【マーヤの記憶】
隣国の騎士の凶行に倒れた少女騎士。
彼女は夢を見る。
それは遠い過去の出来事。愚かで無知だった頃の夢。
それは五年前、彼女がグリーデント王国の王城にやって来る前の事。
ある男の元で剣の修行に励んでいた彼女は、グレイ・ケイシュ王国にやって来ていた。
目的はグレイ・ケイシュ王立騎士団で騎士としての心得を学ぶこと。
だがそれまで寛大な師の元、自由な環境で剣の修行を続けて来た彼女にとって、それは苦難の連続だった。
グレイ・ケイシュ王城の隅――建物と建物の間の、多く人に忘れられた場所。足首ほどまで雑草が茂り、華やかな王城に似合わない場所だった。
そこにいるのは大剣を携えた少女。剣を持っているということから騎士のようにも見える。
しかし騎士にしては、実に風変わりな格好だった。十を越えたぐらいの年齢は勿論変わっていたが、服装もグレイ・ケイシュ王立騎士団指定のものとは、全く違う。腹部が露出した、赤い派手な服だ。城の何処にいようが酷く浮いてしまうだろう。
彼女の名はマーヤ。
マーヤは落ち込んだようにため息を一つつき、建物で切り取られた灰色の空を見上げた。
だが、くすんだ色の空を見ていると更に気分が沈みそうなので、マーヤは空を仰ぐのはやめる。
落ち込んでいる理由は、彼女の奇抜な格好に反し、平凡なものだった。
研修として、騎士団にやって来て一週間足らず。
習慣や言語の違い、厳しい規則、挨拶や言葉遣いに至るまでの事細かな指導――様々なことにマーヤは苦しめられることとなる。
彼女の師がそう口添えしたこともあり、マーヤは性別や年齢、他国の者であることを理由に失敗や不出来が許されることはなかった。
逆にその外見や天真爛漫な性格、他国出身であることを理由に眉をひそめられることもあった。他者の心に敏感な彼女は、他人の自分を見る目に気づき、それに悩まされていたのだ。
彼女が一人気落ちしていると、そこへ一人の少年がやって来た。 シャムリーと言う名前のその少年は、少し距離を空けて壁にもたれた。
「どうしたの? シャムリー……えと、シャムリー……さん?」
マーヤが呼び方に困っていると、シャムリーは言った。
「……好きに呼べばいい」
「それじゃあ、シャムって呼んでいい?」
「それは駄目」
「じゃあシャムリーは、どうしてここに?」
数秒だが間を置いて、シャムリーは答える。
「エヴァリーヌ王女が出ていけとおっしゃったから」
「……そうなんだ」
なぜそんなことを言ったんだろう、とマーヤは思う。マーヤが聞く限りでも、エヴァリーヌがシャムリーに暴言を浴びせたのは、今回だけではない。もっとも、マーヤ自身はあまりエヴァリーヌと認識は無かったのだが。
聞くところによると、シャムリーは五年以上前からエヴァリーヌに仕えているらしい。
五年前といえば彼はせいぜい八歳。グレイ・ケイシュの騎士団にそのように幼い者が所属するのはあまり例の無い話だ。つまり、それだけ彼の腕が確かだということ。
古くからの顔なじみで剣に秀でた彼を、王女は何故拒絶するのか。
しかし、直接本人に聞けるはずもなく、マーヤはただ二人を見ているだけだった。
……話をかえよう。
気まずい雰囲気を和らげようと、マーヤは明るく言った。
「そういえば、シャムリーの剣ってすごいよね」
「お前の前で剣を抜いたことは無かったと思うが」
「……よく分からないけど、誰かがすごい剣だっていってた気がするよ」
いい加減な言葉だが、シャムリーは気にしていない。
「この剣は、父さんが打った剣」
「お父さん……鍛冶屋さんなの?」
シャムリーは頷き、言い切る。
「この剣は、父さんが打った世界中で一番強い剣」
マーヤは首をひねった。
「世界一って……なんで分かるの? 世界中の剣と比べた訳じゃあないのに」
馬鹿にするのではなく、単純に疑問に思ったことを口にしたのだ。シャムリーはそれを確固とした自信を持って応える。
「父さんが信じた。俺が信じた。そして、今日までこの剣は折れていない。――だから、この剣は世界で一番強い」
「……じゃあ私の剣も、世界一の剣になるかな」
マーヤは自分の持つ剣を見る。
シャムリーの剣と比べても、大きく重さもある。師から与えられ、マーヤ自身がこの剣を使うことを決めた。
