episode5 騎士の剣と少女の想い
「大変です……!」
またもやクロードが慌てた表情で、ルーカスに駆けよる。
騎士達や、エミリアを失い混乱していた使用人に指示を出していたルーカスは、一度それをやめた。
「またか……。今度はなんだ?」
事態は深刻だと理解しながらも、ルーカスは飽きれ顔になる。三回目ともなれば、溜息の一つもつきたくなった。
「ジュリア様、ミルシーちゃんだけじゃなくて……マーヤさんも……」
「なんだ、そんなことか」
クロードの焦りとは裏腹に、ルーカスの言葉はそっけない。
「そんなことって……心配じゃないんですかっ!?」
「些細なことだ」
「そんな……」
「俺は騎士団長だから団長としての責任はとるが、団員の行動にまで責任はとらん。とってられるか」
有無を寄せつけないほど、きっぱりとルーカスは言いきった。ここまで清々しいほどきっぱりと言い切ると、ある意味での誇りすら感じられる。
「でも、エミリアさんもいなくなってしまって……大丈夫なんですか? 使用人も心配してます」
「そちらはもっと心配いらないな。クロード、どうかしたか?」
思いつめるよう、地を見つめるクロードの顔を、ルーカスは覗き込む。彼は唇を噛み、何か思い詰めた様子だ。
「……いえ。失礼します」
クロードは首を横にふり、その場を立ち去る。
駆け出した彼の背中を見ながら、ルーカスはまた溜息をついた。
「全く、どいつもこいつも……」
「行かなくちゃ……」
大切な人の元へ、行かなければいけない。その一心に駆られ、一人の少年が夜の闇の中を走る。
ジュリア、ミルシー。そしてマーヤが歩いた道を辿る。息はきれ、足が重くなっても彼は走ることをやめなかった。
自分が行ったところで何が出来るか分からない。何をするべきが分からない。ミルシーは望まないかもしれない。いや、自分の存在など意に介さないかもしれない。
そう考えても、彼は走るのを止めなかった。
理由は簡単だ。
あの日、誓ったのだ。
片頬の、傷に懸けて。
クロードがミルシーに思いを馳せていた、その同時刻。ミルシーは危機に瀕していた。
深手を負った訳ではない。追い詰められたのではない。だがミルシーは大きな危機感を感じていた。
もっと単純な理由――体力の差だ。
年齢もあるが、使用する武器の理由もある。短剣と槍。扱うのに力がいるのはどう考えても後者だった。
フィーネが使うのは十字架のような短剣。闇に溶け込むような黒い剣は、時おり月光を反射する。両側に刃はついていない。針のように先端だけが鋭利だ。
それは昔、戦場において重厚な鎧が主流だった頃――鎧と鎧の間から貫き、敵を仕留めるのに使われていた短剣だ。達人であれば、鎧を突き破ることすら可能だったという。
つまり、攻撃力の強い、完全に殺傷を目的とした武器。今、ミルシーの身体にはかすり傷程度しかなかったが、もしフィーネの攻撃が命中すれば、致命傷となる可能性は高い。
それを思ってか、ミルシーは慎重に戦わざるを得なかった。それがまた、戦いを長引かせ、体力の差を顕著にすることとなってしまったのだ。
「くすくす。根性だけは認めてあげましょう。ですが、貴女では無理です。速やかに降参したなら、全身を少しづつ切り刻まれて死んでいく恐怖から解放してあげます」
ミルシーの体力の消費に気づいたフィーネは言った。
「……お兄様やわたくしを狙うことを止める気はないのですね」
「まさか!」
「……なら、戦いをやめるなんて出来るずありませんわ。
そもそも貴女のような者に頭を下げて降参なんて、一生の恥ですわ。お兄様に再び合わせる顔がありませんの!」
そうミルシーは胸を張った。その表情には、確かに王族の誇りがある。
「お兄様……そんなにジュリア王子が大切ですか」
「答えるまでもありませんわ」
迷いないミルシーの言葉を、フィーネは頬を片端を吊り上げ嘲笑う。
「でもね、ジュリア王子にとっての貴女なんて、どうでもいい存在なんですよ! だってそうでしょう? 少しでも大切な存在なら、こんなとこに連れて来たりしますか?
