【epilogue 一通の手紙】
グリーデントの王城の中庭を優しい日差しが包み込む。時折撫でるような風が吹き、花を揺らした。
穏やかに時間が流れる昼下がり、ジュリアとマーヤはいつも通り茶を啜っていた。
テーブルに置かれた菓子は、エミリアが作ったもの。美味しそうに色付いた焼菓子だ。自分の分を食べたマーヤは、ジュリアの菓子にも手を伸ばした。
「こら」
伸ばされたマーヤの手を軽く叩いたジュリア。叩かれたマーヤは口を尖らせた。
「いいじゃん別に」
「駄目だ。俺だって食べたい」
「いっぱい食べて怪我を治すの! ……だからいいでしょ」
「だーめーだ。お前、ここ一ヶ月そればっかじゃないか」
一ヶ月。例の事件から既にそれだけの時間が経ち――また日常が戻ってきていた。
二人とも傷はほぼ癒えていた。もちろん、跡までは消えなかったが。
あれ以来、ジュリアは男の装いはしていない。マーヤにはそれが、彼なりに未熟な自分を受け入れようとしているように思えた。
「そんなに食べると太るぞ。甘いものは特に太りやすいんだぞ?」
「じゃあ甘いもの食べた分、辛いもの食べるよ。それで帳消しだよ」
マーヤはもう一度菓子のほうに手を伸ばす。
「どんな発想だ!」
菓子を持ち上げてジュリアは、菓子をとろうとするマーヤを阻止する。
「ジュリアは命の恩人に対する思いやりが欠けてるよ!」
「今、その話を出すか? 普通。菓子一つでどこまで本気なんだ」
「お菓子を笑う者はお菓子に泣くよ!」
「お菓子に泣くって……どんなだよ」
「今夜のジュリアの夢に、怖い怖いお菓子のお化けが出てきます」
お菓子のお化け――ジュリアは少し想像してみた。
「怖くなさそうだな……」
「ええ!」
「というか夢見が悪くて泣くほど子供じゃない」
繰り返される何気ない会話。取り戻すことの出来た、日常。
平穏に身を浸しながら、ジュリアは自然に呟いていた。
「平和だな……」
「……そだね」
相槌を打つマーヤには、そういうジュリアの横顔が前より大人びて見えた。
《拝啓、エヴァリーヌ様
おげんきですか。わたしはげんきです。
わたしのまわりのみんなもげんきです。けがも治って、元の生活に戻りました。
でも、少しだけ変化があったんです。
ロエルさんとエミリアさんの距離が少しちぢんだ気がします。
そんな二人のことが、ジュリアは少し気にいらないみたいで、またちょっかいだしたりしてます。それはいつもどおりです。
ジュリアもあれから少しだけだけど変化があったと思います。
落ち着きがあるっていうか、大人になったっていうか。表面上は、少しだけど確かに変化があったんです。
あと、ミルシーとクロードは城を出ていきました。
追い出されたわけでも、家出でも、ジュリアに愛想尽かしたんでもないです。
本当の王女となるべき時期が来るまで、国中を旅して見てまわるんだっていってました。
あ、彼女から伝言があります。
『フィーネによろしく』だそうです。
ミルシーはフィーネという人に、一生消えない傷を負わされたらしいですが、うらんではいないと思います。多分。
敵として敬意をもってるんだと思います。彼女はそういう人です。
そちらはどうですか。
エヴァリーヌ様はげんきですか。シャムリーはエヴァリーヌ様がいればいつだってげんきだと思います。
昔からそうでした。シャムリーはエヴァリーヌ様のためにいつもいっしょうけんめいだから。エヴァリーヌ様のためならいつもがんばれるんです。
ごめんなさい。エヴァリーヌ様が一番よく知ってることでしたね。今のわたしは、そうであることをよく知ってます。
昔のわたしは知らなかったから、エヴァリーヌ様のことを傷つけました。
この前も謝ったけどもう一度、ちゃんと謝ります。
ごめんなさい。
だから、仲直りしてほしいです。
こういうふうに言うのはあつかましいかもしれないけど、わたしはあつかましい人間です。だから言います。
こんどあった時、昔みたいに楽しくおしゃべりできたら嬉しいです。》
エヴァリーヌの手にあるのは、一人の少女騎士からの手紙。
普段文字を書く機会の少ない彼女の文はお世辞にも上手いとは言い難く、字も下手くそで読みづらい。ところどころ整った字体の文字で、訂正や付け足しがなされていた。
訂正をしたのが誰かなど、考える間でもない。一生懸命手紙を綴る彼女と、それを見ていた彼が口を出す様子が目に浮かんだ。
彼が代筆するという方法もあっただろうが、彼女はそれをしなかった。きっと彼女なりの考えあってのことだろう。
