【グレイ・ケイシュにて】
エヴァリーヌ達が出ていった謁見室は騒然としていた。ルーカスは慌てて他の騎士に指示をだしに行く。
ロエルの母、アミーローズは状況が飲み込めず、困ったように辺りを見回している。ジュリアの母、レイリンは何も言わず腕をくんでいた。
「父様」
ジュリアは、玉座に腰掛けたままの父のほうを見た。
「……何かな」
「エヴァリーヌ王女のことで聞きたいことがあります。今回の事件……本当に彼女が首謀者なんですか?」
「ほう。何故そう思う?」
ラランドットはゆったりと腰掛けながら、問うた。
「私はエヴァリーヌ王女は聡明な王女だと思います。それにしては、計画が杜撰すぎます。彼女ならもっと賢い方法をとる気がしてなりません」
ラランドットは口元を緩めた。
「……ジュリア、お前の言うことは正しい。グレイ・ケイシュの騎士に直接指示を出したのは、間違いなくエヴァリーヌ王女だ。だが、彼女にそうさせた人物がいる」
「それは、一体……!?」
「質問するだけではなく、考えるんだ、ジュリア。考えれば分かる」
ラランドットの口調は、語りかけるように優しかった。
「……」
答えを見つけられない彼に、ラランドットは言う。
「ところでジュリア。事件から今日までの五日間、私が何をしていたと思う?」
「……わかりません」
「使者を出して、グレイ・ケイシュの王に、この度の一件を伝えた。なんて返事が返ってきたと思う?」
『この事件は、エヴァリーヌの独断で起こされたものだ。我々は全く関与していない。勝手な願いだとは分かっているが、国家規模での制裁を下すことは、止めてほしい。我々は両国の友好関係を望んでいる。
この度の件を見逃して下さるなら、エヴァリーヌはどうしても構わない』
グレイ・ケイシュ国王は、国を守るために娘を差し出したのだ。つまり、娘を見捨てた。
そこまで考えて、ジュリアは気づく。
王女であるエヴァリーヌに指示を出せる人間など、限られているのだ。
だとすると――
「さすがにこのことは彼女には伝えられなかった。エヴァリーヌ王女にとってあまりに残酷な言葉だろう。しかし、彼女のことだ。勘付いてはいただろうな。父が自分をどう思っていたか」
「どうするんですか!?」
「……既に手は打ってある」
ラランドットはニヤリと笑った。
グレイ・ケイシュ王国、王城の一室。そこで密談は執り行われていた。
中央の椅子に腰掛ける白髪混じりの初老の男は、この国を統べる王。
向かい合う金髪の男は、グリーデント王国の使者だ。
「エヴァリーヌの件なら先日言った通りだ。どうか、寛大な処置を――」
「……陛下は何か勘違いなさっているようです」
グリーデントの使者は静かに声を放った。
「今回の事件は両国の関係を揺るがすもの」
「だが、グリーデント王国側の被害は少なかった! 見逃す代償として、エヴァリーヌの命だけでは足りぬということはないだろう!」
彼の拳が、机を震わせた。壮年の王の気迫は、見る人を圧倒するものがあった。だが、使者は顔色ひとつ変えず言う。
「グリーデント王国は彼女の命など求めていない。我々にとってなんの利益もありません。事件が公になっていない今、彼女の死を望む者はいないのです。我々が望むのは――グレイ・ケイシュ王、あなたの退位です」
グレイ・ケイシュの王は目を見張った。
「な、なにを言って……」
彼は戸惑いから、声を震わせていた。使者は淡泊な調子で続けた。
「喜ばれてはどうです? 自分の地位一つで、娘の命を救うことが出来るのです。グレイ・ケイシュの人々も、強く反対はしないでしょう。貴殿より貴殿のお子様達のほうが王に相応しいと考える者も少なからずいると聞きます」
悔しいそうに睨みつける彼に、彼は追い撃ちをかける。
「もしもこちらの要求をのんで頂けなければどうなるかは、お分かりですね? この度のことが国中……いや、大陸中に知れ渡るでしょう。もちろん、『真実』を明かにした上で。結果、戦争も避けられないかもしれません」
「くっ……」
唇を噛むことしか出来ない。使者は自分の役割は終わったと思った。
「……では私はここで失礼します」