可哀想な貴女は王子の眼中にすらないんです。くすくす」
ミルシーを追い詰める言葉の数々。だが――
「……何をおっしゃってますの?」
あっけらかんとした調子で言った。フィーネはわざとらしく哀れむような表情をする。
「くすっ、現実を見ま……」
「だから。何をおっしゃってますのと、申し上げておりますの。
そんなこと、最初から気付いておりますわ」
フィーネの表情は一変、対するミルシーは余裕の笑みすら浮かべ、言葉を続ける。
「私は誰よりお兄様のことをお慕いしておりますわ。一日中お兄様のことを考えて、ずっとお兄様のことを見ている。そんなわたくしがお兄様の態度や行動からその心中を察せないほどの、愚か者ではありませんわ。
ですが私は、それでも構わない」
その笑顔は――『一途』の一言では済ませられない、何かを孕んでいた。
「例えこの想いが叶わなくとも、お兄様に愛されることがなくとも、お兄様に見捨てられようが、或いは――他の誰かへの愛のために利用されようと。私は全く構わない! 自らの想いに見返りなど求めない!
それが――それが、すなわち、愛ですわ」
フィーネはすぐに言葉を返すことが出来なかった。ただ奥歯を強く噛みしめ、悔しそうとも悲しそうとも取れる様子だ。
顔を合わせたままの沈黙が続いて、やがて、フィーネは振り絞るように言った。
「……そんな一方的な気持ちに何の意味があるんですか? 報われないことは分っていて……他者への愛の踏み台となるのを甘んじて受け入れるのですか?」
「ただ、愛してる。それだけですわ。結果など関係ありません」
「……所詮恋なんて、いつかは終わるものです」
「でも今のこの想いは、決して偽りではありませんわ」
ミルシーは一歩も引かない。それどころか、逆にフィーネの心を追い詰めているようにも見えた。
「愛……想い……生意気いわないで下さい、小娘が」
フィーネはもう一度、剣を構える。
「何か思うところがあるのですか? その言い方、妬んでいるみたいですわね」
「黙りなさい!」
怒りに任せ、フィーネは攻撃を再開する。ミルシーもまた、眼前の敵に意識を集中させた。
ミルシーは軽やかな足どりで攻撃をかわし、反撃に打って出る。
短剣が届かぬ位置まで足を運び、槍で切り付ける。
だがミルシーの槍を、短剣が受け止めた。普通の剣なら、刃こぼれし、剣にとって致命的なダメージを受けただろうが、先端以外刃がついていないフィーネの剣にはその心配はない。
ミルシーは攻撃を止めない。
攻撃は、目の前にいるフィーネを貫くことに移り変わる。
『斬る』から『突く』への変化――だが、フィーネの反応は素早かった。
短剣を持ち上げるようにして、刺突の軌道をずらす。槍は夜の空向けられ、突き上げられた。
詰められた間合い、一時的に封じられた槍。
間違いなく、フィーネにとっての好機だ。
彼女の片手が槍を押さえ、短剣は自由になる。
短剣が殺意を持って煌めく。
フィーネの口が半月を作るのが、ミルシーの目に映った。
……やばい。
本能でそう感じ、フィーネの片手を振り払い、慌ててまた距離をとった。
「くすくす。惜しかったですねぇ」
冷や汗をかくミルシーを嘲る。
「長柄武器の攻撃はよみやすいんですよ。攻撃の種類は突きか斬撃に限られますし、武器が大きい分、次の攻撃が分かる」
「それは違いますわ」
ミルシーの声には既に、動揺はない。
「突くこと、斬ること。確かにそれが槍の基本中の基本ですが……他にも使い方はありますわ」
そして、槍を右脇に構えた。
「何を……」
刹那――
ミルシーは槍を思いっきり――『投げ出した』。
空中に投げ出され槍は大きな放物線を描き、フィーネ目掛けて落ちていく。
「馬鹿な……!」
フィーネは混乱する。ミルシーは自ら武器を捨てたのだ。自暴自棄にでもなったのか。
ミルシーの投擲は的確だった。だが、落下までに時間があるので回避は難しくない。
戸惑いながらも、槍を避けた。
ミルシーの考えを探らんと、顔色を窺おうとしたが――先程までいた場所に、ミルシーはいなかった。
「ええぇ!?」
前後左右を見るも、ミルシーはいない。
フィーネは更に訳が分からなくなり声を上げた。消えてしまったのではないか、という錯覚に陥りそうになった時――
ギシリ
カザガサ
――それは木の軋む音と葉が擦れ合う音。
ハッと振り返ると――ミルシーは、いた。木の枝の上に。
ミルシーは枝を蹴った。
今度はミルシー自身が、フィーネを襲う。
槍と違うのは、ミルシーは放物線ではなく、一直線に進んだということだ。
フィーネは混乱していた。だが完全に、冷静さを失ってはいない。長年武術で培われたフィーネの反射神経は、身体を動かした。
針のような黒い刃がミルシーを迎えうたんとミルシーのほう向けられ、そして。
肉を裂く感覚がフィーネの手に伝わり、血が飛び散った。
……やった!