お前には大きすぎると、あるグレイ・ケイシュの騎士に言われた。実際、今の彼女では十分に使いきれてはいない。
……でも、信じることが出来たら――
少し、明るい気持ちになりかけていたマーヤを、シャムリーは切り捨てるように言った。
「それはきっと無理だ」
「な、なんでぇ!?」
「守るべきものがないから」
思わず、息をのんだ。まさに、シャムリーの言う通りだったからだ。
自分には守りたい家族も、主も、矜持もない。
「シャムリーは、何を守るために騎士になったの?」
「この剣に込められた、父さんの誇りを守るため」
父さん。その単語に少し――本当にほんの少しだけ、胸が痛んだ。
「じゃあわたしは駄目だね。守るものが欲しくって騎士になりたいと思ったんだもん」
マーヤは自嘲気味に言った。
対するシャムリーはやはり表情に乏しく、こたえた。
「確かに駄目だ」
「……はっきりいうね」
返す言葉もなく、少し落ち込む。
「……でも、騎士になった後、守るべきものを得ることもある」
そう言われ、マーヤは彼が自分を勇気づけようとしてることに気づく。無愛想な表情故見た目からは分からないが、彼なりにマーヤを気遣っているのだ。
「ありがとう」
「何もしていない。礼をいう必要なんてない」
「うん。でもシャムリーと話して、またここで――グレイ・ケイシュで頑張ろうって気になったよ」
マーヤは決意する。
自分の剣をいつか最強に出来るように。そのために、自分は今出来る精一杯をするのだ。
それから数日後。白い雲は空の半分を覆い、太陽の光が暖かい日だった。
そんな陽気とは打って変わり、マーヤの気持ちは沈んでいた。
またなにか思い悩んでいる訳ではない。理由は単純――城内で迷子になったのだ。
グレイ・ケイシュ王城は似たような灰色の壁が続いている上に、造りも複雑だ。外部より攻められたときに備え、わざとそう設計されているのだ。まだまだこの城に不慣れなマーヤが迷うのも無理のないことだった。
「お腹……すいた」
意気消沈したマーヤの鼻は、美味しそうな匂いを嗅ぎ付けた。
その後は理性ではなく本能が彼女を動かした。フラフラとした足どりで匂いを辿り、屋外に出る。たどり着いたのは中庭だった。
「ふぁー、この匂いはー……」
「……誰?」
突然、人の声がした。
そこで、マーヤに理性が戻る。
「ごごご、ごめんなさいぃ! 申し訳ありませんでした!」
マーヤは慌てて頭を下げて謝った。城にいるのは、身分の高い人ばかり。フラフラと近づくなど、失礼に値する。
だが。
「私は貴女は誰かと問うたのよ。それにこたえなさい」
強い口調だったが、マーヤが顔を上げると余裕のある優しい表情の少女がいた。以前、遠目で見たことがあっただけだが、その顔には覚えがあった。
「え、エヴァリーヌ王女……あの、ごめんなさ……」
「何度同じことを言わせるつもり?」
「あ、ぅ、ま、マーヤですっ! マーヤ・ガーディール!」
舌をもつれさせながら、やっとの思いで名乗る。
「そう、マーヤ。あなたはこの国の人間ではないのね」
「へ、なんでわかっ……」
そして、マーヤはようやく自分が祖国の言葉で話していることに気が付いた。
「申し訳ございませんでした!」
慌てて、グレイ・ケイシュの言葉に切り替え、改めて頭を下げる。
それにしても――いきなり異国の言葉で話されて、普通に返事をするなんてなんて聡明な王女だろう。ちらりと王女のほうを見ながら、マーヤは思う。
グリーデント王国とグレイ・ケイシュ王国は隣り合って接してはいるものの、それ程交流はない。王族の教養としては当然のものかも知れないが、それでもこんなに自然に会話を成立させるなんて、マーヤは思わず感心していた。
「謝らなくても良いわ。怒ってなんかいないから。でも貴女、一体何者? 貴族の娘にも、使用人にも見えないのだけれど」
そしてエヴァリーヌはマーヤを頭の先からつま先までじっ、と見て、
「……旅芸人か何か?」
彼女の風体ならそう見えても仕方がない。マーヤは慌てて首を横に振る。
「ち、違います! 騎士です! 今はこの国の騎士団でお世話になってます! でも、迷子になって……」
「迷子、なんて。なんとも頼りの無い騎士ね」
「ぅ……」
返す言葉も見つからない。