そんなことを考えている内に――エヴァリーヌは自分の口元が自然に緩んでいることに気付いた。
「何か良いことが書いてありましたか? エヴァリーヌ王女」
そう言ったのはフィーネ。彼女はエヴァリーヌの前にティーカップを置いた。
フィーネは、ああ、と自分の言ったことに気づき、改めた。
「失礼しました。『女王陛下』」
事件の直後、エヴァリーヌの父――今となっては前王――はいきなり退位することになる。あの逃走劇の後再び謁見の間に連れ戻された彼女は、そのことを、今回の件に関してエヴァリーヌの罪は不問であることと共に伝えられた。
あれ程驚いたことは今までない。
既に自分の身をあきらめていた彼女にとっては、また祖国の土を踏めるということは、喜ぶ余裕などなくただただ驚きだった。
更に、帰国した彼女に待っていたのは王位の継承。年齢や性別を理由に彼女の即位に反対する者もいたが――多くの人々が若い女王の誕生を喜んだ。
対するエヴァリーヌの心中は複雑だった。
父親の命令とはいえ、自分は人を殺そうとした罪人。そんな自分は、女王として人々の信頼を集める資格などあるのだろうか。
グリーデント王国は彼女の即位に何も言わなかった。恩を売った彼女が王になれば今後の国交が有利になると考えたのかもしれない。
しかし、あまり迷っている時間はなかった。
即位するまでの前準備がなかったこともあり、女王になってからの日々は多忙を極めた。
そんな日々の中、彼女は考える。
――今の自分に出来るのは、一刻も早く、民を導くことの出来る真の女王になること。
そして今日まで至る。
「いえ……本当に、礼儀知らずな子だと、思って」
「マーヤさん、ですね」
手紙の差出人を知るフィーネの言葉に、エヴァリーヌは頷く。
「一国の女王相手に、仲直り、なんて」
「くすくす。嬉しそうですね」
「……そう?」
「ええ。またいつかゆっくりお話でも出来るといいですね」
「そうね……」
エヴァリーヌはフィーネの顔をのぞき見た。
顔の半分を覆う不格好な眼帯。
片目を失い、人が変わってしまった彼女。それは、間違いなく自分が犯した罪だ。
フィーネ自身、そんなことを気にしないかのように振る舞うため、エヴァリーヌもそれにあわせていたが、胸の奥の罪悪感は彼女の顔をみるたび疼く。
「くすくす」
エヴァリーヌの視線に気付いたフィーネは、またあの独特の笑い方をした。
「前もって言っておきますが、私はお二人のことを決して許しませんよ」
それを聞いた瞬間、エヴァリーヌの表情が暗いものになった。
その言葉、覚悟していなかった訳ではない。だが、面と向かって言われると、罪悪感が肩にのしかかる。そんな彼女を見たフィーネは、言い直す。
「申し訳ありませんでした、『許さない』というのは語弊がありますね。正確には、『なかったことにはしない』です。私の左目に刻まれたエヴァリーヌ様とシャムリー様の罪。
その償いに、この先も、私の右目に焼き付けさせて下さい。これからも続く、お二人の優しく歪んだ恋物語を――
それがお二人の償い。そして私の償いです」
「フィーネ……」
「つまり、お二人を見守っていたいんです。ちなみに……今後はキス以上のことをして頂ければ、こちらとしては楽しいです。くすくす」
その瞬間、エヴァリーヌの顔が目で見て分かるほど赤くなる。
「なっ……な……、何を……! それに、『今後は』って……なんでっ……そのことを……!」
思い出されるのは、一ヶ月前、雨の中の出来事。
「くすくす。誰から聞いたは言えませんねぇ。彼女との約束です」
「彼女……マーヤね! そんなことわざわざいうのはあの子くらいしかいないもの!」
「くすくすくすくす」
やはりフィーネは、笑ってごまかす。
「……どうかされましたか?」
その時、シャムリーが部屋に入って来た。
一ヶ月前に負った傷も、すっかり塞がり、元気な顔を見せている。
「……なんでもないわ」
赤くなった頬を隠すように、エヴァリーヌは俯く。そんな彼女にシャムリーは、不思議そうな顔をする。
「くすくす、本当に楽しい方達ですね」
「フィーネ!」
「では、私はここで失礼します」
言いたいことだけ言うと、彼女は部屋を出ていった。
少し疲労感を感じながら、ふとさっきの彼女とのやり取りを思い出す。
『できればキス以上のことを――』
今ここには、彼と自分以外いない。
「……!!」
いきなり心拍数が上がった。
……落ち着きなさい! 私!
