうすればうっかり誰かにぶつかりそうなのでそうもいかない。
「もう人がいっぱいいるな……」
「市場のあたりはもっとだよ」
城から大きな道に沿って歩いて来た二人は曲がり、やや狭くなった道に入った。
道幅はまだ十分にあるが、舗装は粗雑だ。王族や貴族が馬車を走らせる道と街の人々が行き交うための道の違いである。
「ほら、もうすぐ」
そして、市場にたどり着く。
そこでジュリアは、マーヤの言葉に嘘は無かったことを知る。
溢れかえる人、人。人だけでない。ジュリアの隣を農夫が豚を引き連れて歩いていく。
あちこちで言葉が交わされる。ある者は自慢の商品を売り込み、ある者は値引きを懇願し、悲鳴のように声を上げる。あっちで朗らかな娘の笑い声があがったと思えば、こっちで男が口喧嘩を始めた。
古今東西の食べ物、衣服から使い方も分からない珍妙な品物まで様々なものがところ狭しと並ぶ。店先で肉を焼き食欲を掻き立てる匂いで客を呼び込む店もあれば、見たことのないような色彩の服を並べる店もある。『占い』の看板を掲げて市場の端に鎮座する魔女のような老婆もいれば、時代がかった書物を売る男もいる。
初めて来た者を圧倒するようなその活気に、ジュリアは実感する。
この国が――グリーデント王国が大陸で一番の大国であることを。
自国が豊かな実りに恵まれた国であることは、ジュリアもずっと前から知っている。だが、こうやって目の前で見ればえも言われぬ感慨も湧いてくるというものだ。
「……この市場はいつもこんなに賑やかなのか?」
「不作の年はこうはいかないよ。でも今年は毎日この時間はこんな感じ。
……どう? ジュリア」
マーヤがジュリアの表情を覗く。彼女の顔は子供におもちゃを与えるときの親のそれだ。
「……すごい……うまく言葉に出来ない、けど。
連れてきてくれて、ありがとう」
「ふふ、大袈裟だね。どういたしまして」
ごったがえす人にぶつからないように歩きながら、二人は会話を続ける。
「……でも、エミリアさんにばれたときのことを考えたらそうでもないかも」
「……そうか?」
エミリアには午後から一人にしてほしいと告げてある。彼女がすぐにジュリアがいなくなったことに気付く事はないだろう。他の使用人も同様だ。
「そうだよ! エミリアさんはすごい人だもん。見つかったら怖いことに……」
確かにジュリアも彼女はすごい人物だと思う。自分と年齢がそう変わらないのにエミリアは使用人を束ねる立場にあるし、何事にもよく気がまわる。ジュリアにとって頼れる存在だ。
しかし、怖いというのはピンとこない。
「ああ見えてエミリアさんはね、実は剣術の腕を磨いてたり、独学で勉強に励んでたり、城中の人と知り合いでいろんなコネを持ってたり……それも剣術も知識も並じゃあないらしいよ」
マーヤは自分のことのように誇らしげに語る。
「それ、本当か?」
事実だとしたら、かなり常人離れしている。
「本当だよ。そんな人が怒ったと思うと……」
「怖いな……。能ある鷹は爪を隠すらしいが、むしろ羊の皮を被った狼とかの例えが正しいかも……」
「そうだよ、ジュリアみたいな子ウサギはぱくっと食べられちゃうの」
「……って、誰が子ウサギだ!」
馬鹿にするにも程がある。非難の視線を送るも、マーヤはにこにこ顔を崩さない。
「そんな訳で帰りが遅れたら見つかっちゃうかもだから、わたしにはぐれてもジュリアは一人で帰ってね」
「お前が迷子になっても、放って帰るよ」
ささやかな仕返し。だが。
「……迷子になるなら初めて来たジュリアじゃない?」
返された言葉はあまりにももっともなものだった。
ジュリアは、逃げるように市場を見物することにする。
並ぶ店はどれもジュリアにとって目新しく、決して飽きない。
古着が何百着と並ぶ店を通る時、マーヤは思い出したように言った。
「そういえばジュリア、どうしてわざわざ女物の服を選んだの?