「でも……貴女、面白そうね」
「おもしろい、ですか?」
「ええ、とても。だって私、貴女みたいな騎士には会ったことないわ。」
今日は先生が急の休みで、昼から時間が空いてしまったの。是非貴女の話が聞きたいのだけれど」
まず、エヴァリーヌはマーヤを座らせ、焼菓子をすすめた。
流石のマーヤも躊躇したが、結局空腹には勝てず、菓子を口に運んだ。
更には、エヴァリーヌが自分の分も食べるようにいうと、それすら食べてしまう。そんなマーヤを彼女は苦笑しながら、どこか楽しそうにみていた。
エヴァリーヌはマーヤにグリーデント王国のことを尋ねる。あまり城から出たことのない王女にとって、異国の話は興味深いらしい。始めはどう話したらよいのやら分からず、もたついていたマーヤも、話が弾むにつれ、エヴァリーヌとの会話が楽しくなってきた。
「毎年王都で収穫祭があるんですよ! 国中の名物の屋台が立ち並ぶんです! いったこと無いんですけど……全部の屋台をまわるのが夢なんです!」
「農業が盛んなグリーデント王国らしい祭ね」
「そうなんです! グリーデント王国の食べ物は美味しいんです。いや、グレイ・ケイシュの食べ物がまずいって言いたいんじゃなくて」
「食べ物の話になると楽しそうね」
「はい! 楽しいです!」
そう言い切るマーヤの天真爛漫な笑顔を見ていると、エヴァリーヌの口元にも自然に笑みが出来た。
「そういえば今の国王の王妃様だけど……」
「アミーローズ様とレイリン様ですよね」
「二人妻がいるっていうのは……少し信じ難いわ。国によって思想が違うのは理解できるけど」
少しだけ、エヴァリーヌの視線が落ちる。
「でも、浮気とかでは無いんですよ? 今の王妃様はどちらか片方じゃ駄目なんです。私の剣の師匠がそう言ってました」
「師匠……? その人、グリーデントの王族に詳しいの?」
「はい! どうしてかはよくわからないけど……顔が広いんです」
「そう。
でもレイリン王妃の話は、もう随分昔の話だけど、この国でもよく話されているわ。取り分け貴族の娘の間ではね。
レイリン王妃は地方の貴族出身だから……お城から王子様が迎えにくるなんて、ロマンチックな立身出世の物語なんでしょうね」
自らも王族であるが故か、エヴァリーヌ自身は特に憧れを感じていないようだ。
「そうなんですか? グリーデント王国では愛と血と涙の物語として語られてるんですが……」
マーヤの言葉に、エヴァリーヌは首を捻る。愛と涙はともかく、貴族の娘と王族の恋物語になぜ血が出てくるのか。
「……所変われば物語も形を変えるのね。
そういえば、貴女は騎士だったわよね。グリーデント王国の王立騎士団は猛者たちの集まりだと聞くわ。かなり厳しいところでしょうね……貴女じゃ通用しないんじゃない?」
「私は変わり者の集まりって聞いて……」
「…………」
言葉を失ったエヴァリーヌ。
「エヴァリーヌ様?」
やがて口元を抑え、笑い始めた。
「くすっ、フフフッ……」
「エヴァリーヌ様、どうかしましたか!? まさかお菓子に変なものが……あ、でも私も食べたし」
「いえ、余りにも自分が知る話とは違うから可笑しくなってしまって! とても面白いわ。王族や貴族は本に向かって勉強しているだけでは駄目ね。勿論それも大切だけど……実際に見て、聞いて、見聞を広めることもまた、大切だわ」
「つまりは……えっと」
「騎士だって同じよ。ただ無心に剣を振るうだけでは駄目。時には一度立ち止まって、何故自分は剣を振るうのか、考えないと」
「……」
――剣を振るう理由。
その言葉が胸に引っ掛かった。マーヤにはまだはっきりとした理由はない。だから何も言えなかった。
その時、シャムリーが息を切らせながらやって来た。
王女を見て、少し安心した表情を浮かべた。どうやらエヴァリーヌを探していたらしい。頭を下げ、告げる。
「エヴァリーヌ王女、国王陛下がお呼びで……」
「わかったわ。……だから、もう下がりなさい」
そう、言いながらエヴァリーヌは、ゆっくりとティーカップに口をつける。
「ですが、お急ぎの用であると――」
「煩い! 私はわかったと言ったの。下がれといったの。それに従いなさい」
王女は冷たい瞳で声を荒立たせた。
……エヴァリーヌ王女?