……この程度で動揺するなんて!
「どうかされましたか? まさか体調を崩されたのでは……? ここ数日特にお忙しかったですし……」
「なんでもないわ! 心配しないで」
「そうですか……」
まだ心配そうなシャムリー。彼とはしばらく目をあわせそうにない。
「そういえば……まだちゃんと聞いてなかったわね」
何とか話を変えようと、エヴァリーヌは言う。
「……なんで貴方が今日まで私の元を離れて行かなかったか」
ずっと確かめたかったことだった。
……今更こんな質問をして、私はどんな答えを期待してるんだろう。
昔の恋心を忘れられなかったから?
騎士として忠誠を誓ったから?
私の心を全て分かっていたから?
ずっと一緒だと約束したから?
それとも。
「罵れることに快楽を見出だしてたというなら……私はどうしたらいいかわからないわ」
自然にそんなことを口が言っていたので、エヴァリーヌは内心激しく後悔した。
……自分はなんて可愛くないことを言ったのだろう。
今まで酷い扱いをしていた分、優しくしたいのに。
長年拒絶ばかりしていたエヴァリーヌには、そんな簡単なことが難しい。普段なら貴族達に愛想を振り撒くことなんて訳無いのに。
「ごめんなさい。そういうことが言いたいんじゃなくて……」
「いいですよ。分かってます。俺がエヴァリーヌ様から離れられなかったのは、ただ怖かったからです。俺がエヴァリーヌ様を離れたら、代わりの誰かが貴女を護るでしょう。それが堪らなく嫌で、怖かった。
実のところ、エヴァリーヌ様のお気持ちが分からなくなったことも、幼い日の誓いや約束を忘れそうになったこともあります。
でも、想像できなかった。したくなかったんです。自分以外の誰かがエヴァリーヌ様を護るのを。エヴァリーヌ様を護るのは自分でありたかった……。そんな理由です。……軽蔑しましたか?」
「いいえ。 ……ありがとう」
そう顔を少し綻ばせる。小さな声だったが、確かにシャムリーの耳に届いた。
「そう言えば、俺もまだきちんと言ってませんでした」
改まった口調でシャムリーは言った。
「愛してます」
「ぅ……」
不意打ちだった。卑怯だ、と思えるほど。
頬がこの上なく熱い。
「……ずるいわ。貴方はここ最近で、ずいぶん意地が悪くなった」
「エヴァリーヌ様は今も昔も変わらず、……愛らしいです」
控えめな口調で、彼の頬は少し赤かった。
「か、からかってるの!?」
「まさか! そんなこと……」
「だって……」
幸せな時間。でも身分が違いすきる二人が結ばれることはない。
幼いエヴァリーヌはそれが悲しいことだと思っていた。
だが、違う。
例えば結ばれなくとも、『愛』は確かにここにあるのだから。
それは幸せなこと。
「シャム」
「なんですか? エヴァリーヌ様」
「私のことは……『エヴァ様』と呼びなさい」
そこは、『冷たい雨と機械の王国』と言われる国。
淀んだ雨雲が空を覆うこの国だったが、そのことを絶望する者はこの国にはいない。
彼らは知っているのだ。
雨はいつか必ず止み、雲の隙間からは日が射す。
その光がどれだけ優しく大地を包むのかを――
雨が降り止んだグレイ・ケイシュ王国は、優しい光に満ちていた。
『プリンセス・ジャック』 完
なんとか完結することが出来ました。
改めて申しますと、この小説は2010年に完結した同名作品の改訂版になっています。
随分長い時間がかかってしまいました。しかし、なんとか完結することができました。
これもよんで下さった皆様のお陰です。
ここまで呼んでくださった方、本当にありがとうございました!
今後も向上心をもって、書きたいものを書いていきたいと思います。よければお付き合いください!