左手だ。指程の太さの短剣が、ミルシーの左手を貫通した。フィーネの唇が思わず弧を描こうとしたその時。
獲物を狩る獣の笑みを浮かべた、ミルシーと目があった。
左手は短剣が刺さったまま。
つまりは、フィーネの最大の武器は封じられている。
武器を持たないミルシーに出来ることは一つ。
拳をきつく固めると、ありったけの力で、フィーネの顔面に叩きつけた。
ミルシーの会心の一撃は勝負を決めた。
吹き飛ばされたフィーネは、目を閉じたまま動かない。死んではいないが気を失っているようだ。
「……山でいた頃は、ムーアと手合わせする機会が多かったもので……彼女の奇想天外な戦い方に合わせるため、自然に槍術以外もうまくなりましたの。腕っ節にも……少しは……自信が……」
呟くように言いながら、ミルシーは崩れ落ちた。
戦いによる疲労と出血。既に限界は近かった。安心した瞬間、疲れが押し寄せてきたのだ。傷口からは鮮血が溢れ出る。
……このままじゃ、血を失いすぎてしまう――
「ミルシーちゃん!」
自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
目だけでそちらをみれば、見慣れた顔……左右の瞳の色が違い、頬に特徴的な傷をもった少年がいた。
「クロード……」
「な、なんて無茶なことを!」
どこから見ていたのかは分からないが、様子からだいたいの状況を察したらしい。慌てて自分の服を脱いで、それで左手の止血を始める。
「酷い傷……ミルシーちゃん、もっと自分の身体を大事にしてよ」
「……私がどうなろうと、クロードには関係ありませんわ」
「関係なく……」
一瞬、クロードの手と言葉が止まった。
「確かに、ミルシーちゃんからしたら、僕が死ぬほど心配しようがどうしようか、関係ないことかもしれないけど」
「……ごめんなさい」
クロードの口ぶりに、ミルシーはさっきの自分の言動を悔いた。「そんなつもりで言ったんじゃない」とは、言えなかった。ただ、謝ることしか出来ない。
無意識のうちにある、自分の未熟な考え――自分は自分一人で生きている、という傲慢が表れたのだと、反省した。
――実際は、自分一人なんてとんでもない、たくさんの人の支えがあって生きてきたというのに。
「あの女は、言いましたの」
ミルシーはぽつりぽつりと自らの想いを吐き出していく。今、彼に想いを伝えたいと思った。伝えなければいけないと思った。
それが心配をかけたことへの償いにはならないことは分かっていたが、何も言わないのはもっと悪いことだと思ったのだ。
「……私は自分の想いを利用されているだけだと」
一瞬、クロードは手を止めたが、すぐ止血作業を再開する。彼は無言だったが、真剣に彼女の言葉に耳を傾けた。
「私は言い返しましたわ。そんなことは関係ない。私はお兄様を愛しているのだから」
愛している。その言葉に偽りはない。
「でも」
ミルシーは知っている。
「この想いは、決して永遠ではありませんわ……」
ミルシー・グリーデントの恋は、余りにも障害が多過ぎた。
ミルシーが王族でありながら、それを周りに認められる存在ではないということ。腹違いであるとはいえ、兄弟であるということ。
何よりも、愛する兄の想い人は決して自分ではないということ。
自分の狂おしいほどの恋心は本物だ。大好き。愛してる。そんな言葉では足りないほどの、気持ちだ。
だが、その想いが十年、二十年後も続いているだろうか。
「先日、お母様がおっしゃいましたわ。私が十五歳になったら、正式な王族として迎えいれるつもりだ、と。それを聞いて……もちろん、嬉しかった。そして同時に、未来というものが少しずつ形作っていくようになったのです」