男の服のほうが、ばれない変装になるんじゃないかな?」
マーヤは別にジュリアが女装癖を持ってるわけではないことを知っている。
「それは……」
ジュリアは口ごもる。ジュリアだってそう考えなかったということではない。
ただ――
……男と女が街を並んで歩くなんて。
「それじゃあ……で、デートみたいじゃないか……」
言葉に出してみて、この上なく羞恥心が溢れ出るのを感じる。
しかし、ジュリアは気になっていた。
自分がこんなことを言って、マーヤがなんと返してくるのか。何かに期待し、何かに不安しながら、彼女のほうを見たのだが――
「おじさん! これ、一つ!」
「あいよ! 可愛いお嬢ちゃんにはおまけしとくよ!」
「わあい、ありがとうおじさん!」
気づいた時には、マーヤは露店の前で肉団子の串刺しを前に目を輝かせていた。
片手に肉の串刺しを持って帰ってきた彼女は、あっけらかんとした口調で尋ねる。
「ごめん。何て言ったか聞いてなかったよ」
「だれがマーヤに教えるか!」
「ええー」
「自業自得だっ!」
羞恥で染まった顔を隠すようにマーヤのほうから顔を背け、足を速める。
「あ、待ってよ」
肉団子にかぶりつきながらそういうマーヤを無視しながら、ジュリアは歩いていく。二人の間に少し距離が出来るが、気にしないふりをして。
そのまま少し人が少ない場所に来た時だった。
「お恵みを!」
そう声をかけたのは、見るからに貧しそうな男だった。
ぼろを身に纏い、足は裸足。髭は伸び放題で、すがるような目がこちらに向けられている。
「どうかお恵みを! パンを買う銅貨もなくこのままでは家で私の帰りを待つ子供が飢え死にしてしまいます!」
「……え?」
いきなり声をかけられたことに驚きながら、ジュリアは小さな衝撃を受けていた。
あれだけ市場は活気がある一方、すぐそばにはこんなに貧しい者もいるのか、と。
「どうか! どうか!」
手持ちの金はそう多くはない。だが、男の悲痛な声に思わず金を差し出そうとしたのだが――
「いくよ、ジュリア」
強引にジュリアの腕を掴んだのはもちろんマーヤだ。
男からジュリアを引きはがすように、そのままジュリアを連れて歩いていく。
悲愴感に満ちた男の声を背に、ジュリアは慌てる。
「ち、ちょっと待てよマーヤ! これじゃ、あの人が……」
「ジュリア、騙されてるよ」
ジュリアの心配を、マーヤは切り捨てる。
「あの人には言うなればプロの乞食さんだよ。ほんとは子供なんていないし、ぼろぼろの服も同情を誘うためわざと着てるだけ。ジュリアがお金をあげても酒代に消えるのがオチだよ」
「……本当か?」
「わたし、あの人が酔っ払って道で寝てるの見たことあるもん」
男のあの悲痛な声はすべて演技だったのだ。まさかそうとは思わなかったジュリアは、怒りも湧かずただ呆然とする。
「……もちろん、街には本当に食べ物に困るくらい貧しい人もいるけどね」
マーヤはジュリアの様子を見ながら付け足した。
「……ここは、俺がいつもいる世界とは全然違う世界なんだな」
「そうだね。……でも、大丈夫。マーヤが教えてあげるよ、街のこと」
「例えば?」
「うーんと、そーだなぁ……」
ここでマーヤはいきなり、ジュリアの耳に顔を近付ける。
「街では男女が肩を並べて歩く時……男の子が女の子の手をとって歩くものなんだよ?」
その囁くような声色に、心臓が跳ね上がる。
……それはつまり、俺にそうしろと……
困惑しながら、マーヤのほうを見ると。
「なーんてね」
彼女はしてやったり顔でニヤニヤ笑顔を浮かべていた。
「……お前っ」
「あはは、実際にしようと思った? それじゃあデートみたいじゃない!」
「……って、聞こえてたのかよっ……」
つまりからかわれていたのだ。
考えを見透かされたことと、聞かれてないと思っていたいた発言を実は聞かれていたこと。二重の恥ずかしさがジュリアを襲う。
せめてもの反撃に軽くて小突いてやろうと思うのだが、マーヤは軽い足取りでそれをかわす。
それを追おうとしたとき――
ドスッ、という鈍い音と共に前方から歩いて来た人物とぶつかった。
ジュリアにぶつかったの人物は黒い外套にフードをすっぽり被っていた。いろんな人間が行き交う市場であったしそうは目立たなかったが、年齢性別が分からず少し怪しい雰囲気ではある。
「……あの、申し訳ない……」
「……くすっ」
ジュリアの謝罪にその者が返したのは短い笑い声。その声から推測するに、どうやら女らしい。
その者はそれ以上何も言わず立ち去っていった。
……なんなんだ?