頭を下げて、王に背を向ける。
「……待て……お前か……お前が謀ったのか……」
彼は使者のほうを、睨みつける。
「ビッキー・R・クラッキー!」
ビッキー・R・クラッキー。グリーデント王国で使用人を勤めていた男だ。
彼はくるりと後ろを向くと、にっ、と口の端を吊り上げた。
「言い掛かりだなぁ、国王陛下! いや、もうすぐ国王じゃあ無くなるのか」
先程までとは打って変わって、国王相手とは思えないほど軽い口調だった。
「黙れ……! お前は嘘をついた!」
「それこそ言い掛かりだな! 俺は嘘も隠し事もしていない。この名にかけて誓おう」
「何を言う! お前の情報には不備があった! その結果、グレイ・ケイシュ軍は壊滅的な被害を受けたのだ!」
「俺はあんたの求めた情報をちゃんと渡したよ。王族、騎士団、その他国軍の関係者――もっとも使用人の情報までは流してないがな。お前はそこまでは要求しなかった」
グレイ・ケイシュの王は知らない。フィーネがスープに混入した毒に気がつき、ロエル救出に多大な貢献をした少女を。
王は歯がゆそうにビッキーを睨みつけた。口元だけで笑うビッキーを見て、彼はいっそう怒りが湧き上がる。
「最初から、こうなることが分かっていたのか!? まさかラランドットとも繋がって……」
「繋がってるけど何か?」
さらりとビッキーは認めた。驚嘆する王を前に、ビッキーは悪びれもせず言う。
「裏切り、とは言うなよ? グレイ・ケイシュは俺を通じてグリーデントの情報を得る。代償にお前は自国の情報を売る。俺の仕事は情報の仲介。あんたらの密偵じゃない」
つまり、ビッキーはグレイ・ケイシュにグリーデント王国の情報を渡した。その情報は更にエヴァリーヌへと伝えられた訳だ。
そして、グリーデントのラランドットにグレイ・ケイシュの企みを伝えたのだ。
「お前の目的はなんだ、ビッキー!」
「もちろん、大陸の平和、人々の生活の安寧だ。そしてラランドット王もそれを望んでる。そのためはお前は邪魔だった。お前は自国の発展の為じゃなく、己の野心のためにグリーデントを狙ってる。大陸を戦火の渦に巻き込もうとしてる。結果としてこの度の件、概ねラランドットの思惑通りに進んだという訳だ」
グレイ・ケイシュが事件を起こそうとしていることをしったラランドット。だが、彼は敢えて事件を起こさせたのだ。それを利用して、グレイ・ケイシュの王を王位から退けさせるため。
「完璧な計画だったのになあ!? 上手くいけば、隣国の王族を殺せる。お前は王族を失ったグリーデントを混乱につけこんで攻めるつもりだった。
失敗しても、エヴァリーヌを追い出せる。エヴァリーヌは優秀な王女らしいな。今の王より彼女のほうが王に相応しいとすら、言われてるくらい。
にしても、実の娘に随分冷酷な仕打ちじゃねぇか」
爪が食い込むほど拳を握り、納得出来ない様子のグレイ・ケイシュ王。そんな彼を嘲るような、憐れむような目で見ながら、彼は部屋を出ていく。
「ま、俺から言えるのは一つ。……あきらめな。お前はその程度の器だったってことさ」
ビッキーの最後の一言に彼は、力無く椅子に倒れこんだ。
部屋を出たビッキーは、欠伸をしながら伸びをした。
「さて、グリーデント王国に帰るかなっと……」
ふと、さっき彼に言ったことを思い出す。
『俺は嘘も隠し事もしていない。この名にかけて誓おう』
「あ、そういやあったな。隠し事」
ビッキーはグレイ・ケイシュに様々な情報を流した。騎士団の団員個人の能力や、ジュリアの性別に至るまで。だが、彼が隣国に教えなかったことが一つ。
「ミルシーのことは言わなかったんだよな。やっぱり心配だし。どうしよう、俺自分の名前かけて言っちゃったよ。隠し事してないって。
まあ、ミルシーの為なら名前を失うくらいどうってことないか……」
一人呟き納得すると、ビッキーは灰色の城を後にした。
そして城下街を歩く。
子供の手をひく母親。活気のある市場。人々の笑い声。
いつも通りの町並みを見て、ビッキーは嬉しくなった。
「今日も平和だな」
それを自分のおかげと言うほど、彼も傲慢ではなかったが。