いままでの自分なら、疑うことなく言えた。これから先もずって兄への想いを持ち続けることが出来ると。不透明な未来を生きるミルシーにとって、想いそのものこそ未来への希望だった。
だが、未来が確かな輪郭を作り始めて現れたのは、自分の想いは決して叶わないという現実。王族として生きる。それは今よりも自分の行動に責任を持たなければいけないということ。
この恋は終わりが来る。フィーネも言った通りだ。恋なんていつかは終ってしまう。
「それでも想いを断ち切れないのは――ただ、未練がましい気持ちがあるからですわ。
確かにこの想いは本物。
けれども、それを断ち切れないのはひどく中途半端な思いからですの。
恋する気持ちに溺れていたいだけ。夢からさめるのが怖いだけ。拒絶の言葉がないなら――これから先、私を受け入れてくれることがあるかもしれない。そんな幻想のような希望を捨てきれない愚か者が、私ですわ」
フィーネに言った、「愛しているから」の言葉は嘘ではない。
命を賭けて戦ったことには後悔はない。ジュリアへの想いは永遠ではなくても、確かに本物だから。
だが、恋心を持ち続けることも出来ず、決別する勇気もない自分が、悔しい。
いつのまにか、ミルシーの頬を涙が伝っていた。ただの悲しみの涙ではない。どこか暖かみがあった。
クロードはその涙を、指先で拭った。
「想いを捨てきれない気持ちとか……そういう気持ちは、よくわかる」
クロードは慰めるように、笑みを浮かべた。
ミルシーは彼の想いを知っている。
直接聞いたことはないが、長い間彼と行動を共にしてきたのだ。気付いてはいた。
だがミルシーは何もしなかった。
それでも彼は、自分の側にいてくれる。自分を支えてくれる。
「……ありがとう、クロード……」
そして、ごめんなさい。
たくさんの想いを乗り越えて、少女は大人になる。
フィーネ、ミルシーが攻防を繰り返していた、その頃。ジュリアの前に彼女は現れた。
ジュリアはまず我が目を疑い、次に自分の頭を疑い、夢を見ているのではないかと疑い、最後に現実を疑った。
たが、何を疑っても目の前の事実を否定することは出来なかった。
赤服の少女騎士、マーヤ・ガーディールがそこにいた。
「なんでここにっ……!」
「なんでって……エヴァリーヌ様がここに滞在するって聞いてたから、ジュリアもここにいるかなーって」
「ここかなーって、そんな軽い……そうじゃない! なんで怪我してるのに脳天気な顔を晒してプラプラしてるのかってことだ!」
マーヤは、ムッとした顔で返す。
「それ言ったらさ、ジュリアだってなんでここにいるの?」
「質問を質問で返してはぐらかすな!」
「ジュリアが先に答えてよ」
「俺が先に聞いたんだからお前が先だ」
「答えられないの?」
「そうじゃないけど」
「じゃあ答えてよ」
マーヤに迫られ、口をもつれさせながらジュリアは言う。
「それは、」
「わたしの為、なんて言わないよね。わたしはそうして欲しいなんて言ってないし、思ってないもん」
言おうとしていたことを先に言われて、ジュリアは少し言葉を止めた。そして。
「……自分の為、だ」
「じゃあわたしも自分の為。自分が来たいから、ここに来たんだよ」
「な…………、阿保か! 怪我人は怪我人らしく寝てろ!」
「ジュリアだって怪我してるよ」
ジュリア自身、マーヤが登場したことに驚いて忘れていたが、彼の右腕からは赤い血潮が流れ出ている。
「俺が傷を負ったのはここに来てからだ。手負いで敵の前に無鉄砲に飛び込むお前と一緒にするな」