内心首を傾げながら周りを見回して――
「……あれ?」
マーヤがいないことに気付いた。
――結局ジュリアはマーヤを見つけることが出来なかった。
彼女の姿を求め辺りをさ迷い歩くも見つけられず、途方に暮れたジュリアは一人城に帰ることを選んだ。
裏門の門番にはマーヤとははぐれたことを正直に告げ、そのまま人目を避けて自室に帰って来たのだった。
……マーヤは大丈夫、だよな。
誰にもばれずに帰ることが出来て安堵すると同時に、一抹の不安が残る。
あれだけ人がいるんだから一度はぐれたら見つけられないのは当然だし、マーヤは自分より街を熟知していることも理解はしていた。だがやはり、心配は消えない。
かといって一度城に戻ってしまった自分に、出来ることはない。
そんなふうに考えていた時だった。
扉を叩く音がする。マーヤが帰ってきたのだ、とジュリアは思わず顔を上げたのだが――
「おーい、入るぞー」
聞こえてきたのはマーヤの声とは全く違う、男の声だった。
ジュリアの返事を待たずして、その者は部屋に入って来た。
「なんだ、ビッキーか……」
入って来たのは一人の使用人。
彼は色の抜けた金髪に人懐こい顔立ちをしており、黒を基調とした使用人服を着ている。
「なんだとは、なんだよ。あんまりな言い草じゃねぇか」
彼はジュリアにとって数少ない身の上を理解している友人だ。年も近くマーヤ以外では唯一気兼ねなく話しが出来る間柄で、彼もジュリアの身分を気にせずフランクに話しかけてくる。
「……なんでそんな服を着てるんだ?」
そう言われ、ジュリアはやっと自分が今平民の服を着ていることを思い出した。
「いや、これは別に深い意味はなくて……それよりなんの用だよ?」
「用っていうか……そういえば、ミルシーは見なかったか? さっきから姿が見えなくて、あのクロードとかいう従者も探してたんだが……てっきりお前と一緒にいるとばかり」
「それは知らないな」
「そうなのか? どこ行ったんだろう、心配だなぁ……」
どうしてビッキーがミルシーのことを心配するのが、ジュリアは少し引っ掛かったが、今は特に何も言わなかった。
「……それで、わざわざそれを聞きに来たのか」
「違う違う、預かった手紙があってな……」
ごそごそとポケットをビッキーは漁り取り出したのは、一枚の紙切れ。
黄ばんだ紙を四つ折りにしただけの、手紙というにはあまりにも粗末なものだった。
「ラブレターか? お前よくもらうし……」
確かにジュリアは、何故か男からも女からも恋文と言えるような内容の手紙を度々受け取る。だが、その度に返答に困らされるので、ビッキーの言葉には思わず眉根を寄せた。
「こんなラブレターはもらったことない。預かったって誰からだ?」
「俺も詳しくは知らないんだが、街の人間らしい。門番がジュリアに、って言われて渡されたはいいが、どうしていいか分からずに迷ってたところに俺が通りかかったってワケだ。
まぁとりあえず読めよ。俺は見てないからなんとも言えないが、差出人の名前くらいは書いてあんだろ」
そう手紙を手渡され、ジュリアは言われるまま、手紙を読む。
――そこに、荒々しい文字で書き連ねられた言葉に、ジュリアは思わず言葉を失った。
『ジュリア王女へ。
城下の見物、楽しまれたことと思います。しかし、大切なものをお忘れになってはいませんか?
あなたの妹君の身柄を預かりました。
無事に帰して欲しくば、このことは誰にも話さず、下記の時間、場所に一人でいらして下さい――』
一瞬思考が止まり、次に浮かんだのは『誘拐』の二文字。
……嘘、じゃないよな。
……どうしてミルシーが……?
先程のビッキーの言葉が思い起こされる。
ミルシーの姿が見えないのだという。
まさか――
……自分を追って街に出て、そこで――
「どうしたんだ? 目を白黒させて。そんなに衝撃的なラブレターだったのか?」
本当に内容を見ていないらしいビッキーの口調は軽い。
「いや、その……ミルシーが……」
誘拐された、と言おうとしてジュリアは言葉を喉に詰まらせた。
このことは誰にも話すな、と書かれた手紙の一部が脳裏をよぎる。
……話したら、ミルシーの身に危険が……。
……いや、一人でどうにか出来ることじゃあないし。
……でも――
いきなり扉が勢いよく開かれた。
「お姉様、こちらにいらしたのですね!」
明るい声に輝く笑顔、揺れる二つぐくりの髪。
そこにはジュリアの妹、ミルシーの姿が確かにあった。
「私、ずっとお姉様の姿が見つからず、いろんなところを探してたんです! 見つけられて良かったですわ」
「……え?」
ジュリアはしっかりと手紙の文面を見た後、再びミルシーの顔を凝視する。何を勘違いしたのかミルシーは頬を紅潮させたが、ジュリアはそれには気を留めず呟いた。
「……一体、どうなってるんだ?」
「いやぁーミルシー、心配したんだぞ! お前可愛いから誘拐事件にでも巻き込まれたのかもって……」