さっきまで楽しそうに話していたのに。マーヤは疑問が隠せない。
彼女はマーヤのように格好が特異な無作法者でも怒ったりしない心の広い人で、隣国の人間相手でも偏見を持ったりしない人だ。
……それなのに、どうしてシャムリーには?
どうして、という気持ちがただ心の中を渦巻く。
「申し訳ありませんでした」
深々と頭を垂れる彼。
そんな彼をみるエヴァリーヌの表情から――マーヤは理解した。
……ああそうか。
「エヴァリーヌ王女は言いましたよね。騎士は剣を振るうだけじゃだめだって」
唐突に話始めるマーヤ。
「何? マーヤ」
「えっとだから……王女様も一緒だと思うんです。王族としての責任とか使命とかって大切なことだけど、でも……」
「何が言いたいの?」
エヴァリーヌの声に苛立ちが含まれていたので、マーヤは少し怯みそうになった。
だが、マーヤは自分の伝えたいことを口にする。
「エヴァリーヌ王女は、」
それが後々、どれ程後悔するか知らずに。
「――――――」
どれだけ軽薄な言葉か、気づかずに。
――そこで少女は夢から醒めた。
それから後の出来事も、夢に見るまでもなく、はっきりと記憶している。
エヴァリーヌはマーヤを押し倒し、首を絞めた。
喚き泣き散らす彼女に驚いて、マーヤは抵抗することすら出来なかった。
シャムリーもまた、何もしなかった。ただ立ちすくんでいた。
それは、エヴァリーヌの声を聞き付けた大人がやって来てマーヤからエヴァリーヌを引き離すまで続いた。
――そして、この出来事がきっかけでマーヤはグレイ・ケイシュにいられなくなったのだ。
マーヤが発したたった一言。それがどれだけエヴァリーヌを傷つけたか。マーヤがそれを悟ったのは、エヴァリーヌの怒りを目の当たりにした時だった。全てが遅かった。
ずっと謝りたいと思っていた。そのせいか、しきりに痛む頭のことも、あまり怒りを感じなかった。
かといって、自分が傷ついたのは自分への罰などではないことは分かってはいた。
自分の罪は償われず、ただエヴァリーヌとシャムリーの罪は重ねられただけ。ならば、自分はどうすればいいのか。マーヤには分からなかった。
……今は眠ろう。
半覚醒状態の意識をもう一度、夢の世界へ手放す。もう少しの間、心地よいまどろみの中でいたかった。
だが。
遠くのほうで声がした。――いや遠のいているのは意識のほうで、声の主は近くのほうにいる。
懐かしい声だ。何度も何度も、自分の名を呼んでいる。
……ジュリア。
目を開こうにも、開かない。身体を動かそうにも動かない。耳さえまともに働かず、言葉をはっきりと聞き取れない。
しかし、感情だけはしっかりと伝わり、瞼の裏にジュリアの表情が浮かんだ。
彼の目は怒りに満ち、今にも泣きだしそうだ。
……そんな顔しないで。
……私はジュリアの騎士だから。一緒にいるから。
……それとも、ジュリアがそんな顔しちゃうのも、私のせい?
瞼の裏の彼は背を向けた。
……待って!
手を伸ばしても届かない。伸ばした片手は、ただ宙をさ迷う。
……ジュリア!
「ジュリア……」
瞼を開けた彼女の瞳がまず映したのは、無機質な天井だった。
僅かに臭う薬品が、ここが医務室であることを告げる。体がひどく重い。思考回路も働かない。眼球だけを動かし、周りを見渡すも辺りにはジュリアはおろか、人影すらない。
だがマーヤは、ジュリアがこの場にいたことを疑わなかった。目で見たわけでないし、声もあやふやなものしか聞いていない。しかし確かに彼を感じたのだ。
確かに、彼の心を。
「……行かなきゃ」
少し掠れた声で。
「今の私は騎士で守らなきゃいけないものがあるんだもの」
言い聞かせるように呟いた。