「危なかったくせに」
「そんなことない! 見間違いだ」
「違うもん!」
「いいや、見間違いだね」
「自分の失敗を認めないのは、失敗そのものよりいけないことだよ! 殺されかけて泣いてたくせに」
「そんなことあるか、断じて違う」
突如始まった二人の口論に、シャムリーは思わず攻撃の手を止めていた。命を賭けた戦いの場においてあまりにも緊張感のない会話で、つい集中を切らしてしまったのだ。
そんな彼のほうを向き、マーヤははっきりとした口調で。
「シャムリーやエヴァリーヌ様には……言いたいことがたくさんあるよ。でも……」
剣を構え、宣言する。
「今はそんなこと、どうでもいい。――ジュリアを泣かした人は許さないから!」
「だから泣いてない! 泣いてないから!」
ジュリアは必死に訂正する。マーヤは首だけで振り返り、優しい声と眼差しで言った。
「ホントに泣いちゃいそうだよ」
「…………」
泣きそう。それは事実でもあった。
自分が感情に任せてここに来た。そのせいでマーヤが、そしてミルシーが危険な目にあっている。そう思えば、自責の念から、何か熱いものが込み上げてくる。
「そんな顔しないでよ」
……誰のせいだと思っているんだ。
いや、自分のせい。それは分かっているのだが。
「お姫様の……ううん、王子様の役割は、騎士が戦うのを信じて待ってることなんだよ」
「……お前みたいなヘッコポ、信じてられるか」
ジュリアはマーヤから目をそらしながら言った。こんなときでも素直に心配だと言えない自分がもどかしかった。
「信じてよ。大丈夫、私の剣は『最強』だから」
「はぁ?」
この期に及んで何を。
「この剣はジュリアを守るから、最強。そうだよね、シャムリー」
「……ああ」
マーヤの妄言をシャムリーは静かに肯定した。
「だが、勝つのは俺だ」
そうして、また剣を構えた。
また、闘いは再開された。今度はマーヤとシャムリーの闘い。
シャムリーが扱うのは片手用で片刃の曲刀。一方のマーヤが扱うのは、両刃の大剣だ。
片方はきっちりと騎士服を着込み、もう一方は騎士に似つかわしくない装いをしている。
性別さえ対照的な二人の共通点は――その愚直なまでの忠誠心。
騎士である彼らは、剣を握ることを決してやめないだろう。たとえ、仕えるべき主が何を言おうと。
マーヤが剣を振り上げると、シャムリーは身を引き、マーヤが剣を振り下ろすと同時に反撃にでる。
横一文字に一閃。マーヤは辛くも、シャムリーの剣先を避けた。
二人の闘いは、先程までの――ジュリアとシャムリーの戦いに比べるときわどさは少ないように見える。だが、それは大剣を挟むことによって出来た、物理的距離のためだ。
シャムリーから見れば相手の大剣は、一太刀でも受ければ深手を負うことになるであろう凶器。マーヤからすればシャムリーの剣は、自分の大剣に比べれば遥かに小回りのきく剣だ。
緊迫感はむしろ、高まっている。
ジュリアの目の前で繰り広げられるのは、命の削りあい。
マーヤの背中を、冷や汗が伝っていた。
利き手を失い、消耗しきったジュリアは、闘いに加われない。下手に近づいても、マーヤの邪魔をすることが見えているからだ。
だが、シャムリーに決定的な隙――例えば、警戒なく背中を向けるようなことがあれば、そのときは、利き手が使えなくともシャムリーの身を貫く。そう思い、ジュリアの左手は剣を握った。
やがてジュリアは気づく。
隙が出来るのを待っている暇などない。事態はもっと差し迫っているのだと。
……この勝負、このままいけば確実にマーヤが負ける!