ビッキーは眉尻を下げ、ミルシーの肩に手を置こうとする。ミルシーはそれを自然に避けると、冷たく言い放つ。
「何を馬鹿なことを……。それに貴方にそんなに気安く話しかけられる筋合いはありませんわ。用が済んだなら、どうぞ」
まるでジュリアと二人きりにしろとでも言うように、扉を開いてビッキーを追い出した。
「ジュリアお姉様……どうかいたしましたか?」
手紙を持ったまま固まるジュリアに、ミルシーは心配そうな顔をする。
「ええっと……少し聞きたいのですが……ミルシーは城下には行きましたか?」
ミルシーはキョトンとした表情で小首をかしげる。
「……城下? お姉様がいらっしゃらないので城中を探してましたが、さすがにお城の外までは……? ……どうかされたんですか?」
脅迫文の文面を思い出しながらジュリアは考える。
……敵は自分達が城下街に行ったことを知ってるんだよな。
しかし、『大切なものを忘れる』という言葉がどうも納得出来ない。そもそもミルシーは城の外に出ていないのだから。
また誘拐する前に脅迫文を出した、というのも考えられない。
……というか敵はミルシーの顔はもちろん、自分に妹がいるのも知らないはずじゃあ……。
「……まさか……人違い……とか?」
そうなると、思い当たるのはただ一人。
「マーヤ……!」
その頃マーヤは。
……一体どうなってるんだろう。
今の自身の状態を顧みて、そう思っていた。
彼女が今いるのは、長らく人の手が加えられた気配のない廃墟。屋根の一部が崩れ、床には土埃が溜まっている。あまり長居したいと思う場所ではない。
しかしマーヤはそこにいた。
腕には幾重にも縄が巻かれ更に体は柱に縛りつけられて、身動きとれない状態になっているからだ。
一体どうなっているのか。
話は少し前に遡る。
ふとしたきっかけでジュリアとはぐれたマーヤ。
「お嬢さん……」
そう呼ばれたかと思うと、いきなり二人の男に手を掴まれ路地裏に力任せに引きずりこまれた。更に大きな麻袋を被せられ、右も左も分からず引っ張られるままに連れられてきたのが今いるこの場所。
一応身体能力には自信があったマーヤだが、男二人の力には敵わなかった。騎士としての剣の腕もそもそも剣を持たないのでは意味がない。叫んではみたが助けは来ず、すぐに『黙れ』とナイフを突き付けられた。
もう少し警戒していたら、こんなことにもならなかったのかもしれないが、マーヤは油断しきっていた。夜間ならともかく、昼間から街中で事件に巻き込まれはしないだろう、と。しかしその結果がこれだ。
マーヤは自分を誘拐した男のほうを見る。
背の低い、三十代くらいの小男だ。灰色の服に、右手にナイフ。時折こちらを見ては口元を吊り上げ、欠けた歯を覗かせる。
もう一人の男は先程から姿が見えない。
どうやら体が目的で連れ込んだのではないらしい。
では、目的はなんなのか? 男は話そうとしない。
……聞いてみようかなぁ。
そう考えていたとき、もう一人の男が戻ってきた。
長身で、風が吹けば折れそうなくらい痩せている吊り目の男だ。
「アニキ! 脅迫文、届けてきたッス!」
「よくやった、弟よ!」
兄と呼ばれた小男は、声を張り上げ痩身の弟を褒める。
……脅迫文?
……一体誰に……?
マーヤには家族がいない。だから、そんなものを届けるべき相手もいない。
恐る恐る尋ねる。
「あの……」
その前に、痩身の弟が喋りだした。
「しかしこの女、本当に『王女』なんなんッスか?」
…………。
……え?
「ああ。間違いねぇ。お前も見ただろ? こいつがジュリア王女と仲良く歩いているのを。確かにジュリア王女の妹だよ」
……なにそれ。
……勘違い?
それなら、無事に帰してもらえるんかもしれない。そんな期待が沸き上がる。
「あの……それ、勘違、」
「しかしアニキ、この女、王族というには顔立ちに品がないというか、雰囲気がそれらしくないというか……もしかして、人違いじゃあないッスかね」
「そりゃお前、王族の血を引くとはいえ、隠し子だ。普通の王族とは暮らしぶりも違うだろう。それが表に出てるのさ」
小男は得意げに言う。
「なるほどー」
「だがもし本当に人違いってんなら、生かしちゃおけねぇ。顔を見られてるからな」
……それは……。
マーヤの顔から血の気が引いていく。
二人の男の顔が、マーヤのほうを見た。
「お前、ジュリア王女の妹……だよな?」
「……もちろん……ですわ!」
マーヤには不自然な笑顔で、ぎこちない言葉を吐き出すことしか出来なかった。
ぎこちなさには気に留めず、小男が笑い声をあげる。
「はっはっ! これでジュリア王女は必ずやコイツを助けに来るだろうさ!」
「これでオレ達もアイツから大金を頂戴できるってわけッスね!」
既に何もかも上手くいったつもりで笑いあう男。
滲み出る冷や汗も隠せず、マーヤは心の中で呟いた。
……もしかして大変なことになってるんじゃあ……。