少し考えれば、簡単なことだ。
マーヤは手負いで、ここへ来るまでで多くの体力を消費している。更に、大剣はシャムリーの剣より扱うのに力がいる。加えて、性別の差もある。
「やめろ、マーヤ!」
マーヤは、シャムリーには勝てない。
「もういい……もういいから! 一緒に帰ろう!」
……マーヤが死ぬくらいなら、逃げたほうがましだ。
その一心で、ジュリアは唾を撒き散らしながら叫んだ。
マーヤはこちらに注意を払おうとはしない。闘いの途中だということを考えれば、正しい判断かもしれないが、ジュリアは苛立ちを覚えた。
「ミルシーも連れて帰って……また、出直せばいい!」
マーヤが身を引き、シャムリーとの間に、少し大きな間が出来た。
闘いがほんのひと時、中断される。
「ジュリア……この際だからはっきり、言っとくよ」
彼女はジュリアをちらりとも見ず、背中を向けたまま。
「きゃっかー!」
本当に、はっきりといった。
マーヤの耳には、まだジュリアが何か言っている声が聞こえた。
……私、ジュリアのそういうとこ、嫌いじゃないよ。
……未練がましいとこ。
……何もかも割り切ってるようで、やっぱり諦め切れないとこ。
だが、ジュリアの言葉は聞くつもりは無かった。これは、単純にジュリアを守るための戦いではない。
六年前のことも現在のことも含め、シャムリーとけじめをつけるための戦い。自分のプライドを賭けた戦いなのだ。
そう再確認すると、マーヤは目の前の敵に意識を確認する。
どうすればシャムリーに勝てるか。ジュリアに言われなくとも、このまま戦いが長引けばマーヤが負けることは、分かっている。
だから、考える。
普通に戦って勝てないから、普通でない方法を考えるなければいけない。
考える。考える。
「……わかった」
「勝つ方法が、分かったよ」
ジュリアもシャムリーも、一瞬息を止めた。はったりか。はたまた、ついに頭がおかしくなったのか。それとも、本当に何か思いたったのか。
二人は、次の彼女の言葉を待つ。マーヤは自信ありげな笑みを浮かべた。
「簡単だよ。相手の弱点を突けばいいの」
シャムリーは胸の内で首を捻った。言葉の真意が伝わらない。
そんな彼のことなど気にせず、マーヤは――建物のほう向かって走り出した。
ジュリアを置き去りにして。
「……?」
突然のマーヤの行動に、しばし呆気にとられていたシャムリー。だが、その表情が急に変わった。
彼の頭に浮かんだのは、自分の主の顔。
「……エヴァリーヌ王女!」
血相を変えて、シャムリーはマーヤを追った。
マーヤは正面口から、建物の中に入る。
来客を迎える玄関ホールは、天井や壁、柱に至るまで様々な装飾が施されていた。だが暗闇の中では、それらはほとんど見えず、不気味なまでの静けさがその場を支配している。
そんなホールを横切り、マーヤは正面の横幅の広い階段を駆け上がる。
階段の一番上まで来ると、マーヤは踵を返した。
そして、自分を追ってきたシャムリーの姿を見て、ひとまずは安心する。
……置き去りにしてきたジュリアをシャムリーが襲っちゃったら、そこで全部終わりだもん。
冷静な彼ならきっとそうしていただろう。だが、今の彼の顔には暗闇ごしでも判るほど焦りの色があった。
もちろんそれも計算の内だったが、不安はあったので、とりあえずは安心出来た。
シャムリーは階段を数段登り、階段の上で待ち構えるように立つマーヤに気付いた。
「なんのつもりだ」
シャムリーの表情には、焦りと苛立ちがある。ジュリアに留めを刺そうとしたときよりも、動揺していた。
「……シャムリーはやっぱりエヴァリーヌ様が大切なんだね」
シャムリーは苛立ちを募らせた。
「なんのつもりだと言ったんだ」
「こういうことだ」
マーヤは一呼吸置き、心を落ち着かせる。そして、両手でしっかり大剣を構えた。瞳には、強い意志が爛々と輝いている。
「受け止めて。これがわたしの最強の剣だから。わたしの剣がシャムリーの剣より強いことを……見せてあげる!」
そして――階段を蹴り、飛び降りた。
落下の勢いのまま、加速するマーヤ。シャムリーは身構える。そこで彼女は叫んだ。
「シャムリー! シャムリーは気がついてないかもしれないけど――」
次に続く言葉はシャムリーを一瞬凍らせる。
「私を傷つけたら、エヴァリーヌ様はもっと苦しむことになるよ!」
その一瞬が、勝負の分かれ目だった。
その剣は真っ直ぐシャムリーめがけ、鋭く闇を引き裂く。
シャムリーは反射的に剣で受け止めた。
――剣と剣が触れた時、シャムリーは自分が致命的な判断ミスを気付いた。
マーヤの大剣と、シャムリーの剣。どちらの強度が勝るか、考えるまでもない。
だが動揺したシャムリーは、その当たり前のことを気がつくのが、遅れてしまった。
ほとんど音もたてず、彼の自信の象徴である剣は真っ二つに割れた。それはシャムリーにとって信じ難いことで、驚きのあまり息を忘れた。
砕けた剣の破片が地に落ちる前に、マーヤは次の動きに移る。
大剣を横に振りかぶるようにして、武器を失った彼の横腹に叩きつけた。
その一撃で、全ての戦いの決着がついた。
闇に包まれた部屋で、エヴァリーヌは一人座っていた。
瞼は閉じているが、眠っている訳ではない。思考を巡らせているのだ。扉が開く音がしたので、エヴァリーヌは目を開き、扉のほうを見た。
そこにいたのは、見慣れた顔の女――侍女の一人だ。
言葉もかけずに部屋に入るほど、無礼な人間ではなかったと思うが。だがその疑問はすぐに解決される。
彼女の後ろで小刀を構える、少年を見て。
「も、もうしわけ……ありません」
彼女の顔には、はっきりとした恐怖の表情が浮かんでいる。恐怖の対象は背後の小刀を持った少年か、それとも何も言わず睨みつけるエヴァリーヌか。
おおかた、侍女を脅しつけてここまで案内させたというところだろう。
小刀一本で主を売るとは。だが、エヴァリーヌは怒りは感じなかった。呆れのほうが大きかった。
この部屋には、今入って来た彼ら以外にはエヴァリーヌしかいない。彼女を護る者はおらず、また彼女は自身を護る術は持っていない。
だが、しかし。
「名を名乗りなさい、無礼者」
下手に出るつもりなど全くなかった。少年は慎重に答えた。
「クロード・カルリス……」
「知らないわ」
「私の従者ですわ」
そう言ってクロードの背後から、金の髪の少女が現れる。
左手には、元はクロードの上着だった布が何重にも巻かれており、赤い血が滲み出ているのが見えた。
さすがに疲労は隠せない様子だったが、彼女の瞳は決して光を失ってはいない。強い意志が宿っていた。
「わたしはミルシー・グリーデント。お父様――ラランドット国王が長女で、この国の第一王女ですわ」
「……嘘だわ」
エヴァリーヌがあまりにもはっきりとミルシーの言葉を否定したので、ミルシーは少し怯む。
「私達はある筋から、グリーデント王家のことを調べた。ジュリア王女……いえ、ジュリア王子のこともね。
でも、『ミルシー』なんて名前の王女のことは全く聞き及んでいない。虚言としか思えないわ」
エヴァリーヌの言葉に、クロードは何か言い返そうとした。ミルシーは固く唇を噛み締める。
だがミルシーは何とか口元をほどき、クロードを制しながら、
「わたくしはグリーデント王国の第一王女」
凛とした声を響かせる。
「そのことは他者から認められた地位ではないけれど、私はこの国の王女。私を王女たらしめるのは、王族としての誇り――その精神ですわ」
エヴァリーヌの鋭い眼光がミルシーを射抜き、ミルシーはそれを正面から受け止める。
暫し、沈黙が続き――エヴァリーヌは笑みを浮かべた。
「わかったわ」
エヴァリーヌは立ち上がる。背筋を伸ばし、ミルシーと向かいあう。
「その気高い精神を讃え、貴女をグリーデント王国の王族として対等に扱います。
ミルシー・グリーデント王女。貴女がここにいるということは、フィーネとシャムリーは負けたのね」
「……騎士のほうは分かりませんが……短剣使いの侍女なら私が倒しましたわ。死んではいませんが」
気を失ったフィーネはそのまま放置して、ここまで来た。
フィーネの負けを知り、エヴァリーヌは眉を微かに歪めながら言葉を続ける。
「そう。……では、貴女の要求を聞きましょうか」
「今すぐ……戦いを止めさせて下さいませ! 貴女の国の騎士はきっとまだ……お兄様と戦っていますわ!」
正確にいうなら、この時既に全ての決着はついていたのだが……勿論、ミルシーは知らなかった。
「それは出来ないわ」
「何故ですの? 既に決着はついてますわ! 例え……例え私やジュリアお兄様をここで討とうとも、貴女達が生きてこの国を出ることはありません。貴女達の――グレイ・ケイシュ負けですわ」
エヴァリーヌ達は既に、グリーデント王国王族の暗殺未遂という罪を犯している。許されることはない。
「それは違うわ」
エヴァリーヌは不敵な笑みを浮かべた。
「確かに私はここで滅びる運命かもしれないわね。でも、それはグレイ・ケイシュの敗北ではないわ。駒を取られたなら、こちらも取り返せばいい話よ」
「それはどういう……」
「貴女のお兄さん、今どこにいるのかしら?」
「ロエル……お兄様……」
ミルシーの声が震える。
「ロエル王子の心配は無用だ」
不意に、男の声が響き渡る。
剣を抜いた金髪の騎士が、部屋に入って来た。
「王立騎士団団長、ルーカス・ビッヒム。グレイ・ケイシュ王国王女、エヴァリーヌ・ラリー・ケイシュ様とお見受けする」
ルーカスははっきりとした口調でいった。背後には彼の部下であろう騎士もいる。
「王立騎士団……思ったより動くのが早いわね」
「……既にこの離宮は我等が騎士団によって制圧した。貴女の家臣たちの身柄も確保した。抵抗せずに、王城までご同行願いたい」
「分かった。――行きましょう。決着をつけに」
エヴァリーヌはルーカスに従い、自ら部屋を出ようと歩を進める。
「ちょっと待って下さいまし! ロエルお兄様の心配はいらないとは……どういう意味ですの!」
部屋を出て行こうとする、二人をミルシーは引き止めた。
「彼女が……エミリアが行った。もう心配はいらないでしょう。彼女ほどの戦士はいない」
「エミリア……やはり聞かない名ね」
エヴァリーヌは顔をしかめる。
「では、ジュリアお兄様は!」
「そちらも心配ありません。既に我々騎士団が保護しました。――負傷していましたが、今頃手当てを受けていることでしょう。……マーヤのことを心配してましたが……」
自分の名を、呼ぶ声でマーヤは意識を取り戻した。背中が冷たい。床に直接寝ているためだ。
覚醒しきっていない意識の中、マーヤはここに至るまでの経緯を思いかえす。
……えっと、確かシャムリーを倒した後、疲れ果ててフラッとなって、それで階段から頭から落ちて……。
つまりマーヤは、一日二回も頭を打ったことになる。こんなこともなかなかないな、と緩んだ頭で考えた。
そして自分の名を呼ぶ声のことを思い出し、ゆっくり重い瞼をあける。
今にも泣きそうなジュリアが、そこにはいた。
「じ、じゅりぁ……」
体の節々が痛むのを何とか堪え、マーヤは身を起こす。
その時、上半身が暖かいものに締め付けられた。
ジュリアの顔が顔のすぐ横にあることに気付いて、マーヤは今自分が抱きしめられていることを知る。
「しっ……心配したんだからな……」
振り絞るような声がマーヤの耳に届く。
「ごめんね。……ありがとう」
……私のこと、心配してくれて。
ジュリアはゆっくりと身を剥がした。
気恥ずかしさから、そっぽを向く。
「あの、ジュリア」
少し言いにくそうにマーヤが聞いた。
「……シャムリーは?」
回りを見回すが、シャムリーの姿はない。少し離れたところに、見覚えのある騎士がいた。同じ騎士団に所属している騎士だ。
「後から来た騎士団に傷の手当てを受けてから、城に連れられていった。服の下に薄型の鎧を着込んでたらしいから……致命傷にはなってないみたいだった」
どうやらマーヤは、マーヤが思っていたより長く気を失っていたらしい。見ればジュリアや自分も怪我の手当てを受けていた。
シャムリーが命拾いしたことに安堵しながら、マーヤはずっと思っていたことを言う。
「ジュリア」
「今度はなんだ?」
「……その服、似合ってるよ」
そういう彼女からは、穏やかな微笑みが自然にこぼれていた。
少し開いた扉の隙間から見える東の空は、既に薄明かりに包まれていた。しばらくすれば、太陽が顔を覗かせるだろう。
長かった夜は、間もなく明ける。